序幕故事(プロローグ)篇
父将軍と小敏の朝餉の途中、羽家の執事である六槐 が来客を告げた。
六槐は、元は戦場での将軍の兵卒であったのだが、将軍を庇って怪我をし、戦地に出られなくなったため、将軍の自宅で侍従として働くようになったのだ。それが今では、屋敷内の全てを仕切る執事として仕えていた。
「包家の若様です」
六槐の言葉に、将軍は鷹揚に頷いた。
「包文維 であれば、好きに通せ」
からからと陽気に笑いながら、将軍は食事を続ける。小敏といえば、一応目上を迎えることから一度箸を置いた。
「お食事中、失礼します」
将軍の居室に入って来たのは、背が高く理知的で清々しい青年だった。
「文維、すまぬな。小敏にはすぐに仕度をさせるゆえ…」
汁物をすすりながら、腹を割った態度で将軍は包文維に席を勧める。
「いえ、私塾に行くのはまだ早いのです。初日から小敏が寝過ごしてはいけないと起こしに来ただけですから」
そう言ってからかうように小敏を見た文維は、意地悪というより、楽し気な兄の眼差しだった。
「もう、文維兄上ってば!ボクはもう、そんな子供じゃありませんからね」
プイと膨れて、再び箸を取った羽小敏の「子供っぽい」ところに、笑いを誘われながら、文維公子は六槐の勧める碗と匙を受け取った。
碗の中は、梅の実を甘く煮出した汁で、広大な梅園を持つ羽将軍家の自慢の飲物だ。
夏場に井戸で冷やしたこの梅汁でもてなされることを、羽家を訪れる客は誰しもが期待をする。
しかも独自の調理法があるとかで、例え王宮の梅園の実を使い、王室お抱えの厨師が腕を揮っても、この羽家の梅汁には敵わないと評判だった。
「今年も、この梅汁がいただけるとは、ありがたいことです」
羽小敏とは一つ違いの十七歳の文維だが、神童と謡われるほどだけあって随分と落ち着いて大人びている。
「なになに、侯爵家の私塾に小敏のような子供が通えるのも、そなたら父子の口利きのおかげと存じておる。それの礼が碗一杯の梅汁では申し訳ないがな」
将軍はそう言って豪快に笑い、自分もまた梅汁の碗を六槐から受け取った。
「今年の梅は豊作で、実も大きく、実に美味い汁が出来た」
将軍が満足げに言うと、六槐が慎み深く口を開いた。
「僅かではございますが、梁寧侯爵家へ梅汁を五甕ほどご用意しました」
「それは!貴重な羽家の梅汁を五甕も贈られるとは、剛毅なことですね、羽伯伯 」
文維はそこまで言って、急いで朝食を片付ける小敏に、優しい眼差しを注いだ。
「それも可愛い小敏のためでございますか」
長男を失った失意の将軍が、この次男を目に入れても痛くないほど可愛がっていることを、文維だけでなく包家の人間はみんな知っている。
「この後、包家にもお届けします」
六槐が付け足すように言うと、文維は羽将軍だけでなく、羽家執事の六槐でさえ小敏を大事にしているのだと察する。
「それはありがたい。せいぜい羽家の御曹司を大切に扱いますゆえ、ご安心を」
「もう!」
冗談めかして文維がそう答えると、またも子ども扱いされたと小敏が不満をもらす。それを愛し気に見つめ、将軍はしんみりと口を開いた。
「私と、そなたの父・包伯言 が知己の友であった縁で、そなたたち二人も兄弟のようにして育った。本来であれば、小敏には兄があったものを…」
「羽伯伯、私では至らぬこともございますが、亡き羽牧兄上の分までも、小敏を実の弟と思い、いついかなる時も守る所存です」
若くして儚く命を散らせた長男を思い、今でも将軍は胸を痛めている。唯一の慰めが小敏だとは言え、喪った者の大きさは何かで埋めることはできぬのだ。
「私が戦場に出ている間、小敏は包家が引き取り面倒を見てくれた。文維、お前を始め包家の人間には本当に感謝しておる」
「とんでもございません、羽伯伯。私こそ、羽小敏のおかげで、弟というものが、どういうものか知ることができました」
聡明な包文維には将軍の痛み、哀しみが十分に理解できた。それと同時に、将軍のためにも羽小敏がいつも明るく幸せでいて欲しいと思うのだ。
「ご覧の通り、小敏はまだまだ子供だ。この先も宜しく頼んだぞ」
「及ばずながら、精一杯…」
二人の「おとな」が交わす言葉に、またも小敏は不満を覚える。
「だから~、僕は子供じゃないですってば!」
ふくれっ面の小敏に、羽将軍に包文維、それに六槐までもが大笑いをし、明るく楽しい羽家の朝食は終わった。
「さあ、包家の馬車が待っている。そろそろ侯爵家へ参ろう」
そう言って包文維が立ち上がると、六槐が、小敏が私塾で使う勉強道具が入った包みを持った。
「自分で持つよ」
小敏はそう言うが、六槐は頑として馬車まで見送ると言って聞かない。仕方なく小敏もそれを許した。六槐はまるで母のように小敏の世話を焼きたがるのだ。
「それでは、ただいまより行って参ります」
「父上、行って参ります!」
包文維と羽小敏が、並んで将軍に挨拶の礼をする。その礼儀正しさに、将軍も満足げに頷いた。
