アンディの恋シリーズ① ~上海の雨傘~
あれから1ヶ月。
少数民族出身の小柄なボーイッシュな女の子の名前は、楊杏玉 と言った。
結局、あのままズルズルと張 おばさんの世話になることになり、コンビニでは、昼間は張おばさんと杏玉が、夜はバイトの男子大学生・李良 と、張おばさんが子供のころから可愛がっている近所の王妹 が交代で店番をしていた。
アンディが定時で出勤するときはコンビニ店内には杏玉が居たし、帰宅時は王妹が居る、という感じだ。
上海のコンビニといえば、日本でもお馴染みのローソンやセブンイレブンやファミリーマートなどの看板に目が行くが、その看板だけでなく、制服や店内の明るさ、並ぶ商品までも日本とよく似ている。価格帯は日本のそれよりも高いと言えるだろう。それよりも、下町の街角にある小さいなローカルのコンビニが面白い。
名前こそ同じ「便利店 」とあるが、昔、日本にもあった軒先だけの小さなタバコ屋や駄菓子屋と言った雰囲気だ。店内は狭く、照明も有名コンビニよりずっと薄暗い。第一、並んでいる商品が違う。
有名コンビニには、日本や韓国の飲み物やお菓子など、上海でもホワイトカラー層の人々が好む、ちょっとした国際的なブランドが並んでいて、店そのものに高級感さえある。
だが、ローカルコンビニには地元ブランドの商品が圧倒的に多く、昔ながらの安心の商品、といったものが多い。そのため、客層も近所のお年寄りや子供が多く、管理経営の手腕よりも、張おばさんのような面倒見のいい店長の方が喜ばれるのだ。
ちなみに、張おばさんのローカル系コンビニ店は、日本のように24時間営業ではない。朝は6時開店で、夜は0時に閉店するのだ。これは店舗によって違うので、同じコンビニチェーンでもローカルチェーンは油断ならない。大手のコンビにでも、地域によって24時間営業ではないところあるが、それでも大手の開業時間は安心できる。下町の目立たないローカルコンビニ店では、日によって開店時間や閉店時間が変わる事もあるからだ。その点、開店を朝6時、閉店を深夜0時と決めて守っている張おばさんの店は良心的だと言えた。
1人暮らしのアンディは、ほぼ毎朝張おばさんのコンビニで朝食を買い、ほぼ毎晩同じ店でビールを買って帰るのが習慣になっていた。
「歓迎光臨(いらっしゃいませ)!」
いつの間にか、すっかり元気になった杏玉が声を掛ける。
「早上好(おはよう)!」
朝から爽やかで健康的なアンディに、楊杏玉は気まずいのか、眩しいのかサッと目をそらす。
〈やあ!楊杏玉、今日も元気かい?〉
アンディには無愛想な杏玉だが、コンビニの店員としては悪くないらしい。いつの間にか楊杏玉は、地方出身者らしい無口で実直な仕事ぶりで、張おばさんに気に入られていた。
〈ああ、おはよう、アンディ〉
張おばさんが店の奥から、在庫のスナック菓子を出して来た。それに気付いた杏玉は急いでレジカウンターから出て、張おばさんから荷物を受け取る。
〈気が利くじゃないか、楊杏玉〉
アンディが褒めると、からかわれたと思ったのか、杏玉はプイと横を向いて、商品を棚に並べ始めた。
〈王妹もよく働いてくれるけど、杏玉も真面目でいい子だよ〉
張おばさんが手放しで褒めると、アンディの時とは違い、恥ずかしそうに杏玉は笑った。
(そういう可愛い顔も出来るんだ)
珍しい杏玉の表情にアンディは感心した。
少年と見間違えるほどのショートカットだった髪も少し伸び、21歳という成人女性には見えないものの、杏玉は確かに女の子らしくなった。
「再見(じゃあ、また)!」
アンディが、店を出ようとした時、入れ違いに飛び込んできた男性とぶつかりそうになった。
「早(おはよ)!」
ヒョロリと背が高く、金属フレームのメガネにちょっと長めの前髪をサラリと流し、ラフなシャツにダメージデニムという、イマドキの大学生っぽいスタイルの青年は、このコンビニで夜の店番をしている大学生のアルバイト店員・李良だった。
