【唐煜瑾】ルート

 食事を終えて、羽小敏と唐煜瑾は、別室の広間に行くことになった。

 食事をした居室を出て、長い廊下を広間へ向かう。先導する煜瑾は、いつ話を切り出そうかとモジモジしていた。

「ねえ、羽小敏公子…」
「え?小敏でいいよ~」

 明るく屈託のない小敏はそう言うが、こんな「距離」に慣れない煜瑾は戸惑うことが多い。

「…なら、私のことも煜瑾と呼んで欲しい」

 ようやく言ってみたが、小敏はニコニコしたまま、ほんのちょっと眉を寄せた。

「ん~でも、煜瑾侯弟は高貴な身分だから…」

 まるで壁を作られたような気がして、煜瑾はムッとした。

「さっき…」
「ん?」
「さっきは、『友達だ』って言ったのに…」
「そうだけど…」

 廊下の真ん中で足を止め、拗ねたように言う煜瑾に、小敏も困ってしまう。

「私を『煜瑾』と呼ばないなら、私も『小敏』とは呼ばない」

 気位が高く、勝ち気な唐煜瑾らしい言い分に、小敏もどうして良いか分からずにドギマギする。

「え~っと。う~んっと。…じゃあ…煜、瑾…」

 言ってみてから、なんだか照れ臭くなり、小敏は俯いた。
 そんな小敏が可愛らしく見えて、なんだか煜瑾までもが照れてしまい、2人で顔を見合わせて恥ずかしそうに微笑みを交わす。