「うむ。しっかりと学んでくるのだぞ。蘇 老師や梁寧侯爵に無礼の無いようにな」
「はい!」
こうして、羽小敏の私塾での学びの初日が始まろうとしていた。
六槐は、元は戦場での将軍の兵卒であったのだが、将軍を庇って怪我をし、戦地に出られなくなったため、将軍の自宅で侍従として働くようになったのだ。それが今では、屋敷内の全てを仕切る執事として仕えていた。
「包家の若様です」
六槐の言葉に、将軍は鷹揚に頷いた。
「
からからと陽気に笑いながら、将軍は食事を続ける。小敏といえば、一応目上を迎えることから一度箸を置いた。
「お食事中、失礼します」
将軍の居室に入って来たのは、背が高く理知的で清々しい青年だった。
「文維、すまぬな。小敏にはすぐに仕度をさせるゆえ…」
汁物をすすりながら、腹を割った態度で将軍は包文維に席を勧める。
「いえ、私塾に行くのはまだ早いのです。初日から小敏が寝過ごしてはいけないと起こしに来ただけですから」
そう言ってからかうように小敏を見た文維は、意地悪というより、楽し気な兄の眼差しだった。
「もう、文維兄上ってば!ボクはもう、そんな子供じゃありませんからね」
プイと膨れて、再び箸を取った羽小敏の「子供っぽい」ところに、笑いを誘われながら、文維公子は六槐の勧める碗と匙を受け取った。
碗の中は、梅の実を甘く煮出した汁で、広大な梅園を持つ羽将軍家の自慢の飲物だ。
夏場に井戸で冷やしたこの梅汁でもてなされることを、羽家を訪れる客は誰しもが期待をする。
しかも独自の調理法があるとかで、例え王宮の梅園の実を使い、王室お抱えの厨師が腕を揮っても、この羽家の梅汁には敵わないと評判だった。
「今年も、この梅汁がいただけるとは、ありがたいことです」
羽小敏とは一つ違いの十七歳の文維だが、神童と謡われるほどだけあって随分と落ち着いて大人びている。
「なになに、侯爵家の私塾に小敏のような子供が通えるのも、そなたら父子の口利きのおかげと存じておる。それの礼が碗一杯の梅汁では申し訳ないがな」
将軍はそう言って豪快に笑い、自分もまた梅汁の碗を六槐から受け取った。
「今年の梅は豊作で、実も大きく、実に美味い汁が出来た」
将軍が満足げに言うと、六槐が慎み深く口を開いた。
「僅かではございますが、梁寧侯爵家へ梅汁を五甕ほどご用意しました」
「それは!貴重な羽家の梅汁を五甕も贈られるとは、剛毅なことですね、羽
文維はそこまで言って、急いで朝食を片付ける小敏に、優しい眼差しを注いだ。
「それも可愛い小敏のためでございますか」
長男を失った失意の将軍が、この次男を目に入れても痛くないほど可愛がっていることを、文維だけでなく包家の人間はみんな知っている。
「この後、包家にもお届けします」
六槐が付け足すように言うと、文維は羽将軍だけでなく、羽家執事の六槐でさえ小敏を大事にしているのだと察する。
「それはありがたい。せいぜい羽家の御曹司を大切に扱いますゆえ、ご安心を」
「もう!」
冗談めかして文維がそう答えると、またも子ども扱いされたと小敏が不満をもらす。それを愛し気に見つめ、将軍はしんみりと口を開いた。
「私と、そなたの父・
「羽伯伯、私では至らぬこともございますが、亡き羽牧兄上の分までも、小敏を実の弟と思い、いついかなる時も守る所存です」
若くして儚く命を散らせた長男を思い、今でも将軍は胸を痛めている。唯一の慰めが小敏だとは言え、喪った者の大きさは何かで埋めることはできぬのだ。
「私が戦場に出ている間、小敏は包家が引き取り面倒を見てくれた。文維、お前を始め包家の人間には本当に感謝しておる」
「とんでもございません、羽伯伯。私こそ、羽小敏のおかげで、弟というものが、どういうものか知ることができました」
聡明な包文維には将軍の痛み、哀しみが十分に理解できた。それと同時に、将軍のためにも羽小敏がいつも明るく幸せでいて欲しいと思うのだ。
「ご覧の通り、小敏はまだまだ子供だ。この先も宜しく頼んだぞ」
「及ばずながら、精一杯…」
二人の「おとな」が交わす言葉に、またも小敏は不満を覚える。
「だから~、僕は子供じゃないですってば!」
ふくれっ面の小敏に、羽将軍に包文維、それに六槐までもが大笑いをし、明るく楽しい羽家の朝食は終わった。
「さあ、包家の馬車が待っている。そろそろ侯爵家へ参ろう」
そう言って包文維が立ち上がると、六槐が、小敏が私塾で使う勉強道具が入った包みを持った。
「自分で持つよ」
小敏はそう言うが、六槐は頑として馬車まで見送ると言って聞かない。仕方なく小敏もそれを許した。六槐はまるで母のように小敏の世話を焼きたがるのだ。
「それでは、ただいまより行って参ります」
「父上、行って参ります!」
包文維と羽小敏が、並んで将軍に挨拶の礼をする。その礼儀正しさに、将軍も満足げに頷いた。
「うむ。しっかりと学んでくるのだぞ。
「はい!」
こうして、羽小敏の私塾での学びの初日が始まろうとしていた。