【唐煜瑾】ルート
私塾での授業を終えた蘇老師は、そのまま真っ直ぐに母屋に向かい、そこにいる唐煜瓔侯爵に対面を求めた。
最愛の弟の家庭教師として招聘するほど、蘇老師の知性と人柄を、逸材として認めている侯爵は、喜んで蘇老師を出迎えた。
蘇老師は教室での一件を報告し、唐煜瑾が羽小敏を私室へ招く許可を求めた。
「煜瑾が、そのようなことを…」
煜瓔侯爵は、我が事のように嬉しそうに言った。
羽小敏の人となりを調べさせ、これならば弟・煜瑾の学友として相応しいと、入塾を認めたが、これほど早々に煜瑾に望ましい影響が出ようとは、侯爵にとっては嬉しい誤算だった。
「もちろん、羽小敏はいつでも好きな時に侯爵邸内に出入りできるとしましょう。煜瑾の私室だけでなく、お召しがあれば蘇老師の居宅にも入ることを許します」
蘇三涛老師は、広大な侯爵邸の敷地内に独立した別邸を与えられており、そこだけでも中流官僚の自宅ほどの大きさはある。
「侯爵のご配慮に感謝いたします。包家の勧めとは言え、羽小敏を煜瑾侯弟のご学友にお選びになった侯爵のご慧眼には恐れ入ります」
丁重な蘇三涛老師の態度に、さすがの侯爵も落ち着かず恥ずかしそうに笑った。
「今宵はぜひ、蘇老師を夕食にお招きしたい。弟ばかりではなく、私もまだ老師からご薫陶をいただきたくございます」
大貴族の若き侯爵でありながら、謙虚な態度で唐煜瓔は言った。純粋に学問を愛する煜瓔にとって、深大な知性の持ち主である蘇三涛は、敬慕する師でもあった。煜瑾と小敏が友情を結んだように、ここにも学問が繋ぐ身分を越えた友情が芽生えていた。
煜瑾は小敏と共に自室に戻ると、侍女に軽食の仕度を命じ、侍従たちには奥の書庫から兄である梁寧侯爵の自筆の写本や、手製の詩作の書などを運ばせた。
「煜瑾侯弟、兄侯爵様よりお食事とお菓子が届きました。羽小敏公子がお越しとのことなので、お2人でお召し上がりになるように、とのことでございます」
兄侯爵の側仕えからの申し出に、煜瑾は嬉しそうに侍女に受け取らせた。兄が、羽小敏の事を聞きつけて、きちんとお許しを出して下さったのだと安堵する。
「兄上にお礼を。後ほど、羽小敏とともにお礼に参ります」
威厳のある様子でそう言うと、煜瑾は小敏を振り返って微笑んだ。
「はい」
慌てて小敏も同意し、照れくさそうに煜瑾を見返した。
侍女が2人の前に食膳を並べる。そこには小敏が見たことも無いような美しく飾られた美味しそうな料理が、少しずつ何種類もが並んでいた。
「うわ~」
武門である羽家の食卓は質実剛健で、肉か魚を焼いた物、野菜の煮物、汁物、後は白飯で、余計な物は何もない。今の季節には、滋養のためもあり、自家製の梅汁が出されるが、生れて初めてこれほどたくさんの料理がこの世に存在するものなのかと目の当たりにして、小敏は大いに驚いた。
しかもそれが色鮮やかだったり、細やかな細工がしてあったりと、見た目にも凝っていて食べるのが惜しいほどだ。
「兄上の手蹟は今、並べさせているから、先にこちらをいただこう」
一緒に蘇老師の前に跪いたことで、煜瑾の小敏に対する妙なわだかまりのようなものは消えていて、まるで昔からの友達であったかのように話しやすくなっていた。
「うん。でも、スゴイね~」
「何が?」
「この料理だよ。こんなに何種類もあって、どれも食べるのがもったいないなあ」
これが富裕な侯爵家におもねるような言い方でも、皮肉などでもないことを、煜瑾は小敏の純粋な眼差しで分かっていた。これまで、こんなに素直に喜んでくれた者は無かった、と煜瑾は、友達だと思っていた者たちの顔を浮かべて思う。
「これは昼の軽食だから、凝ったもので見た目を楽しませているだけだ。朝も夜も毎食宴会のような食事をしているわけではない」
「ウチは武人の家系だから、食事は贅沢しないんだ。戦場で将軍が食べ物の文句を言っては部下への士気にかかわるから、常日頃から質素な食事に慣れておくんだって、父上が」
大したことではないと謙虚な態度を表したかった煜瑾だが、改めて禁欲的な武家の暮らしぶりに感服する。
「さすがに尊敬を集める常勝将軍のおっしゃることは違うな」