「ふふふ…」「へへへっ」

 2人は急に気持ちが近付いたような気がした。

 笑いながら広間に着くと、2人は仲良く手を繋いで中に入り、小敏は広間いっぱいに並んだ書画に驚かされた。

「うわ~、これ全部、侯爵様が書かれたの?煜瑾が言ってた通り、素晴らしい御手蹟だね~」

 目を見張って小敏はキョロキョロしている。

 その素直な喜びように、煜瑾も珍しくにこやかになる。
 友が喜んでくれたことに、最愛の兄が書いた物を褒められたことに、煜瑾も本当に誇らしく、嬉しかった。

「これは、清河図?詩だけでなく、画も描かれたの?すごいなあ」

「こちらは、詩経?これは…」

 次々と手に取り、その見事な書体を小敏は感心して堪能している。

「ありがとう、煜瑾。こんなに素晴らしい兄上の書かれた物を見せてくれて」
「う…うん。で、…その…」

 興奮気味の小敏に、いつまでも言いにくそうに煜瑾は視線を合わせられない。

「何?」

 そんな様子が気になって、ズイッと無遠慮に小敏は煜瑾の顔を覗き込んだ。
 慌てた煜瑾だったが、思い切って口火を切った。

「実は…、引き換えと言う訳ではないのだが、小敏に…た、た、頼みたい…ことが…」

 緊張する煜瑾とは対照的に、小敏は相変わらずにこやかで鷹揚な感じだった。

「え?ボクに出来ることなら、何でも言ってよ。ボク、煜瑾にお礼したいんだ」
「お、お礼なぞ…」
「ううん。煜瑾の役に立ちたいんだよ」

 ニッコリと笑顔を添えて言った小敏の誠実な眼差しに、煜瑾は勇気が出たような気がした。

「じゃ、じゃあ…イヤなら、断ってもいいんだけど…」
「うん、出来ないことは出来ないって言うよ」

 小敏は真面目にそう応えて、大きく頷いた。

「実は…私に乗馬を教えてくれないか?」
「え?」

 思わぬ言葉にキョトンとした小敏をどう思ったのか、煜瑾は急に頬を染めて急いで無かった事にしようとした。

「あ、済まない!め、迷惑なら…そう言って…」

 恥ずかしさに焦る煜瑾に、目を丸くしていた小敏がポツリと言う。

「そんな事でいいの?」
「は?」

 思いがけない言葉に、今度は煜瑾がポカンとする。

「馬に乗るのは、ボク、得意だし、将軍家の馬場にはとてもいい馬がいるんだよ」

 すでに楽しそうに馬の話を始める小敏に、煜瑾の顔が見る見る明るくなった。

「じゃあ、私に乗馬を教えてくれるのか?」

 煜瑾の問いかけに、当然だとでも言いたげに小敏は大きく頭を縦に振る。そして何かを思いついて、パッと目を見開き、煜瑾の顔に近付けた。

「ね!もし良ければ、恭王殿下の馬球大会にボクと組んで出ない?」

 煜瑾にとってはそれこそ願ったりの申し出だったが、ふと気がかりなことがあった。

「え!そ、そんな…私のような腕前の者と組んでは、きっと勝てない…」

 そう言って暗い顔をする煜瑾にを、小敏は明るく一笑した。

「そんなこと無いよ。それに勝てなくても、きっと楽しいと思うよ」
「楽しい?」
「うん!」

 幼い頃から乗馬が好きだった小敏は、その延長線上で馬球を始めたのだが、人と競うということよりも人馬一体となって駆け回って遊べるのが楽しかった。

「でも…。小敏の腕前は誰もが知っている。それなのに、私のような初心者と組んだせいで試合に負けたとなれば、申し訳ない」

 そう言って肩を落とす煜瑾を、小敏は優しい眼差しでジッと見て、しばらくしてふんわりと言った。

「煜瑾って、優しいんだね」
「え?」

 思いがけない一言に、煜瑾は呆然として、微笑む小敏を見つめることしか出来なかった。

「ボクが負けることを心配してくれてるんだもの」
「それは…」

 嬉しそうに言われて、煜瑾はこそばゆい気持ちで顔が熱くなる。

「でも、ボクは負けることなんて気にしないよ。勝とうが負けようが楽しく馬球がしたいだけなんだ」
「楽しく…」
「うん。だから、煜瑾が楽しいと思えるよう、ボクも手伝いたい」

 晴れやかに笑う小敏に、なんだか煜瑾も気持ちが舞い上がり、前向きになるような気がした。

「…私に…できるだろうか…」
「出来るよ!」
「そ、そうかな…」

 2人は顔を見合わせて、楽しそうにクスクスと笑い合った。

「随分と楽しそうだね」

 そこへ現れたのは、煜瑾の兄である梁寧侯爵だった。

「梁寧侯爵、ご機嫌麗しく。この度は…」

 ビックリした小敏は跪き、侯爵に挨拶をしようとした。それを見た侯爵は、笑いながらその手を小敏に差し出し、立たせる。

「およしなさい、羽小敏」
「え?」
「ここへ来たのは侯爵としてではなく、煜瑾の兄として、ですよ。そんな堅苦しい挨拶は不要です」

 優しい侯爵に、小敏は手を取られて頬を染める。

「兄上、先ほどはお食事を届けて下さりありがとうございました」
「そうだ!お食事をいただきました。ありがとうございました」

 嬉しそうに煜瑾が言うと、小敏もキラキラした目で喜んでお礼を申し上げる。

「その分だと、口に合ったようで何よりだ」

 2人の少年に笑顔に、侯爵もまた満足そうに笑っていた。

「あ、それで実は…兄上」

 日頃大人しい煜瑾が、ワクワクした表情で口を開くのを、侯爵は珍しそうに見ていた。

「明日、小敏に我が家の馬を見せたいのですが…」

 その言葉に、侯爵はピンと直感するものがあった。

「!もしや羽小敏、煜瑾に乗馬を教えてくれるのか?」
「はい!それで…侯爵様にお願いが」

 侯爵は、大事な煜瑾がようやく乗馬に興味を持ってくれたことが嬉しかった。この上、弟が乗馬や馬球に熱中してくれるようであれば、小敏の申し出くらいなんでも聞いてやろうという気になっていた。

「なんでも言ってみなさい」
「はい。実は今度の恭王殿下の馬球大会に、私と煜瑾…侯弟と組んで出たいのですが…」

 はにかむように言う小敏の言葉が一瞬信じられず、侯爵は目を見開いた。振り返ると、煜瑾も気分が高揚しているのか、いつもは冷ややかに見られがちな瞳がキラキラとしている。

「え?」
「はい、兄上。小敏の方から一緒に馬球大会に出ないかと…」
「だって、せっかく一緒に乗馬の練習をするなら、馬球大会に出たら楽しいと思ったんです」

 反対されるのではないかと、小敏は慌てて言い訳をする。しかしそれは杞憂で、侯爵はまるで自分が馬球大会に出るかのように、興奮気味に煜瑾の肩を抱いた。

「そうか。それは良かった。では、明日から羽小敏が自分の馬でこの邸内に乗り入れることを許可しよう」
「!」「兄上!」

 小敏と煜瑾は互いに顔を見合わせ力強く頷いた。馬球大会に向けて頑張ろうという決意が見られる。

「邸内の馬場で、好きなように乗馬と馬球の練習をすればよい。必要な物や人があれば何でも遠慮なく言いなさい」
「ありがとうございます、兄上」「ありがとうございます、侯爵様」

 2人は声を揃えて梁寧侯爵にお礼を言うと、楽しそうに微笑みを交わし、互いの手を取り合った。
 その少年らしい姿に、唐煜瓔は弟の成長を見てこの上なく嬉しく思った。



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