【唐煜瑾】ルート
梁寧侯爵家では、兄弟揃っての夕食時、兄の侯爵が浮かない顔をしている弟・煜瑾を心配して声を掛けた。
「先ほど、恭王殿下から、馬球大会の招待状が届いたそうだね」
「はい…」
兄には何もかもお見通しなのだと諦めて、煜瑾は食事の手を止めて俯いた。
「今年も気が乗らないようだね」
馬球どころか、乗馬がすでに苦手な弟の顔を覗き込むようにして侯爵は訊ねる。
「……」
返事も出来ないほど思い詰めているのかと、年の離れた可愛い弟に同情して、侯爵も箸を置いて煜瑾に向き直った。
「お前が乗馬を苦手としているのは知っているが、馬球は貴族にとって必要な教養の1つだよ。まして恭王殿下の馬球大会と言えば、全国から王侯貴族の子弟が集う大きな大会。顔出しもせぬのは貴公子としての恥であろう?」
もっともな兄侯爵の言葉に、煜瑾も何も返せない。
「…顔は…出します」
「試合には出ずに?」
ようやく口を開いた弟に、侯爵はその意図を見通して微笑み掛ける。
「……。出ても負けるようでは、梁寧侯爵家の恥でございましょう」
日頃は勝気な煜瑾が口惜し気にそう言うのを、侯爵は可哀想に思うが、それでも励ますように優しく諭す。
「負けても構わぬのだよ。それを笑い飛ばせるほどの度量の広さを見せればよいのだから」
確かにそれほどの度量も併せ持つであろう、泰然とした若き侯爵である。そんな兄を心から尊敬し、憧れている煜瑾は、一縷の望みを抱いて兄侯爵に訊ねてみる。
「兄上は…馬球大会にはお出にならぬので?」
心細げな煜瑾が兄を頼りにしているのは分かるが、期待に応えられない侯爵はただ笑って首を振った。
「あいにく、侯爵の身分ではあちこちから規制があるのだ」
頼みとなる兄と組んで試合に臨みたいと思った煜瑾は、哀れなほどに肩を落とした。
「兄上は乗馬もお上手で、馬球もお得意なのに、私は…」
「お前は馬を怖がり過ぎる。人と同じだ。お前が心を開きさえすれば、馬とも人とも友達になれるものを」
侯爵はそう言って、それ以上は話すつもりが無いのか、食事の続きを始める。
「?どういう意味ですか、兄上?」
だが、煜瑾はそれを聞き捨てならない。意味を解せず、不思議そうに兄を見返す。その純粋で一途な眼差しに、侯爵も折れたのか、再び箸を置いて弟の顔を見た。
「お前には、友と呼べる者がおらぬだろう。私はそれを心配している」
「友達なら、李鶴胤とか楚昇貞らがおります」
思わぬ兄侯爵の言葉に、当然といったように煜瑾は答えるが、兄は薄く笑うばかりだ。
官僚の子弟で文人を気取る彼らに誘われて、煜瑾は時折貴族邸で行なわれる詩歌の会などに参加していた。それが友達付き合いというものだろうと、煜瑾は単純に信じていた。
「あれは友達ではなく、取り巻きというのだよ。お前の身分を利用してあちこちの貴族に顔を売っているに過ぎない」
「…それは…」
確かに、小李や小楚はいつも貴族の集まりにばかり行きたがる。煜瑾が気が進まぬ会であってもうまく言って連れ出すのだ。煜瑾の機嫌を取ってはくれるが、煜瑾が楽しいかどうかなどお構いなしのことも多かった。
「私がうちの私塾に彼らの入門を許さないのは、お前の友人として相応しくないと思うからだよ」
兄に言われて、自分の人を見る目の無さを指摘されたようで、煜瑾は恥ずかしそうに唇を噛んだ。
「なら、私に申玄紀のような子供や、包文維のような学問が出来ることを鼻にかけたような者が友達に相応しいと?」
煜瑾は明らかに不満そうな口調で言った。
神童と呼ばれるほど賢しく、教師の蘇三涛老師でさえ一目置くような包文維は、控えめで、身分を越えて打ち解けるという性質ではなく、煜瑾には丁重な態度で接してくるが、それが慇懃無礼な感じさえして、煜瑾には気に入らない。
安承伯爵家の申玄紀は、お互い古参の名門貴族の家柄と言うことで、幼少期から知ってはいるが、たった一歳しか変わらぬというのに、子供っぽく、相手にならない。