高名な羽厳将軍の言葉に感嘆して煜瑾は言った。
「うん。父上はいつも将軍としてのお立場で考えられるから、時に厳しいこともおっしゃるけれど、間違っていたことはないんだ。それにボクにはとってもお優しいし」
父将軍を褒められて、羽小敏は嬉しそうに言った。
その素直な笑顔に、煜瑾は自分が兄侯爵に愛されているのと同じく、小敏も父将軍に愛されて育ったのだなあと、互いに共通点を見つけて嬉しくなった。
「とにかく食べてみて。兄上からのせっかくの差し入れだ」
煜瑾が少し照れたように言うと、小敏は無邪気に頷き、箸を取った。
小敏は最初に、「真っ白なフカフカの丸いもの」に手を着けた。
「わっ!思ったよりフワフワしてる~」
「それは北の華陽の料理で『饅頭(マントウ)』というんだ。中を割ってごらん」
初めての饅頭に興奮気味の小敏が、両手で半分に割ってみると、中から照りのある美味しそうな肉炒めが現れた。
「うわ~」
まるで宝物でも見つけたように、小敏は目を輝かせた。珍しい香辛料の何とも言えないいい匂いがする。それを胸いっぱいに吸って、小敏は我慢できない様子でパクリと一口頬張った。
「美味しいだろう?私も初めて食べた時は驚いたけれど、今では大好物だ。北の華陽では、充分な米が収穫できないので、みんな麦を栽培していて、麦の粉で作った饅頭や麺が主食なんだそうだ」
「ふ~ん」
口いっぱいに肉入り饅頭を含みながらも、小敏は遠い異国の話を興味深そうに聞いた。
「こちらの野菜炒めには南の温国の果物が入っていて、こちらの煮物に入っている芋は珍しいものでとても甘い。この団子は肉ではなくて魚を使っていて…」
これほどに喜んでもらえるのが嬉しくて、煜瑾も自分が食べるのを忘れて料理の説明をする。小敏もそれにいちいち頷きながら、せっせと口に運んでいるので、ずっとモグモグしっぱなしだ。
「ねえ、煜瑾侯弟?」
「なにか?」
一息ついた小敏が、楽しそうに笑いながら煜瑾に言った。
「友達との食事って、楽しいね」
「え?」
屈託なく言った小敏の一言に、煜瑾は胸を突かれる思いだった。
最愛の弟の家庭教師として招聘するほど、蘇老師の知性と人柄を、逸材として認めている侯爵は、喜んで蘇老師を出迎えた。
蘇老師は教室での一件を報告し、唐煜瑾が羽小敏を私室へ招く許可を求めた。
「煜瑾が、そのようなことを…」
煜瓔侯爵は、我が事のように嬉しそうに言った。
羽小敏の人となりを調べさせ、これならば弟・煜瑾の学友として相応しいと、入塾を認めたが、これほど早々に煜瑾に望ましい影響が出ようとは、侯爵にとっては嬉しい誤算だった。
「もちろん、羽小敏はいつでも好きな時に侯爵邸内に出入りできるとしましょう。煜瑾の私室だけでなく、お召しがあれば蘇老師の居宅にも入ることを許します」
蘇三涛老師は、広大な侯爵邸の敷地内に独立した別邸を与えられており、そこだけでも中流官僚の自宅ほどの大きさはある。
「侯爵のご配慮に感謝いたします。包家の勧めとは言え、羽小敏を煜瑾侯弟のご学友にお選びになった侯爵のご慧眼には恐れ入ります」
丁重な蘇三涛老師の態度に、さすがの侯爵も落ち着かず恥ずかしそうに笑った。
「今宵はぜひ、蘇老師を夕食にお招きしたい。弟ばかりではなく、私もまだ老師からご薫陶をいただきたくございます」
大貴族の若き侯爵でありながら、謙虚な態度で唐煜瓔は言った。純粋に学問を愛する煜瓔にとって、深大な知性の持ち主である蘇三涛は、敬慕する師でもあった。煜瑾と小敏が友情を結んだように、ここにも学問が繋ぐ身分を越えた友情が芽生えていた。
煜瑾は小敏と共に自室に戻ると、侍女に軽食の仕度を命じ、侍従たちには奥の書庫から兄である梁寧侯爵の自筆の写本や、手製の詩作の書などを運ばせた。
「煜瑾侯弟、兄侯爵様よりお食事とお菓子が届きました。羽小敏公子がお越しとのことなので、お2人でお召し上がりになるように、とのことでございます」
兄侯爵の側仕えからの申し出に、煜瑾は嬉しそうに侍女に受け取らせた。兄が、羽小敏の事を聞きつけて、きちんとお許しを出して下さったのだと安堵する。
