アンディの恋シリーズ① ~上海の雨傘~
〈え?やだ~、杏玉 ったら、上海観光もまだなの?〉
午後から、楊杏玉 が歳の近い王妹 と、張おばさんのコンビニの店番をしながら、取り留めのない話をしていた時だった。
楊杏玉が上海に来てから、この街のどこにも言ったことが無いという話になり、王妹は驚いた。
〈ねえ、じゃあ今度一緒に出掛けない?張おばさんに頼まれて、私の古い服とか持って来たけど、杏玉の好みだってあるでしょ?服とか、コスメとか、安いお店、私いっぱい知ってるよ〉
〈へえ~、いいな~〉
楊杏玉の同級生の中には、学校を休んでまでも省都の昆明まで遊びに行ったり、ネット通販で都会的な服や化粧品や可愛い雑貨などを買い集める子もいた。
だが、高校を卒業後、地元の小学校の事務の手伝いをしていた杏玉に、オシャレな洋服やカワイイ雑貨など必要では無かったし、事務員のさらにその補助の安い給料では、自分を着飾るための余分なお金は無かったのだ。
それに、杏玉は地味な自分が着飾っても、誰も喜ばないと思っていた。
〈杏玉は、雲南出身だっけ?私は生まれも育ちも上海っ子よ。街を案内するから、ねえ、一緒に出掛けようよ〉
〈う、うん…〉
杏玉の両親は、広州へ出稼ぎに行っている。雲南省の自宅は、普段、杏玉と小学校の教師をしていた厳格な祖母の2人暮らしだった。
祖母の世話をするため、実家に残っている杏玉は、小学校教員だった祖母のコネで、小学校事務員の補助という仕事に就けたのだ。
〈あ、店番のこと、気にしてる?じゃあ、張おばさんに言って、あと李良 にも私たちの代わりに店に入ってもらうよう頼もうよ〉
王妹は、スゴくいい考えが浮かんだといった表情で、ぼんやりする杏玉の顔を覗き込んだ。
〈李良に?〉
〈そうだよ、今日だって李良の代わりに店番してるんだもん。今度は李良に代わってもらおうよ〉
楽し気に言う王妹に、杏玉の気持ちも少しずつ浮足立った。
〈ね、私たち、友達じゃない!一緒に遊びに行かなくちゃ、本当の友達とは言えないよ〉
王妹に言われて、ためらいながらも杏玉も笑顔で頷いた。
「晩上好(こんばんは)!」
その時、店に入って来たのがアンディだった。
「「歓迎降臨(いらっしゃいませ)!」」
王妹と杏玉が声を揃えてアンディを迎えた。
〈あれ、なんだか2人とも楽しそうだね〉
アンディはいつもの棚から缶ビールを手に取り振り返って言った。
〈そうなの。今度、杏玉と2人で買い物に行くんだ~〉
王妹は嬉しそうに話すが、杏玉は少し恥ずかしそうに俯いている。はしゃいでいる自分を見られるのがイヤなのだろう。
〈へえ~、いいな~。2人だけなの?僕も行きたいなあ〉
気さくにアンディが言うと、杏玉がツンとして返した。
〈まだ、いつ行くか決まってないの〉
そんな杏玉にキョトンとしながらも、王妹は笑ってアンディに言った。
〈だって、平日に行くんだもの。アンディは会社があるでしょう?〉
〈ああ、でも、今週末は休日出勤だから、来週の平日に休みが取れるよ〉
屈託なくニコニコとしてアンディは言った。
〈せっかくの休みに、女子の買物に付き合わなくたって…〉
杏玉が不満そうにそう言った。
その実、アンディと行くのがイヤなのではなく、男性と一緒に買い物に行くなんて初めてなので、戸惑っているのだった。
(下着も買いたいのに…)
杏玉のデリケートな乙女心など気にもかけず、アンディはニコニコと王妹に食い下がる。
〈僕と一緒なら、ランチはおごるよ〉
〈え~っ、本当!じゃあ、一緒でもいいよ、ねえ杏玉〉
上海で初めて出来た友達である王妹の嬉しそうな顔に、乗り気ではなかったものの杏玉もイヤとは言えなくなった。
〈ファストフードじゃイヤよ〉
〈「避風塘」とか?〉
アンディは若い子たちにも人気の、広東風飲茶のレストランチェーンの名を上げた。
〈あそこ、美味しいよね。でも、もうちょっと頑張って欲しい…。だって、杏玉が上海に来た歓迎会だよ〉
〈わ、私はそんな…〉