なぜ兄侯爵がこのような2人に私塾へ通うことを許したのか、煜瑾には理解できない。煜瑾が友達だと思っている、李鶴胤や楚昇貞が相応しくないという一方で、包文維や申玄紀ならば煜瑾の友人として相応しいと、兄侯爵は思っているのだろうか。
「羽小敏がいるではないか」
「羽、小敏?」
なぜか兄侯爵・唐煜瓔は嬉しそうに言った。
今日会ったばかりの、色白の明るい少年の顔を思い出し、煜瑾はほんの少しだけ顔を歪めた。
「羽将軍の息子で身元も確かだし、お前と同い年。学問も優秀だと聞くが、馬球も得意らしい」
さすがに私塾へ通うことを許しただけあって、事前にその人となりを調べさせたのか、兄侯爵は羽小敏のことに煜瑾よりも詳しい。
「き、今日会ったばかりの者など…」
初日から無邪気に老師へ発言をして、褒められるはずの煜瑾の邪魔をしたのが、気に障った。素直な振りをして、煜瑾や老師や兄侯爵に媚びるつもりに違いない。
「明日から毎日会えるではないか。そうだ、羽小敏に乗馬を教えてもらうといい。馬球大会も一緒に組んでもらいなさい。仮に負けたとしても、羽小敏と一緒であれば恥ずかしい負け方にはなるまい」
「あ、兄上!」
唐煜瓔侯爵は、さもいい思い付きをしたというように、にこやかに語った。そんなご機嫌のよい兄侯爵に、とても言い返すことは出来ない煜瑾だった。
「失礼の無いように、羽小敏にお願いするのだよ。羽小敏が他の者と試合に出たいというのであれば、私から頼んでみるから。まずはお前があの子と話しなさい」
よほど羽小敏のことが気に入っているのか、唐煜瓔はすっかり弟と羽小敏が馬球の試合に出るものと決めつけていた。それが、そもそも弟である煜瑾のためを思っての事だと分かっているだけに、逆らうことも出来ず、煜瑾は泣きそうな気持ちで、兄の食膳に並ぶ羽家の梅汁を恨めしそうに見つめるのだった。
「先ほど、恭王殿下から、馬球大会の招待状が届いたそうだね」
「はい…」
兄には何もかもお見通しなのだと諦めて、煜瑾は食事の手を止めて俯いた。
「今年も気が乗らないようだね」
馬球どころか、乗馬がすでに苦手な弟の顔を覗き込むようにして侯爵は訊ねる。
「……」
返事も出来ないほど思い詰めているのかと、年の離れた可愛い弟に同情して、侯爵も箸を置いて煜瑾に向き直った。
「お前が乗馬を苦手としているのは知っているが、馬球は貴族にとって必要な教養の1つだよ。まして恭王殿下の馬球大会と言えば、全国から王侯貴族の子弟が集う大きな大会。顔出しもせぬのは貴公子としての恥であろう?」
もっともな兄侯爵の言葉に、煜瑾も何も返せない。
「…顔は…出します」
「試合には出ずに?」
ようやく口を開いた弟に、侯爵はその意図を見通して微笑み掛ける。
「……。出ても負けるようでは、梁寧侯爵家の恥でございましょう」
日頃は勝気な煜瑾が口惜し気にそう言うのを、侯爵は可哀想に思うが、それでも励ますように優しく諭す。
「負けても構わぬのだよ。それを笑い飛ばせるほどの度量の広さを見せればよいのだから」
確かにそれほどの度量も併せ持つであろう、泰然とした若き侯爵である。そんな兄を心から尊敬し、憧れている煜瑾は、一縷の望みを抱いて兄侯爵に訊ねてみる。
「兄上は…馬球大会にはお出にならぬので?」
心細げな煜瑾が兄を頼りにしているのは分かるが、期待に応えられない侯爵はただ笑って首を振った。
「あいにく、侯爵の身分ではあちこちから規制があるのだ」
頼みとなる兄と組んで試合に臨みたいと思った煜瑾は、哀れなほどに肩を落とした。
「兄上は乗馬もお上手で、馬球もお得意なのに、私は…」
「お前は馬を怖がり過ぎる。人と同じだ。お前が心を開きさえすれば、馬とも人とも友達になれるものを」
侯爵はそう言って、それ以上は話すつもりが無いのか、食事の続きを始める。
