一起吃面 ~2人でパスタを~
「玉ねぎは透明になったら充分。そこにトマトの賽 の目切りを入れて…」
賽の目というより、単にザクザク切っただけのように、威軍には見えるが、フライパンに入れてしまえば、煮崩れてしまい、サイズは関係ないのだろう。
野菜を炒めて、次は?と威軍が見れば、なんと志津真は缶詰の蓋を開けていた。何かと覗き見ると、その缶詰は志津真が日本から持ち帰ったサバ味噌煮缶だった。
「サバですか?しかも、味噌煮?」
意外な組み合わせに、ギョッとした様子の威軍が、志津真には珍しく、面白くてならない。
「そやで。水煮缶より、味噌煮缶の方がトマトソースには合うねん」
野菜から染み出た水分に、缶詰の汁まで加え、すでにソースらしいベースが出来ていた。
「で、砂糖をちょっと入れて、胡椒も。で、しばらく煮ておいて…」
志津真は慌ただしく冷蔵庫から、適当な調味料を出して来る。
「あと何分?」
志津真に聞かれ、急いで威軍は自分の腕時計を確認する。
「あと3分半くらいです」
「よしよし…」
満足げな志津真は、最後の仕上げに掛かる。
日本製のトマトケチャップとウスターソースと、飲み残していた赤ワインを適当に入れると、味見用の柄の長いスプーンでちょっと掬い、味見をするとちょっと首を傾げ、ケチャップを少し足した。
「上海にも日本ブランドの調味料は売ってるけど、やっぱりなんか味が違うよな。慣れてるせいかもしれへんけど、ケチャップとソースとマヨネーズは日本のやないと!あと、醤油も!」
もっともらしい自説を披露すると、志津真は自信たっぷりに威軍に味見スプーンを差し出した。
「どない?」
「え?あ…ん、…!…美味しい…」
戸惑いながらひと口食べた威軍は、そのシンプルで、調った味に感激した。あまり魚が得意ではない中国人の威軍にとって、サバ缶の魚臭さが不安だったが、ニンニクのせいか気にならない。
「あ、ウェイウェイは辛いのが好きやろ?冷蔵庫のタバスコ使ったら、もっと美味しいかもな」
人好きのする愛想のいい笑顔で志津真が言うと、そんな風に自分のことを気遣ってくれる優しさが嬉しくて、威軍は同じトマトソースの香る唇を志津真のそれと重ねた。
「貴方と同じ物をいただきます」
「ウェイ…」
元来の美貌に磨きをかけるような柔和な笑みを浮かべた、まるで天使のような恋人に、志津真は心を蕩とろけさせる。キス1つでは物足りず、もっと続きを、と志津真が身を乗り出した瞬間、威軍がスルリと身を翻した。
「9分経たちました!」
「ウェイ…。いや…、まあ…」
肩透かしを食らって、ガッカリした志津真だが、これから最愛の恋人に出来立ての手作りのパスタを食べさせることが出来るのだと思い直した。
「俺、湯切りするから、皿とフォークを出して」
志津真が言う頃には、威軍はすでに、この服務式公寓に備え付けの皿が入った棚を開けていた。
広いダイニングテーブルに、トマトソースの掛かったパスタの皿が2枚だけ並んだ質素な夕食だった。少し飲み残していた赤ワインはソースに使ってしまったので、冷蔵庫に眠っていた安い白ワインを開けた。
6人掛けのダイニングテーブルに向かい合わせに座った2人は、手を伸ばしてグラスを合わせ、微笑み合ってからワインを飲んだ。
「安いけど、まあまあやな。マスカットの鮮度があって、甘口やけど爽やかなブドウジュースっぽい」
褒めているのか、貶なしているのか、志津真は言いたいように言って、それでも味は気に入ったらしく、あっと言う間に半分を飲んでしまった。
「では、いただきます」
「いただきます」
いつでも、志津真はちゃんと手を合わせて「いただきます」という。こういうところに育ちの良さというか、行儀の良さが現れていて、志津真が多くの人に好感を持たれる理由だった。
そんな志津真の影響で、威軍はもちろん、職場で一緒にランチをすることが多い営業部員までが、日本人でなくても手を合わせる習慣が身についてきていた。この習慣が、クライアントにも評判が良かった。
「どや?」
まだ湯気の上がる出来立てのスパゲッティを口に運ぶ威軍を、じっと見詰めていた志津真が、思わず声を掛ける。
「美味しいです。貴方の手料理はいつも簡単そうですが、美味しい家庭料理ばかりなので、本当に嬉しいです」
トマトソースでキラリと照りの出た唇が、どこか悩ましくて、志津真は料理を褒められたことに加えて動悸が上がる。
「まあ、ウェイウェイの水餃子ほど手間は掛けてへんから、大したこと無いけどな」
以前に、わざわざ志津真のために用意してくれた、威軍の祖母仕込みの伝統的な中国家庭料理である水餃子を思い出して、さすがの志津真も照れる。その照れ隠しのためなのか、志津真は珍しく自分の学生時代の話を始めた。