自分のためにアンディに散財させるなど、杏玉には申し訳なく思えた。上海の物価が、自分の故郷に比べて恐ろしいほど格差があるのを知っていたからだ。
〈じゃあ、ホテルのレストランでも行く?ランチビュッフェなら好きなもの食べられるし〉
日本のホテルでもそうだが、上海のホテルでもランチビュッフェは人気だ。五つ星ホテルのフレンチやイタリアンの高級洋食ビュッフェもあれば、庶民的ホテルの手軽な中華の食べ放題もある。
もちろん、宿泊やディナーには手が届かなくても、ランチビュッフェであれば、ちょっとした贅沢程度の気分で行ける。これもまた、日本と同じ感覚だ。
けれど、王妹のようなまだ若い学生にとっては、五つ星ホテルのビュッフェは憧れだった。
〈ステキ!ねえ、午前中にキレイな服を買って、それを着てホテルのランチに行きたいなあ!〉
王妹はうっとりとした顔で、アンディに甘えるように言った。
〈でも…〉
楊杏玉は、浮かない顔をするが、アンディにはそれが遠慮だと分かっていた。なので、多少強引ではあっても約束を取り付けてしまうことにした。
〈じゃあ、いつにする?君たちに合わせて僕も休みを取るよ〉
アンディがそう言うと、王妹は早速自分のスマホを取り出した。
慣れた様子で連絡先を交換すると、アンディは杏玉を振り返った。
〈はいはい。楊杏玉、君も…〉
〈私、スマホなんて持ってない…〉
杏玉が、困ったように言った。
〈え?ええっ!イマドキ?〉
王妹も信じられないと言った表情で杏玉を振り返るが、本人はただ寂しそうに俯いていた。
〈わ、私だって、地元じゃ持ってたけど!…家を出る時に置いてきたのよ〉
〈そうなんだ…〉
スマホの現在位置情報で居場所が知られるのを恐れてなのか、杏玉は多くの若者が、コレ無しには生きていけないと思っているスマホまで置いて、覚悟の家出をしてきたのだ。
そんな杏玉に、アンディはハッと気づいたように声を上げた。
〈王妹、この店にも本体とSIMカード売ってるよね〉
〈うん〉
中国でのスマホの購入は、日本のそれよりも随分簡単だ。特定の通信会社の販売店などに行かなくても、駅のキヨスクやその辺のコンビニなどでも、本体とプリペイド式のSIMカードさえ買えばすぐに使える。
張おばさんのこのコンビニでも、たまに孫と連絡を取りたいお年寄りなどがフラリと来ては買って行くのだ。
〈一番安いのでいいから、楊杏玉に。支払いは僕がする〉
〈な、何を言ってるのよ、アンディ!私、あなたにそんなことしてもらう理由なんてない!〉
杏玉は、ビックリして大きな声で断ろうとした。
〈だって、君の歓迎会だろ、楊杏玉〉
確かに、日本のスマホに比べてコンビニで売っているようなスマホは格安だ。
日本では料金システムも複雑で、本体も最新モデルにすると、ここで買うスマホの10倍20倍は軽くかかる。
上海 では、アンディほどのレベルの社会人からのプレゼントであれば、それほど恐縮する値段でなく購入することが出来るのだ。
〈さすが、アンディ!ハンサムなのは顔だけじゃないわね〉
王妹に褒められ、アンディは当然だとでも言うようにニッコリ頷いて、杏玉に300元(日本円で約5250円)のスマホとSIMカードを購入した。
もちろんプリペイド式のSIMカードなので使い切ってしまえば、チャージが必要だが、それもこのコンビニで簡単にできるので使い分は杏玉が払えばいい。
それから3人は互いに連絡先を登録し、どのホテルのランチが良いかなど、少し噂話をしていた。
その時、入り口が開き、振り返ると李良が入ってくるところだった。
〈ごめん!ちょっと遅れたかな〉
李良が慌ててレジに近付く。
〈アンディも居たんだ!〉
李良が気付くと、アンディは笑顔で彼を迎えた。
〈今、楊杏玉と連絡先を交換していたんだ〉
アンディがそう言うと、李良も杏玉の方を見た。
〈じゃあ、僕も〉
何の気負いも無しに、李良も杏玉と連絡先を交換した。李良はすでにアンディと王妹の連絡先は知っていたようで、杏玉の連絡先だけを手早く登録すると、優しい笑顔を添え、スマートな言い方で、
