アンディの恋シリーズ① ~上海の雨傘~

 仕事帰りに地下鉄から地上へ出た余安徳アンディ・ユーは、あからさまにガッカリして肩を竦めた。

「下雨了(雨だ)…」

 確かに、今朝から「今夜は雨だ」と聞いていたアンディだったが、元来気楽な性格であることもあり、自分の幸運も信じていることもあって、自分のアパートに帰るまでは降らないだろうと傘も持たずにいたのだ。

(この僕が雨に降られるなんて、信じられない)

 根拠の無い自信を打ち壊され、不満たっぷりにアンディは目の前のコンビニに飛び込んだ。

「歓迎光臨(いらしゃいませ)!」
「Ha~i!」

 アメリカ国籍を持ち、西欧的な面差しを残す濃い顔のイケメンであるアンディは、ご近所ではちょっとした有名人だ。
 コンビニでバイトをしている王妹ワンメイも気さくに声を掛けてくれる。

〈アンディ、傘持って無いの?〉

 王妹が声を掛けると、それを聞きつけた店長のチャンおばさんが奥から現われた。

〈アンディが来てるのかい?傘が無いって?〉

 この辺りではやり手で知られている張おばさんだが、面倒見が良いことでも有名だ。

「没関係、没関係(だいじょうぶだって)!」

 目鼻立ちがはっきりしたイケメンで、陽気で、楽観的なアンディを、張おばさんも気に入っている。

〈何が大丈夫なのよ。止むまでココに居たら、店の商品を全部買うことになるよ。どうせ毎朝、この前を通るんだから、この傘を使いな〉

 気のいい張おばさんは、そう言って頑丈そうな大きな紳士物の黒い傘を貸してくれた。

〈悪いな~。じゃあ、今日はビールだけでなく、ツマミも多めに買うよ〉
〈何言ってんの。ご近所同士なんだから、助け合うのはお互いさま。王妹も帰りに傘が無いなら貸すよ〉

 アンディが買った商品をレジで打っていた王妹に、張おばさんがそう言うと、王妹は澄ました顔をして言い返した。

〈昨日から天気予報で、今日の天気は変わりやすくて雨が降るって言ってたもの。今日、傘を持ってないなんて、かなりのうっかりさんよ!〉
〈だって、さ、アンディ。アンタも、もう少ししっかりしないとね〉

「あはは…!」

 女性2人がかりでからかわれ、アンディもココは笑うしかなかった。

 急いでアンディは、上海では、これだけは忘れてはいけないエコバッグを取り出し、ビールと、スナック菓子と、香辛料の強い中国風サラミを自分の手で入れた。スマホの決済アプリでピッと支払いを済ませ、張おばさんに頭を下げ、傘を受け取った。

〈明日の朝、出勤前に返しに来ます!〉
〈いつでもいいよ!〉

 もう一度、張おばさんにお礼を言い、2人に手を振ってアンディはコンビニを後にした。

(やっぱり僕って運がいいなあ。すんなり傘も借りられたし)

 とことん楽観的なアンディがそう思いながら、家路へ向かおうとした時だった。

(え?)

 コンビニの店の横に、人1人が通るのも無理そうな隙間があり、そこで何かが動いた。

(野良猫?まさかね?)

 上海に限らず、最近はどの街もペットが増えた分、動物の管理には厳しくなった。アメリカや日本なら野良猫など何処にでもいそうだが、上海ではそうそう目に止まるものではないのだ。
 行き過ぎようとしたアンディだったが、気になって足を止め、そっとその暗がりを覗き込んだ。

「Oh!My God!(まさか!)」

 思わずアンディが声を上げたのも仕方なかった。
 そこには薄汚れ、雨にずぶ濡れになった小さな男の子が座り込んでいたのだ。

「え~!Why(なんで)?どうしたの~?你好吗?(だいじょうぶですか)?」

 あまりのことに、アンディも動揺して言語中枢も混乱していた。
 男の子はぐったりして返事もしない。
 どうしたらいいのか分からず、とにかくアンディはコンビニに戻ろうときびすを返した。