「俺は、大学時代に東京でオヤジの官舎に居候してたから、食事の仕度とかさせられててん。オカンにも、ソレ用にって簡単なものばっかり仕込まれたんや」
志津真の父は外務省の職員で、大阪に自宅はあったものの、東京の公務員官舎に単身赴任をしていたらしい。大阪の高校を出た志津真は、東京の大学に進学し、気ままな下宿生活にも憧れたが、母の反対を受け、父の官舎で一緒に暮らすことになったのだった。
母にしてみれば、夫と息子の互いを見張らせることで、どちらも自分の管理下に置こうという魂胆だった。実際それは思惑通りにうまくいった。
「お父様は、外交官だったのでしょう?世界中を回られて、さぞグルメだったのでは?」
威軍は、いつか職場のランチの時に、他愛も無いおしゃべりの中で、そんな話を聞いたような気がしていた。
「いやいや、外交官やなくて、端なる外務省からの出向職員やから。案外、貧乏舌で、砂糖と塩を間違えて出しても分からんような人やって、オカンが嘆いてた」
真面目で、典型的なエリート公務員と言った風貌の志津真の父だったが、実は志津真が言うような「貧乏舌」というより、仕事以外では与えられた物をそのまま受け入れる天然ボケのところがある人だった。誰よりも仕事ができる有能さを持ちながら、どこか憎めないギャップが多くの人から愛され、そのチャーミングな個性を受け継いだ志津真もまた、「人たらし」と呼ばれるほど人々を魅了するのだ。
2人は、疲れも忘れたように、食事を続け、明るく、楽しく笑い合った。
「同じ物食べて、一緒に美味しいなって思えて、一緒に笑えるって、ホンマに幸せやな。その相手がウェイウェイで、俺はホンマに嬉しいよ」
「志津真…」
ほろ酔いとは言え、志津真の言葉に嘘は無かった。それを知っているからこそ、威軍もまた胸を熱くする。
「俺は手近にあるもので適当にやってるように見えるかもしれへんけど、出来上がりは間違いないやろ?」
「?」
威軍のように聡明で、日本語に堪能な者であっても、いかにも日本的な婉曲表現はまだまだ理解しにくい。特に加瀬志津真は官僚出身だけあって、日本人でもまごつくような言い回しが得意なのだ。
「それって、私の事を…、私たちの事を言っていますか?」
率直に聞き返した威軍に、志津真は笑って答えなかった。
今夜は2人は、志津真の主寝室にある、シルクのシーツが敷かれたダブルベッドで一緒に眠るのだった。
《おしまい》
賽の目というより、単にザクザク切っただけのように、威軍には見えるが、フライパンに入れてしまえば、煮崩れてしまい、サイズは関係ないのだろう。
野菜を炒めて、次は?と威軍が見れば、なんと志津真は缶詰の蓋を開けていた。何かと覗き見ると、その缶詰は志津真が日本から持ち帰ったサバ味噌煮缶だった。
「サバですか?しかも、味噌煮?」
意外な組み合わせに、ギョッとした様子の威軍が、志津真には珍しく、面白くてならない。
「そやで。水煮缶より、味噌煮缶の方がトマトソースには合うねん」
野菜から染み出た水分に、缶詰の汁まで加え、すでにソースらしいベースが出来ていた。
「で、砂糖をちょっと入れて、胡椒も。で、しばらく煮ておいて…」
志津真は慌ただしく冷蔵庫から、適当な調味料を出して来る。
「あと何分?」
志津真に聞かれ、急いで威軍は自分の腕時計を確認する。
「あと3分半くらいです」
「よしよし…」
満足げな志津真は、最後の仕上げに掛かる。
日本製のトマトケチャップとウスターソースと、飲み残していた赤ワインを適当に入れると、味見用の柄の長いスプーンでちょっと掬い、味見をするとちょっと首を傾げ、ケチャップを少し足した。
「上海にも日本ブランドの調味料は売ってるけど、やっぱりなんか味が違うよな。慣れてるせいかもしれへんけど、ケチャップとソースとマヨネーズは日本のやないと!あと、醤油も!」
もっともらしい自説を披露すると、志津真は自信たっぷりに威軍に味見スプーンを差し出した。
「どない?」
「え?あ…ん、…!…美味しい…」
戸惑いながらひと口食べた威軍は、そのシンプルで、調った味に感激した。あまり魚が得意ではない中国人の威軍にとって、サバ缶の魚臭さが不安だったが、ニンニクのせいか気にならない。
「あ、ウェイウェイは辛いのが好きやろ?冷蔵庫のタバスコ使ったら、もっと美味しいかもな」
人好きのする愛想のいい笑顔で志津真が言うと、そんな風に自分のことを気遣ってくれる優しさが嬉しくて、威軍は同じトマトソースの香る唇を志津真のそれと重ねた。
「貴方と同じ物をいただきます」
「ウェイ…」
元来の美貌に磨きをかけるような柔和な笑みを浮かべた、まるで天使のような恋人に、志津真は心を蕩とろけさせる。キス1つでは物足りず、もっと続きを、と志津真が身を乗り出した瞬間、威軍がスルリと身を翻した。