〈何かあったら、チャットして〉
と杏玉に親切に言った。
杏玉にはそれが嬉しくて、ただ、頷くことしか出来なかった。
午後から、
楊杏玉が上海に来てから、この街のどこにも言ったことが無いという話になり、王妹は驚いた。
〈ねえ、じゃあ今度一緒に出掛けない?張おばさんに頼まれて、私の古い服とか持って来たけど、杏玉の好みだってあるでしょ?服とか、コスメとか、安いお店、私いっぱい知ってるよ〉
〈へえ~、いいな~〉
楊杏玉の同級生の中には、学校を休んでまでも省都の昆明まで遊びに行ったり、ネット通販で都会的な服や化粧品や可愛い雑貨などを買い集める子もいた。
だが、高校を卒業後、地元の小学校の事務の手伝いをしていた杏玉に、オシャレな洋服やカワイイ雑貨など必要では無かったし、事務員のさらにその補助の安い給料では、自分を着飾るための余分なお金は無かったのだ。
それに、杏玉は地味な自分が着飾っても、誰も喜ばないと思っていた。
〈杏玉は、雲南出身だっけ?私は生まれも育ちも上海っ子よ。街を案内するから、ねえ、一緒に出掛けようよ〉
〈う、うん…〉
杏玉の両親は、広州へ出稼ぎに行っている。雲南省の自宅は、普段、杏玉と小学校の教師をしていた厳格な祖母の2人暮らしだった。
祖母の世話をするため、実家に残っている杏玉は、小学校教員だった祖母のコネで、小学校事務員の補助という仕事に就けたのだ。
〈あ、店番のこと、気にしてる?じゃあ、張おばさんに言って、あと
王妹は、スゴくいい考えが浮かんだといった表情で、ぼんやりする杏玉の顔を覗き込んだ。
〈李良に?〉
〈そうだよ、今日だって李良の代わりに店番してるんだもん。今度は李良に代わってもらおうよ〉
楽し気に言う王妹に、杏玉の気持ちも少しずつ浮足立った。
〈ね、私たち、友達じゃない!一緒に遊びに行かなくちゃ、本当の友達とは言えないよ〉
王妹に言われて、ためらいながらも杏玉も笑顔で頷いた。
「晩上好(こんばんは)!」
その時、店に入って来たのがアンディだった。
「「歓迎降臨(いらっしゃいませ)!」」
王妹と杏玉が声を揃えてアンディを迎えた。
〈あれ、なんだか2人とも楽しそうだね〉
アンディはいつもの棚から缶ビールを手に取り振り返って言った。
〈そうなの。今度、杏玉と2人で買い物に行くんだ~〉
王妹は嬉しそうに話すが、杏玉は少し恥ずかしそうに俯いている。はしゃいでいる自分を見られるのがイヤなのだろう。
〈へえ~、いいな~。2人だけなの?僕も行きたいなあ〉
気さくにアンディが言うと、杏玉がツンとして返した。
〈まだ、いつ行くか決まってないの〉
そんな杏玉にキョトンとしながらも、王妹は笑ってアンディに言った。
〈だって、平日に行くんだもの。アンディは会社があるでしょう?〉
〈ああ、でも、今週末は休日出勤だから、来週の平日に休みが取れるよ〉
屈託なくニコニコとしてアンディは言った。
〈せっかくの休みに、女子の買物に付き合わなくたって…〉
杏玉が不満そうにそう言った。
その実、アンディと行くのがイヤなのではなく、男性と一緒に買い物に行くなんて初めてなので、戸惑っているのだった。
(下着も買いたいのに…)
杏玉のデリケートな乙女心など気にもかけず、アンディはニコニコと王妹に食い下がる。
〈僕と一緒なら、ランチはおごるよ〉
〈え~っ、本当!じゃあ、一緒でもいいよ、ねえ杏玉〉
上海で初めて出来た友達である王妹の嬉しそうな顔に、乗り気ではなかったものの杏玉もイヤとは言えなくなった。
〈ファストフードじゃイヤよ〉
〈「避風塘」とか?〉
アンディは若い子たちにも人気の、広東風飲茶のレストランチェーンの名を上げた。
〈あそこ、美味しいよね。でも、もうちょっと頑張って欲しい…。だって、杏玉が上海に来た歓迎会だよ〉
〈わ、私はそんな…〉
