【包文維】ルート
包文維は、誰もが羨む恭王殿下の天幕内で、心配そうに羽小敏の姿ばかりを追っていた。
「好(いいぞ)!」「太棒了(素晴らしい)!」
廷振王子と羽小敏の組は、先ほどから喝采を受けている。
見事な手綱さばきで敵を追いかけ、球を奪い、鮮やかに味方同士で繋ぎ、誰にも真似ることが出来ぬほど遠くから自陣へと打ち込む。
しかも、敵の隙を狙うような姑息な手は使わず、正々堂々と自分たちの技術だけで戦う姿が大いに褒めたたえられていた。
「やはり、羽小敏はこの世代で一番の…」
ご機嫌な恭王が目を細めて言ったその時だった。
「小敏!」
敵の球棒を馬上でするりと小敏が避けた直後だった。
その球棒が小敏の愛馬の手綱に引っ掛かり、驚いた馬は前脚をあげ、後ろ脚で立ち上がる。
「わ~っ!」
そのまま均衡を保てなくなった小敏は、何とか手綱を引き戻そうとしたが、そのまま馬から落ちてしまった。
「待ちなさい、文維!」
止める声も聞かず、包文維は試合中の馬場に駆け込んだ。
手綱が絡まり、小敏は落馬した後も馬に引きずられていた。
走り寄った文維は、馬の様子を窺いながら、手綱と小敏をうまく抱え込み、何とか馬の脚を止めようとした。
すぐに気が付いた廷振王子も駆け付け、馬上から小敏の馬を収めようとする。
「…文維、兄上…」
途切れ途切れの息の中、包文維の腕の中で小敏はようやくそれだけを言った。
なんとか廷振王子が馬を停止させ、包文維が絡まった手綱を小敏から外した。
線の細い文人としか見えない包文維であったが、その実しっかりと鍛錬も欠かしておらず、ぐったりとした小敏を軽々と抱きかかえると、落ち着いた足取りで恭王の天幕に戻って来た。
「太医をここへ」
「お水を飲ませて!」
恭王や安楽県主が動揺する中、小敏を寝かせた文維は、小敏の頭から四肢に手を這わせた。
「打ち身は強いようだが、骨が折れた様子も無い。大人しくしておれば、数日で治るよ」
そう言って文維はいつものような柔和な笑みを浮かべた。
「あ、兄上ぇ…」
泣きそうな小敏を、もう一度抱きかかえ、慰めようと何度も頭を撫でてやる包文維だった。
「大丈夫か、小敏!」
馬を任せた廷振王子が、恭王の天幕に飛び込んできた。
「だ、大丈夫です…、廷振兄上…」
目には涙をいっぱいに溜めながら、気丈にも小敏は起き上がろうとした。それを文維は腕の中に引き留めた。
「ボク、最後まで試合に出ます。もうちょっとで優勝なのに…」
唇を噛み締め、痛みに耐えながら、小敏は廷振王子に必死に訴えた。だが、血の気が引いて青白い顔をした小敏を見て、廷振王子が首を縦に振るわけが無かった。
「だって、ボクのせいで廷振兄上が優勝を逃してしまう…。兄上の無敗の記録が…」
そこまで言って、さすがに堪え切れずに小敏は涙で頬を濡らした。それが健気で、哀れで、恭王や安楽県主までが同情して目頭を押さえる。
「私の記録など、何の意味もない。小敏の体の方が…」
「私が代わりに出ます」
深刻な表情をしていた廷振王子に、毅然とした包文維が申し出た。
「文維兄上!」「文維!」
周囲から非難めいた声が上がるが、文維は動じる様子も無く、じっと廷振王子を見詰めていた。
「ここで廷振王子を敗者にしては、小敏が哀れです。私が代わって廷振王子に優勝していただきます」
「兄上…」
困惑した瞳で、それでも自分に縋るような小敏に、包文維は強い視線で頷いた。
「廷振王子、お願いします。小敏のために、最後まで試合を続けて下さい」
「……」
羽小敏のひたむきさと、包文維の気迫に、廷振王子も考え込んでいたが、やがてニヤリとすると、小敏が取り落とした球棒を包文維にグイと押し付けた。
「私と組む以上、優勝しかないぞ」
「はい」
そういうと、包文維は抱きかかえていた小敏を駆け付けた太医に任せ、立ち上がった。
「很帅(カッコイイ)!」「太好了(ステキ)!」
包文維が際どい角度から自陣へ球を打ち込むと、試合を見物に来ていた貴族の娘たちが歓声をあげた。