「兄上にお礼を。後ほど、羽小敏とともにお礼に参ります」
威厳のある様子でそう言うと、煜瑾は小敏を振り返って微笑んだ。
「はい」
慌てて小敏も同意し、照れくさそうに煜瑾を見返した。
侍女が2人の前に食膳を並べる。そこには小敏が見たことも無いような美しく飾られた美味しそうな料理が、少しずつ何種類もが並んでいた。
「うわ~」
武門である羽家の食卓は質実剛健で、肉か魚を焼いた物、野菜の煮物、汁物、後は白飯で、余計な物は何もない。今の季節には、滋養のためもあり、自家製の梅汁が出されるが、生れて初めてこれほどたくさんの料理がこの世に存在するものなのかと目の当たりにして、小敏は大いに驚いた。
しかもそれが色鮮やかだったり、細やかな細工がしてあったりと、見た目にも凝っていて食べるのが惜しいほどだ。
「兄上の手蹟は今、並べさせているから、先にこちらをいただこう」
一緒に蘇老師の前に跪いたことで、煜瑾の小敏に対する妙なわだかまりのようなものは消えていて、まるで昔からの友達であったかのように話しやすくなっていた。
「うん。でも、スゴイね~」
「何が?」
「この料理だよ。こんなに何種類もあって、どれも食べるのがもったいないなあ」
これが富裕な侯爵家におもねるような言い方でも、皮肉などでもないことを、煜瑾は小敏の純粋な眼差しで分かっていた。これまで、こんなに素直に喜んでくれた者は無かった、と煜瑾は、友達だと思っていた者たちの顔を浮かべて思う。
「これは昼の軽食だから、凝ったもので見た目を楽しませているだけだ。朝も夜も毎食宴会のような食事をしているわけではない」
「ウチは武人の家系だから、食事は贅沢しないんだ。戦場で将軍が食べ物の文句を言っては部下への士気にかかわるから、常日頃から質素な食事に慣れておくんだって、父上が」
大したことではないと謙虚な態度を表したかった煜瑾だが、改めて禁欲的な武家の暮らしぶりに感服する。
「さすがに尊敬を集める常勝将軍のおっしゃることは違うな」
高名な羽厳将軍の言葉に感嘆して煜瑾は言った。
「うん。父上はいつも将軍としてのお立場で考えられるから、時に厳しいこともおっしゃるけれど、間違っていたことはないんだ。それにボクにはとってもお優しいし」
父将軍を褒められて、羽小敏は嬉しそうに言った。
その素直な笑顔に、煜瑾は自分が兄侯爵に愛されているのと同じく、小敏も父将軍に愛されて育ったのだなあと、互いに共通点を見つけて嬉しくなった。
「とにかく食べてみて。兄上からのせっかくの差し入れだ」
煜瑾が少し照れたように言うと、小敏は無邪気に頷き、箸を取った。
小敏は最初に、「真っ白なフカフカの丸いもの」に手を着けた。
「わっ!思ったよりフワフワしてる~」
「それは北の華陽の料理で『饅頭(マントウ)』というんだ。中を割ってごらん」
初めての饅頭に興奮気味の小敏が、両手で半分に割ってみると、中から照りのある美味しそうな肉炒めが現れた。
「うわ~」
まるで宝物でも見つけたように、小敏は目を輝かせた。珍しい香辛料の何とも言えないいい匂いがする。それを胸いっぱいに吸って、小敏は我慢できない様子でパクリと一口頬張った。
「美味しいだろう?私も初めて食べた時は驚いたけれど、今では大好物だ。北の華陽では、充分な米が収穫できないので、みんな麦を栽培していて、麦の粉で作った饅頭や麺が主食なんだそうだ」
「ふ~ん」
口いっぱいに肉入り饅頭を含みながらも、小敏は遠い異国の話を興味深そうに聞いた。
「こちらの野菜炒めには南の温国の果物が入っていて、こちらの煮物に入っている芋は珍しいものでとても甘い。この団子は肉ではなくて魚を使っていて…」
これほどに喜んでもらえるのが嬉しくて、煜瑾も自分が食べるのを忘れて料理の説明をする。小敏もそれにいちいち頷きながら、せっせと口に運んでいるので、ずっとモグモグしっぱなしだ。
「ねえ、煜瑾侯弟?」
「なにか?」
一息ついた小敏が、楽しそうに笑いながら煜瑾に言った。
「友達との食事って、楽しいね」
「え?」
屈託なく言った小敏の一言に、煜瑾は胸を突かれる思いだった。