〈あ!アンディ、いいところで会えた。この前の件、どうかなあ?〉
李良はイケメンというほどではないが、細面の落ち着いた知的な見た目で、アンディからすれば、後輩の石一海 の方が、李良より年上のはずなのに、よほど大学生ぽく見える。
〈ああ、僕の上司には話したし、今日の会議で社長に聞いてもらえるんじゃないかなあ〉
〈やった!〉
李良は、半年後に卒業年度に突入するため、今から就職活動のためのインターン先を探していた。日系企業に憧れを持っていた李良は、アンディの勤務先を知って、インターンとして推薦してもらえるように数日前に頼みこんでいたのだ。
〈受けるときにも言ったけど、僕の推薦じゃ採用されるかどうか約束できないよ。期待しすぎないでね〉
〈分かってますって。後はオレの運と実力次第だから〉
自信ありげな李良に、アンディは真剣な顔をしてアドバイスをする。
〈インターンだけならともかく、本気でウチの会社に就職するつもりなら、もう少し日本語のスキルは上げておかないとね〉
〈うん…頑張っては居るんだけど…〉
苦い顔をする李良に、アンディはいつもの笑顔に戻って申し出る。
〈また、時間がある時に、レッスンしてあげるから。君もしっかり勉強しておくんだよ、李良〉
「真的(マジか)!謝謝(ありがと)、安徳(アンディ)!」
「不客气(いいってば)!」
そう言ってアンディは気さくに手を振って、地下鉄へ向かう階段へと消えていった。
〈そうだ!張おばさん!今夜、大学の特別講義があって、いつもの時間にバイトに入れないんだ。なんとか9時には来るから、王妹に頼めないかな?〉
李良は朝からこの店に飛び込んできた理由を思い出し、慌てて張おばさんに告げた。
〈いいよ、いいよ。あんたももうすぐ卒業で忙しくなるんだ。うちには、この杏玉もいるし、なんとかなるよ。心配せずに、しっかり勉強しておいで!〉
張おばさんがいつものように頼もしい返事をすると、嬉しそうに李良は微笑み、楊杏玉の方へと振り返った。
〈楊杏玉、悪いけど頼むね!〉
「是、是的(は、はい)!」
歳が近いのに、すっかり都会的で理知的な李良の笑顔に、杏玉は一瞬どぎまぎしていた。
〈じゃあ、行って来ます〉
軽く手を挙げ、爽やかに去っていく李良を、なぜか杏玉の視線はいつまでも追いかけていた。
シフトの交代時や休憩で、李良と顔を合わせることは少なくない。だが、2人だけでゆっくりと話す時間もなく、これまで杏玉は李良を意識したことが無かった。
(本当に、「都会の大学生」って感じだなあ)
杏玉は、田舎で観たドラマの中のおしゃれな大学生活に憧れて、李良をもそんな眼差しで見ていた。
〈杏玉、悪いけど、今夜は王妹と夜の9時まで店番を頼めるかい?〉
〈はい。もちろん大丈夫です〉
商品を並べ終えて立ち上がった杏玉は笑顔で答えた。
〈なら、今朝も早くから頑張ってくれたんだし、今のうちに休んでおいで。部屋で昼寝をしてもいいし、どこかへ行くなら王妹が来る夕方までに帰ってきたらいいから〉
そういえば、この1ヵ月、店を休んだことなど無かった。張おばさんが、毎朝6時から深夜0時まで、もちろん途中で長めの休憩を取ったりはするけれど、働き詰めなのを見て、同じように働いていたからだ。
〈少ない給料で悪いけど、それでもいつまでもウチの息子や王妹の古着ばかり着ていることはないよ。年頃の女の子なんだから、たまには気晴らしに買い物にでも行っておいで〉
田舎から、上海までの片道切符分のお金しか持たず、杏玉は飛び出してきた。経済も活発な上海までいけば、すぐに働き口も見つかり、自分ひとり食べていくには困らないだろうと思っていたのだ。
そんな考えは甘いと上海に到着するなり杏玉は気付いた。同じような考えの地方出身者が、溢れるほどに上海駅にはいたのだ。
折り悪く雨も降り出し、どうしたものかと彷徨っているうちに、あのアンディとの出会いとなった。