華奢に見えた包文維だったが、先ほどは羽小敏を抱きかかえ、馬球では長身を活かしたしなやかな動きで、天才的とも言われる顧廷振王子の攻守を見事に補佐した。
「包文維さま、ステキね~」
安瑶一番の馬球の腕を知られている顧廷振ではあったが、一方で妓楼通いの女ったらしという評判も高い。
それに比べて、まだ若く、科挙を目指す、しかも状元も夢では無いという真面目な優等生と思われた包文維が、馬球が得意な一面も見せたとなれば、若い娘たちも夢中になって当然だ。しかも、恭王の孫であり、礼部尚書の一人息子でもあるという家柄の良さに加え、知的で精緻な顔立ちもさらに注目を集める。
「優勝は、黄旗組、顧廷振と包文維の組~!」
審判長が大きな声で宣言すると、黄色い歓声がひときわ大きくなった。
翌朝、羽家の小敏の寝室で、包文維は粥をすくい、フーッと息を掛けて冷ましていた。
「ほら、お食べ」
「もう、子供じゃないってば…」
昨夜は落馬の衝撃のせいで、高熱に苦しんだ小敏だった。
それを、文維が一晩中、頭を冷やす布を取り換え、水を飲ませ、体を拭き、大量の汗を吸った衣類を着替えさせ、薬を飲ませ続けた。
朝になり、ようやく熱も収まり、目を覚ました小敏に文維が朝食を食べさせているところだった。
子供扱いされて恥ずかしそうな小敏は、なかなか口を開けようとはしない。
「いいから、ほら、あ~ん、して」
「…あ~ん」
結局、子供の頃から甘やかされることに慣れている小敏は、文維に食べさせてもらおうと口を開く。
「いい子だね、小敏。怪我をしたのは可哀想だったが、酷い怪我にならなくて本当に良かった」
いつものように優しく、温厚な文維に、小敏も気持ちが落ち着くのを感じた。
「兄上が、試合に出てボクの代わりに優勝してくれて、とっても嬉しかった。やっぱり、ボクの『兄上』は、文維兄上だけ」
そう言うと小敏は、もう一度あ~んと大きな口を開けた。
「調子の良い事だな」
文維はそう言って、粥をもう一匙、小敏の口に運んだ。
「好(いいぞ)!」「太棒了(素晴らしい)!」
廷振王子と羽小敏の組は、先ほどから喝采を受けている。
見事な手綱さばきで敵を追いかけ、球を奪い、鮮やかに味方同士で繋ぎ、誰にも真似ることが出来ぬほど遠くから自陣へと打ち込む。
しかも、敵の隙を狙うような姑息な手は使わず、正々堂々と自分たちの技術だけで戦う姿が大いに褒めたたえられていた。
「やはり、羽小敏はこの世代で一番の…」
ご機嫌な恭王が目を細めて言ったその時だった。
「小敏!」
敵の球棒を馬上でするりと小敏が避けた直後だった。
その球棒が小敏の愛馬の手綱に引っ掛かり、驚いた馬は前脚をあげ、後ろ脚で立ち上がる。
「わ~っ!」
そのまま均衡を保てなくなった小敏は、何とか手綱を引き戻そうとしたが、そのまま馬から落ちてしまった。
「待ちなさい、文維!」
止める声も聞かず、包文維は試合中の馬場に駆け込んだ。
手綱が絡まり、小敏は落馬した後も馬に引きずられていた。
走り寄った文維は、馬の様子を窺いながら、手綱と小敏をうまく抱え込み、何とか馬の脚を止めようとした。
すぐに気が付いた廷振王子も駆け付け、馬上から小敏の馬を収めようとする。
「…文維、兄上…」
途切れ途切れの息の中、包文維の腕の中で小敏はようやくそれだけを言った。
なんとか廷振王子が馬を停止させ、包文維が絡まった手綱を小敏から外した。
線の細い文人としか見えない包文維であったが、その実しっかりと鍛錬も欠かしておらず、ぐったりとした小敏を軽々と抱きかかえると、落ち着いた足取りで恭王の天幕に戻って来た。
「太医をここへ」
「お水を飲ませて!」
恭王や安楽県主が動揺する中、小敏を寝かせた文維は、小敏の頭から四肢に手を這わせた。
「打ち身は強いようだが、骨が折れた様子も無い。大人しくしておれば、数日で治るよ」
そう言って文維はいつものような柔和な笑みを浮かべた。
「あ、兄上ぇ…」
泣きそうな小敏を、もう一度抱きかかえ、慰めようと何度も頭を撫でてやる包文維だった。
