【包文維】ルート

 初めての私塾での一日を、小敏が安楽県主に説明している時だった、外から声が掛かり、侍女が恭王殿下のお越しを伝えた。

「恭王殿下におかれましては、ようこそお越し下さいました」

 安楽県主はじめ、全員が芝居と馬球が好きな気のいい恭王殿下に拝礼する。
 それを鷹揚に受け、にこやかに恭王殿下は上座に座った。

「お爺様、ご機嫌麗しく存じます」

 出来の良い孫の文維が挨拶をすると、ますます恭王はご機嫌になり、相好を崩す。

「おお、文維。聞いておるぞ、梁寧侯爵の私塾に通っているそうだな。巷ではお前こそ今年の科挙の三魁に間違いないと専らの評判だ。おかげで私も鼻が高い」

 自慢の孫の姿に満足していた恭王だったが、その後ろに隠れるように控えていた少年に気付く。

「ん?そこにおるのは、羽小敏か?何を遠慮しておる。そなたは文維の弟も同じ、そうなれば私の孫も同じだ。さあさ、近こう寄りなさい」

 文維も小敏の背中を押して、小敏は少しはにかみながら恭王の前に出て拝礼した。

「そんな堅苦しい礼は不要。私の隣に来なさい、羽小敏」

 気さくに言われて、小敏が近付くと、ちょうど侍女が恭王へ梅汁を出した。

「おお、これは羽家の梅汁か?これはありがたい、いただくとしよう」
「恭王殿下、今年の梅は豊作で、特に美味しい梅汁が出来ました」
「そうか、そうか」

 小敏が自慢するだけあって、恭王は満足げに梅汁を一息に飲み干してしまった。

「確かに、例年よりも香りも立ち、味にも深みがあるように思う。安楽も、文維もいただきなさい」
「ありがとうございます」

 恭王の許しを得て、安楽県主や包文維も腰を下ろして美味しい梅汁を味わった。

「これほど美味な梅汁をもたらした羽小敏には、何か褒美を与えねばならぬな」
「もったいないお言葉でございます」

 言いながらも、小敏の顔は期待に満ちている。それを知りつつ、恭王も楽しそうに懐から何かを取り出した。

「ほら、これが何か分かるか?」
「!今年の馬球大会の招待状ですね!」

 思わず椅子から立ち上がり、小敏は大はしゃぎだ。その喜びように恭王はもちろん、安楽県主や包文維、侍女たちまでも微笑ましく見守っている。

「昨年は白洛公爵の子息と組まされ、優勝を逃してさぞ無念だったであろう。今年は好きな者と組ませてやろう。誰が良い?」

 恭王に言われて、反射的に小敏は笑顔で文維を振り返った。二人一組で競う馬球では、互いの息が合うことが大切だ。従兄であり、それ以上に実の兄弟のようにして育った文維とであれば、誰にも負けぬ組となるだろう。