「9分経たちました!」
「ウェイ…。いや…、まあ…」
肩透かしを食らって、ガッカリした志津真だが、これから最愛の恋人に出来立ての手作りのパスタを食べさせることが出来るのだと思い直した。
「俺、湯切りするから、皿とフォークを出して」
志津真が言う頃には、威軍はすでに、この服務式公寓に備え付けの皿が入った棚を開けていた。
広いダイニングテーブルに、トマトソースの掛かったパスタの皿が2枚だけ並んだ質素な夕食だった。少し飲み残していた赤ワインはソースに使ってしまったので、冷蔵庫に眠っていた安い白ワインを開けた。
6人掛けのダイニングテーブルに向かい合わせに座った2人は、手を伸ばしてグラスを合わせ、微笑み合ってからワインを飲んだ。
「安いけど、まあまあやな。マスカットの鮮度があって、甘口やけど爽やかなブドウジュースっぽい」
褒めているのか、貶なしているのか、志津真は言いたいように言って、それでも味は気に入ったらしく、あっと言う間に半分を飲んでしまった。
「では、いただきます」
「いただきます」
いつでも、志津真はちゃんと手を合わせて「いただきます」という。こういうところに育ちの良さというか、行儀の良さが現れていて、志津真が多くの人に好感を持たれる理由だった。
そんな志津真の影響で、威軍はもちろん、職場で一緒にランチをすることが多い営業部員までが、日本人でなくても手を合わせる習慣が身についてきていた。この習慣が、クライアントにも評判が良かった。
「どや?」
まだ湯気の上がる出来立てのスパゲッティを口に運ぶ威軍を、じっと見詰めていた志津真が、思わず声を掛ける。
「美味しいです。貴方の手料理はいつも簡単そうですが、美味しい家庭料理ばかりなので、本当に嬉しいです」
トマトソースでキラリと照りの出た唇が、どこか悩ましくて、志津真は料理を褒められたことに加えて動悸が上がる。
「まあ、ウェイウェイの水餃子ほど手間は掛けてへんから、大したこと無いけどな」
以前に、わざわざ志津真のために用意してくれた、威軍の祖母仕込みの伝統的な中国家庭料理である水餃子を思い出して、さすがの志津真も照れる。その照れ隠しのためなのか、志津真は珍しく自分の学生時代の話を始めた。
「俺は、大学時代に東京でオヤジの官舎に居候してたから、食事の仕度とかさせられててん。オカンにも、ソレ用にって簡単なものばっかり仕込まれたんや」
志津真の父は外務省の職員で、大阪に自宅はあったものの、東京の公務員官舎に単身赴任をしていたらしい。大阪の高校を出た志津真は、東京の大学に進学し、気ままな下宿生活にも憧れたが、母の反対を受け、父の官舎で一緒に暮らすことになったのだった。
母にしてみれば、夫と息子の互いを見張らせることで、どちらも自分の管理下に置こうという魂胆だった。実際それは思惑通りにうまくいった。
「お父様は、外交官だったのでしょう?世界中を回られて、さぞグルメだったのでは?」
威軍は、いつか職場のランチの時に、他愛も無いおしゃべりの中で、そんな話を聞いたような気がしていた。
「いやいや、外交官やなくて、端なる外務省からの出向職員やから。案外、貧乏舌で、砂糖と塩を間違えて出しても分からんような人やって、オカンが嘆いてた」
真面目で、典型的なエリート公務員と言った風貌の志津真の父だったが、実は志津真が言うような「貧乏舌」というより、仕事以外では与えられた物をそのまま受け入れる天然ボケのところがある人だった。誰よりも仕事ができる有能さを持ちながら、どこか憎めないギャップが多くの人から愛され、そのチャーミングな個性を受け継いだ志津真もまた、「人たらし」と呼ばれるほど人々を魅了するのだ。
2人は、疲れも忘れたように、食事を続け、明るく、楽しく笑い合った。
「同じ物食べて、一緒に美味しいなって思えて、一緒に笑えるって、ホンマに幸せやな。その相手がウェイウェイで、俺はホンマに嬉しいよ」
「志津真…」
ほろ酔いとは言え、志津真の言葉に嘘は無かった。それを知っているからこそ、威軍もまた胸を熱くする。
「俺は手近にあるもので適当にやってるように見えるかもしれへんけど、出来上がりは間違いないやろ?」
「?」
威軍のように聡明で、日本語に堪能な者であっても、いかにも日本的な婉曲表現はまだまだ理解しにくい。特に加瀬志津真は官僚出身だけあって、日本人でもまごつくような言い回しが得意なのだ。
「それって、私の事を…、私たちの事を言っていますか?」
率直に聞き返した威軍に、志津真は笑って答えなかった。
今夜は2人は、志津真の主寝室にある、シルクのシーツが敷かれたダブルベッドで一緒に眠るのだった。
《おしまい》
2/2ページ