「大丈夫か、小敏!」
馬を任せた廷振王子が、恭王の天幕に飛び込んできた。
「だ、大丈夫です…、廷振兄上…」
目には涙をいっぱいに溜めながら、気丈にも小敏は起き上がろうとした。それを文維は腕の中に引き留めた。
「ボク、最後まで試合に出ます。もうちょっとで優勝なのに…」
唇を噛み締め、痛みに耐えながら、小敏は廷振王子に必死に訴えた。だが、血の気が引いて青白い顔をした小敏を見て、廷振王子が首を縦に振るわけが無かった。
「だって、ボクのせいで廷振兄上が優勝を逃してしまう…。兄上の無敗の記録が…」
そこまで言って、さすがに堪え切れずに小敏は涙で頬を濡らした。それが健気で、哀れで、恭王や安楽県主までが同情して目頭を押さえる。
「私の記録など、何の意味もない。小敏の体の方が…」
「私が代わりに出ます」
深刻な表情をしていた廷振王子に、毅然とした包文維が申し出た。
「文維兄上!」「文維!」
周囲から非難めいた声が上がるが、文維は動じる様子も無く、じっと廷振王子を見詰めていた。
「ここで廷振王子を敗者にしては、小敏が哀れです。私が代わって廷振王子に優勝していただきます」
「兄上…」
困惑した瞳で、それでも自分に縋るような小敏に、包文維は強い視線で頷いた。
「廷振王子、お願いします。小敏のために、最後まで試合を続けて下さい」
「……」
羽小敏のひたむきさと、包文維の気迫に、廷振王子も考え込んでいたが、やがてニヤリとすると、小敏が取り落とした球棒を包文維にグイと押し付けた。
「私と組む以上、優勝しかないぞ」
「はい」
そういうと、包文維は抱きかかえていた小敏を駆け付けた太医に任せ、立ち上がった。
「很帅(カッコイイ)!」「太好了(ステキ)!」
包文維が際どい角度から自陣へ球を打ち込むと、試合を見物に来ていた貴族の娘たちが歓声をあげた。
華奢に見えた包文維だったが、先ほどは羽小敏を抱きかかえ、馬球では長身を活かしたしなやかな動きで、天才的とも言われる顧廷振王子の攻守を見事に補佐した。
「包文維さま、ステキね~」
安瑶一番の馬球の腕を知られている顧廷振ではあったが、一方で妓楼通いの女ったらしという評判も高い。
それに比べて、まだ若く、科挙を目指す、しかも状元も夢では無いという真面目な優等生と思われた包文維が、馬球が得意な一面も見せたとなれば、若い娘たちも夢中になって当然だ。しかも、恭王の孫であり、礼部尚書の一人息子でもあるという家柄の良さに加え、知的で精緻な顔立ちもさらに注目を集める。
「優勝は、黄旗組、顧廷振と包文維の組~!」
審判長が大きな声で宣言すると、黄色い歓声がひときわ大きくなった。
翌朝、羽家の小敏の寝室で、包文維は粥をすくい、フーッと息を掛けて冷ましていた。
「ほら、お食べ」
「もう、子供じゃないってば…」
昨夜は落馬の衝撃のせいで、高熱に苦しんだ小敏だった。
それを、文維が一晩中、頭を冷やす布を取り換え、水を飲ませ、体を拭き、大量の汗を吸った衣類を着替えさせ、薬を飲ませ続けた。
朝になり、ようやく熱も収まり、目を覚ました小敏に文維が朝食を食べさせているところだった。
子供扱いされて恥ずかしそうな小敏は、なかなか口を開けようとはしない。
「いいから、ほら、あ~ん、して」
「…あ~ん」
結局、子供の頃から甘やかされることに慣れている小敏は、文維に食べさせてもらおうと口を開く。
「いい子だね、小敏。怪我をしたのは可哀想だったが、酷い怪我にならなくて本当に良かった」
いつものように優しく、温厚な文維に、小敏も気持ちが落ち着くのを感じた。
「兄上が、試合に出てボクの代わりに優勝してくれて、とっても嬉しかった。やっぱり、ボクの『兄上』は、文維兄上だけ」
そう言うと小敏は、もう一度あ~んと大きな口を開けた。
「調子の良い事だな」
文維はそう言って、粥をもう一匙、小敏の口に運んだ。
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