自分のためにアンディに散財させるなど、杏玉には申し訳なく思えた。上海の物価が、自分の故郷に比べて恐ろしいほど格差があるのを知っていたからだ。
〈じゃあ、ホテルのレストランでも行く?ランチビュッフェなら好きなもの食べられるし〉
日本のホテルでもそうだが、上海のホテルでもランチビュッフェは人気だ。五つ星ホテルのフレンチやイタリアンの高級洋食ビュッフェもあれば、庶民的ホテルの手軽な中華の食べ放題もある。
もちろん、宿泊やディナーには手が届かなくても、ランチビュッフェであれば、ちょっとした贅沢程度の気分で行ける。これもまた、日本と同じ感覚だ。
けれど、王妹のようなまだ若い学生にとっては、五つ星ホテルのビュッフェは憧れだった。
〈ステキ!ねえ、午前中にキレイな服を買って、それを着てホテルのランチに行きたいなあ!〉
王妹はうっとりとした顔で、アンディに甘えるように言った。
〈でも…〉
楊杏玉は、浮かない顔をするが、アンディにはそれが遠慮だと分かっていた。なので、多少強引ではあっても約束を取り付けてしまうことにした。
〈じゃあ、いつにする?君たちに合わせて僕も休みを取るよ〉
アンディがそう言うと、王妹は早速自分のスマホを取り出した。
慣れた様子で連絡先を交換すると、アンディは杏玉を振り返った。
〈はいはい。楊杏玉、君も…〉
〈私、スマホなんて持ってない…〉
杏玉が、困ったように言った。
〈え?ええっ!イマドキ?〉
王妹も信じられないと言った表情で杏玉を振り返るが、本人はただ寂しそうに俯いていた。
〈わ、私だって、地元じゃ持ってたけど!…家を出る時に置いてきたのよ〉
〈そうなんだ…〉
スマホの現在位置情報で居場所が知られるのを恐れてなのか、杏玉は多くの若者が、コレ無しには生きていけないと思っているスマホまで置いて、覚悟の家出をしてきたのだ。
そんな杏玉に、アンディはハッと気づいたように声を上げた。
〈王妹、この店にも本体とSIMカード売ってるよね〉
〈うん〉
中国でのスマホの購入は、日本のそれよりも随分簡単だ。特定の通信会社の販売店などに行かなくても、駅のキヨスクやその辺のコンビニなどでも、本体とプリペイド式のSIMカードさえ買えばすぐに使える。
張おばさんのこのコンビニでも、たまに孫と連絡を取りたいお年寄りなどがフラリと来ては買って行くのだ。
〈一番安いのでいいから、楊杏玉に。支払いは僕がする〉
〈な、何を言ってるのよ、アンディ!私、あなたにそんなことしてもらう理由なんてない!〉
杏玉は、ビックリして大きな声で断ろうとした。
〈だって、君の歓迎会だろ、楊杏玉〉
確かに、日本のスマホに比べてコンビニで売っているようなスマホは格安だ。
日本では料金システムも複雑で、本体も最新モデルにすると、ここで買うスマホの10倍20倍は軽くかかる。
〈さすが、アンディ!ハンサムなのは顔だけじゃないわね〉
王妹に褒められ、アンディは当然だとでも言うようにニッコリ頷いて、杏玉に300元(日本円で約5250円)のスマホとSIMカードを購入した。
もちろんプリペイド式のSIMカードなので使い切ってしまえば、チャージが必要だが、それもこのコンビニで簡単にできるので使い分は杏玉が払えばいい。
それから3人は互いに連絡先を登録し、どのホテルのランチが良いかなど、少し噂話をしていた。
その時、入り口が開き、振り返ると李良が入ってくるところだった。
〈ごめん!ちょっと遅れたかな〉
李良が慌ててレジに近付く。
〈アンディも居たんだ!〉
李良が気付くと、アンディは笑顔で彼を迎えた。
〈今、楊杏玉と連絡先を交換していたんだ〉
アンディがそう言うと、李良も杏玉の方を見た。
〈じゃあ、僕も〉
何の気負いも無しに、李良も杏玉と連絡先を交換した。李良はすでにアンディと王妹の連絡先は知っていたようで、杏玉の連絡先だけを手早く登録すると、優しい笑顔を添え、スマートな言い方で、
〈何かあったら、チャットして〉
と杏玉に親切に言った。
杏玉にはそれが嬉しくて、ただ、頷くことしか出来なかった。