(アンディはともかく、張おばさんと出会えて良かった)
杏玉は、張おばさんに心から感謝したが、1人で買い物に出るといってもどうしていいか分からず、とりあえず部屋に戻って、おばさんの分も昼食を用意することにした。
少数民族出身の小柄なボーイッシュな女の子の名前は、
結局、あのままズルズルと
アンディが定時で出勤するときはコンビニ店内には杏玉が居たし、帰宅時は王妹が居る、という感じだ。
上海のコンビニといえば、日本でもお馴染みのローソンやセブンイレブンやファミリーマートなどの看板に目が行くが、その看板だけでなく、制服や店内の明るさ、並ぶ商品までも日本とよく似ている。価格帯は日本のそれよりも高いと言えるだろう。それよりも、下町の街角にある小さいなローカルのコンビニが面白い。
名前こそ同じ「
有名コンビニには、日本や韓国の飲み物やお菓子など、上海でもホワイトカラー層の人々が好む、ちょっとした国際的なブランドが並んでいて、店そのものに高級感さえある。
だが、ローカルコンビニには地元ブランドの商品が圧倒的に多く、昔ながらの安心の商品、といったものが多い。そのため、客層も近所のお年寄りや子供が多く、管理経営の手腕よりも、張おばさんのような面倒見のいい店長の方が喜ばれるのだ。
ちなみに、張おばさんのローカル系コンビニ店は、日本のように24時間営業ではない。朝は6時開店で、夜は0時に閉店するのだ。これは店舗によって違うので、同じコンビニチェーンでもローカルチェーンは油断ならない。大手のコンビにでも、地域によって24時間営業ではないところあるが、それでも大手の開業時間は安心できる。下町の目立たないローカルコンビニ店では、日によって開店時間や閉店時間が変わる事もあるからだ。その点、開店を朝6時、閉店を深夜0時と決めて守っている張おばさんの店は良心的だと言えた。
1人暮らしのアンディは、ほぼ毎朝張おばさんのコンビニで朝食を買い、ほぼ毎晩同じ店でビールを買って帰るのが習慣になっていた。
「歓迎光臨(いらっしゃいませ)!」
いつの間にか、すっかり元気になった杏玉が声を掛ける。
「早上好(おはよう)!」
朝から爽やかで健康的なアンディに、楊杏玉は気まずいのか、眩しいのかサッと目をそらす。
〈やあ!楊杏玉、今日も元気かい?〉
アンディには無愛想な杏玉だが、コンビニの店員としては悪くないらしい。いつの間にか楊杏玉は、地方出身者らしい無口で実直な仕事ぶりで、張おばさんに気に入られていた。
〈ああ、おはよう、アンディ〉
張おばさんが店の奥から、在庫のスナック菓子を出して来た。それに気付いた杏玉は急いでレジカウンターから出て、張おばさんから荷物を受け取る。
〈気が利くじゃないか、楊杏玉〉
アンディが褒めると、からかわれたと思ったのか、杏玉はプイと横を向いて、商品を棚に並べ始めた。
〈王妹もよく働いてくれるけど、杏玉も真面目でいい子だよ〉
張おばさんが手放しで褒めると、アンディの時とは違い、恥ずかしそうに杏玉は笑った。
(そういう可愛い顔も出来るんだ)
珍しい杏玉の表情にアンディは感心した。
少年と見間違えるほどのショートカットだった髪も少し伸び、21歳という成人女性には見えないものの、杏玉は確かに女の子らしくなった。
「再見(じゃあ、また)!」
アンディが、店を出ようとした時、入れ違いに飛び込んできた男性とぶつかりそうになった。
「早(おはよ)!」
ヒョロリと背が高く、金属フレームのメガネにちょっと長めの前髪をサラリと流し、ラフなシャツにダメージデニムという、イマドキの大学生っぽいスタイルの青年は、このコンビニで夜の店番をしている大学生のアルバイト店員・李良だった。
〈あ!アンディ、いいところで会えた。この前の件、どうかなあ?〉
李良はイケメンというほどではないが、細面の落ち着いた知的な見た目で、アンディからすれば、後輩の