「?どういう意味ですか、兄上?」
だが、煜瑾はそれを聞き捨てならない。意味を解せず、不思議そうに兄を見返す。その純粋で一途な眼差しに、侯爵も折れたのか、再び箸を置いて弟の顔を見た。
「お前には、友と呼べる者がおらぬだろう。私はそれを心配している」
「友達なら、李鶴胤とか楚昇貞らがおります」
思わぬ兄侯爵の言葉に、当然といったように煜瑾は答えるが、兄は薄く笑うばかりだ。
官僚の子弟で文人を気取る彼らに誘われて、煜瑾は時折貴族邸で行なわれる詩歌の会などに参加していた。それが友達付き合いというものだろうと、煜瑾は単純に信じていた。
「あれは友達ではなく、取り巻きというのだよ。お前の身分を利用してあちこちの貴族に顔を売っているに過ぎない」
「…それは…」
確かに、小李や小楚はいつも貴族の集まりにばかり行きたがる。煜瑾が気が進まぬ会であってもうまく言って連れ出すのだ。煜瑾の機嫌を取ってはくれるが、煜瑾が楽しいかどうかなどお構いなしのことも多かった。
「私がうちの私塾に彼らの入門を許さないのは、お前の友人として相応しくないと思うからだよ」
兄に言われて、自分の人を見る目の無さを指摘されたようで、煜瑾は恥ずかしそうに唇を噛んだ。
「なら、私に申玄紀のような子供や、包文維のような学問が出来ることを鼻にかけたような者が友達に相応しいと?」
煜瑾は明らかに不満そうな口調で言った。
神童と呼ばれるほど賢しく、教師の蘇三涛老師でさえ一目置くような包文維は、控えめで、身分を越えて打ち解けるという性質ではなく、煜瑾には丁重な態度で接してくるが、それが慇懃無礼な感じさえして、煜瑾には気に入らない。
安承伯爵家の申玄紀は、お互い古参の名門貴族の家柄と言うことで、幼少期から知ってはいるが、たった一歳しか変わらぬというのに、子供っぽく、相手にならない。
なぜ兄侯爵がこのような2人に私塾へ通うことを許したのか、煜瑾には理解できない。煜瑾が友達だと思っている、李鶴胤や楚昇貞が相応しくないという一方で、包文維や申玄紀ならば煜瑾の友人として相応しいと、兄侯爵は思っているのだろうか。
「羽小敏がいるではないか」
「羽、小敏?」
なぜか兄侯爵・唐煜瓔は嬉しそうに言った。
今日会ったばかりの、色白の明るい少年の顔を思い出し、煜瑾はほんの少しだけ顔を歪めた。
「羽将軍の息子で身元も確かだし、お前と同い年。学問も優秀だと聞くが、馬球も得意らしい」
さすがに私塾へ通うことを許しただけあって、事前にその人となりを調べさせたのか、兄侯爵は羽小敏のことに煜瑾よりも詳しい。
「き、今日会ったばかりの者など…」
初日から無邪気に老師へ発言をして、褒められるはずの煜瑾の邪魔をしたのが、気に障った。素直な振りをして、煜瑾や老師や兄侯爵に媚びるつもりに違いない。
「明日から毎日会えるではないか。そうだ、羽小敏に乗馬を教えてもらうといい。馬球大会も一緒に組んでもらいなさい。仮に負けたとしても、羽小敏と一緒であれば恥ずかしい負け方にはなるまい」
「あ、兄上!」
唐煜瓔侯爵は、さもいい思い付きをしたというように、にこやかに語った。そんなご機嫌のよい兄侯爵に、とても言い返すことは出来ない煜瑾だった。
「失礼の無いように、羽小敏にお願いするのだよ。羽小敏が他の者と試合に出たいというのであれば、私から頼んでみるから。まずはお前があの子と話しなさい」
よほど羽小敏のことが気に入っているのか、唐煜瓔はすっかり弟と羽小敏が馬球の試合に出るものと決めつけていた。それが、そもそも弟である煜瑾のためを思っての事だと分かっているだけに、逆らうことも出来ず、煜瑾は泣きそうな気持ちで、兄の食膳に並ぶ羽家の梅汁を恨めしそうに見つめるのだった。
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