「文維だけは、ならぬぞ」

 だが小敏の意を察してか、恭王は先んじてそう言った。

「お爺様!」

 もちろん小敏と組んで出場するつもりだった文維も、恭王の言葉に驚いた。

「文維は科挙試験を控える身、今年の馬球大会に出ることは許さぬ。万一落馬でもして、試験が受けられぬとでもなったらどうするのだ」

 珍しく厳しい表情で恭王が言い聞かせる。

「科挙を受験するのは小敏も同じです」

 文維もまた、珍しく口答えをした。だがその程度のことで機嫌を損なう恭王ではない。どこまでも大らかな王弟なのだ。

「小敏の乗馬の腕は安瑶でも有名だ。落馬や怪我の心配など無用。なれど…」

 恭王は手招きをして文維を呼び寄せ、その手を取った。

「お前は特別なのだ。万が一の事があってはならん」
「……」

 いつになく真剣な恭王に、文維もこれ以上逆らえない。あくまでも可愛い孫のためを思っての言葉だからだ。

「そうですよ、文維兄上。私の科挙試験は受かれば儲けものだと父上も言っていますが、文維兄上は三魁にも選ばれようかという人物。ここは慎重に…」

 残念な気持ちを抑えながらも、小敏はそう言った。

「羽小敏の申す通り。我が一族から最年少の状元が出るやもしれぬのだ。くれぐれも『慎重に』だ。のう、小敏」
「はい、恭王殿下!」

 素直で聞き分けの良い小敏に、恭王もすっかり機嫌が良くなった。

「さあ、だれぞ小敏の好きな菓子をここへ」

 恭王が命じると、侍女がすでに用意されていた安楽県主手作りの蓮の実の砂糖漬けを使った菓子を運んできた。さっそくに羽小敏はそれを手に取り、恭王や安楽県主ににっこりすると、美味しそうに頬張った。

「小敏、そなた顧廷振は存じておるか」
「陛下の一番下の王子殿下で、恭王殿下の甥御さま。それに…」

 ハッと気づいた小敏は、期待を込めて言葉を続けた。

「王都・安瑶で一番の馬球の腕前で、これまで負けしらずとして高名な…」

 そんな小敏に、恭王は目を細めた。馬球好きの恭王は、この年代で一番の選手である羽小敏がお気に入りなのだ。

「近年はあれの腕前に恐れをなしてか、試合を申し込む者もなく、廷振自身も自分の腕に見合う相方がおらぬと申して試合にも出ておらなんだ。だが、先日は今年は久しぶりに出てみたいと申していた。ただ、それに見合う相方が見つかれば、とのことであったが…」
「ボクが?ボクが廷振王子と馬球の試合に?」

 すっかり気分が高揚した小敏は、手にした菓子を取り落とすほどだった。

「あれは姉の平清公主と仲が良いので、その子の申玄紀と組むと思っておったのだが、安承伯爵が科挙試験前を理由に申玄紀の出場を禁止したとのことだ」

 そこまで言って、恭王は声をひそめた。

「噂に寄ると、あの安承伯爵の一人息子にしては、申玄紀はあまり出来が良くないらしいな」

 今日から私塾で一緒に勉強することになった小敏は、明るく元気な申玄紀を思い浮かべて言った。

「でも、いい子ですよ」
「それでも試験勉強に身が入らぬと安承伯爵に厳しく注意されたらしい」

 同じ馬球好きとして、小敏は申玄紀に大いに同情した。

「まあ、申玄紀が試合に出られぬことになったゆえ、安瑶一番の顧廷振が羽小敏と組んでも良いと申しておるのだ。有り難い申し出だと受け取りなさい」
「はい!」

 身に余る光栄に、小敏はドキドキと高鳴る胸を抑えた。この王都で一番の馬球選手が自分と組んでくれるとは。試合の勝ち負けということでは無く、高度な技術が目の前で見られることや、一緒に組めることが小敏は楽しみだった。

「お爺様、試合を見に行くことは構わないですよね」
「おお、それは構わぬ。安楽と共に余の天幕で見ると良い」

 文維が聞くと、恭王はもちろんだと大きく頷いた。主催者である恭王の天幕は、会場内でも最大で、もっと居心地が良く、軽食や菓子、大人には珍しい酒などが振舞われる。そこへ招かれるのは、栄誉でもあるのだ。

「では小敏、私と母上は当日お前の活躍をしっかりと観ているからね」
「はい!兄上や県主のご期待に応えられるよう、頑張ります!」

 気を引き締め、真剣な顔をして小敏は文維に返事をした。それを安楽県主と包文維は頼もしそうに見つめる。

「近々廷振と小敏を引き合わせねばならぬな。試合に向けて練習も必要であろう。だが、梁寧侯爵の私塾での勉学も疎かにしてはならぬぞ」
「はい!」

 恭王に釘を刺されながらも、もはや馬球大会に向けて期待に胸を膨らませ、頬を紅潮させる羽小敏であった。

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♡我喜歓♡