〈ああ、僕の上司には話したし、今日の会議で社長に聞いてもらえるんじゃないかなあ〉
〈やった!〉
李良は、半年後に卒業年度に突入するため、今から就職活動のためのインターン先を探していた。日系企業に憧れを持っていた李良は、アンディの勤務先を知って、インターンとして推薦してもらえるように数日前に頼みこんでいたのだ。
〈受けるときにも言ったけど、僕の推薦じゃ採用されるかどうか約束できないよ。期待しすぎないでね〉
〈分かってますって。後はオレの運と実力次第だから〉
自信ありげな李良に、アンディは真剣な顔をしてアドバイスをする。
〈インターンだけならともかく、本気でウチの会社に就職するつもりなら、もう少し日本語のスキルは上げておかないとね〉
〈うん…頑張っては居るんだけど…〉
苦い顔をする李良に、アンディはいつもの笑顔に戻って申し出る。
〈また、時間がある時に、レッスンしてあげるから。君もしっかり勉強しておくんだよ、李良〉
「真的(マジか)!謝謝(ありがと)、安徳(アンディ)!」
「不客气(いいってば)!」
そう言ってアンディは気さくに手を振って、地下鉄へ向かう階段へと消えていった。
〈そうだ!張おばさん!今夜、大学の特別講義があって、いつもの時間にバイトに入れないんだ。なんとか9時には来るから、王妹に頼めないかな?〉
李良は朝からこの店に飛び込んできた理由を思い出し、慌てて張おばさんに告げた。
〈いいよ、いいよ。あんたももうすぐ卒業で忙しくなるんだ。うちには、この杏玉もいるし、なんとかなるよ。心配せずに、しっかり勉強しておいで!〉
張おばさんがいつものように頼もしい返事をすると、嬉しそうに李良は微笑み、楊杏玉の方へと振り返った。
〈楊杏玉、悪いけど頼むね!〉
「是、是的(は、はい)!」
歳が近いのに、すっかり都会的で理知的な李良の笑顔に、杏玉は一瞬どぎまぎしていた。
〈じゃあ、行って来ます〉
軽く手を挙げ、爽やかに去っていく李良を、なぜか杏玉の視線はいつまでも追いかけていた。
シフトの交代時や休憩で、李良と顔を合わせることは少なくない。だが、2人だけでゆっくりと話す時間もなく、これまで杏玉は李良を意識したことが無かった。
(本当に、「都会の大学生」って感じだなあ)
杏玉は、田舎で観たドラマの中のおしゃれな大学生活に憧れて、李良をもそんな眼差しで見ていた。
〈杏玉、悪いけど、今夜は王妹と夜の9時まで店番を頼めるかい?〉
〈はい。もちろん大丈夫です〉
商品を並べ終えて立ち上がった杏玉は笑顔で答えた。
〈なら、今朝も早くから頑張ってくれたんだし、今のうちに休んでおいで。部屋で昼寝をしてもいいし、どこかへ行くなら王妹が来る夕方までに帰ってきたらいいから〉
そういえば、この1ヵ月、店を休んだことなど無かった。張おばさんが、毎朝6時から深夜0時まで、もちろん途中で長めの休憩を取ったりはするけれど、働き詰めなのを見て、同じように働いていたからだ。
〈少ない給料で悪いけど、それでもいつまでもウチの息子や王妹の古着ばかり着ていることはないよ。年頃の女の子なんだから、たまには気晴らしに買い物にでも行っておいで〉
田舎から、上海までの片道切符分のお金しか持たず、杏玉は飛び出してきた。経済も活発な上海までいけば、すぐに働き口も見つかり、自分ひとり食べていくには困らないだろうと思っていたのだ。
そんな考えは甘いと上海に到着するなり杏玉は気付いた。同じような考えの地方出身者が、溢れるほどに上海駅にはいたのだ。
折り悪く雨も降り出し、どうしたものかと彷徨っているうちに、あのアンディとの出会いとなった。
(アンディはともかく、張おばさんと出会えて良かった)
杏玉は、張おばさんに心から感謝したが、1人で買い物に出るといってもどうしていいか分からず、とりあえず部屋に戻って、おばさんの分も昼食を用意することにした。