「等一等(待って)…」

 死んでいるのではないかとさえ思った男の子が、か細い声でアンディを呼び止めた。

「生きてる!」

 驚いてアンディは男の子に駆け寄り、借りたばかりの傘を差しかけた。

「没問題吗(だいじょうぶかい)?」
「……」

 男の子はぐったりとしているが、何かを訴えようとしている。アンディは、彼の口元に耳を寄せて、しっかりと言葉を拾おうとした。

「怎么了(どうしたの)?」
「太冷(寒い)…」

 そりゃあそうだろう、とアンディは思う。この雨の中、こんな薄着で、こんな汚らしい場所で座り込んでいたら、寒いだろうし、つらいだろう。

〈今、人を呼んでくるからね〉

 アンディは立ち上がり、今一度コンビニに戻って、張おばさんに相談しようと考えた。

「等一下(ちょっと待って、てば)」
「What(な、なんだ)!」

 スーツの裾を捉まれ、アンディは驚いて声を上げた。

〈アンタんちに連れてってよ〉
「No!」

 反射的にアンディは拒絶していた。
 アメリカ育ちのアンディにとって、子供とは言え見知らぬ人間を自宅に入れるなど考えられないことだ。

〈人情の無いヤツだな!困った人間を助けてやろうとは思わないのか!〉

 先ほどまでの弱弱しさはどこへ行ったのか、男の子はアンディに食って掛かった。

〈だから、助けてくれそうな人を連れてくるよ〉

アンディは、男の子を安心させようと、優しく微笑んだ。

〈お前はそれでも男か!人に頼るな!〉

だが、男の子はムキになってアンディに食って掛かる。そんな様子に冷静なアンディはあきれるばかりだ。

〈いや、君も僕に頼る気満々だよね〉
〈言い訳するな!金持ちそうな格好をしてるんだから、可哀想な子供を連れ帰って温かい風呂に入れ、食事を与えて、一晩くらい泊めてやっても、痛くも痒くもないだろう!〉
〈可哀想な子供って君のことなのかなあ?〉

 言葉を交わすうちに、アンディはだんだん面白くなって来た。

〈じゃあ、可哀想な子供に付け込んで、家に連れ去り、悪いことをする見知らぬ男とかが、この世に存在することを、君は知らないわけだね〉

アンディがニヤリとすると、意味が分かるのか、それとも分からないからか、男の子はあからさまに動揺した。

〈え!…い、いや…、その…あの〉
〈僕が君を家に連れ帰った以上、君は僕には逆らえないよね、恩人ってことになるし。男の子だからって、僕が何もしないとは限らないし…〉
〈へ、変態だな、お前!変質者か!犯罪者だ!〉

 騒ぎを聞きつけたのか、何人かの通行人が足を止め、誰かが知らせたのかコンビニの張おばさんが駆けつけた。

〈ちょっと、アンディ何してるのよ!〉

 その声に、男の子は転がるように道に飛び出し、走って逃げようとした。だが、弱っていたのは本当のようで、足がもつれたのかアンディの目の前で転んでしまった。

〈あぁ!大丈夫かい、あんた〉

 張おばさんとアンディが両脇から支えるようにして男の子を立たせた。

〈さ、とにかくウチへ来て濡れた物を着替えなきゃ。このままじゃ病気になっちまうよ〉

 さすがは張おばさんだ。腕を取ったまま、引きずるようにコンビニの裏の建物へと男の子を連れて行く。そこに張おばさんの住むアパートがあるのだ。

〈アンディ、ちょっと手伝ってちょうだい〉

 有無を言わせぬ勢いで張おばさんに言われると、逆らう気も起きず、アンディは男の子と共に張おばさんの家へ向かった。





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