村の郵便配達・2

 じっと酒生の瞳の奥を覗き込みながら、中埜はその手を取った。

「今夜は…、一緒に寝ても、いいですか…?」

 中埜は、勇気を振り絞ってそう言った。

 その言葉を聞いた途端、酒生の動きがピタリと止まる。
 まるでその意味が理解できないとでも言う顔をして、酒生もまた中埜の顔をじっと見ている。

「大丈夫ですか?」

 何も言わない酒生に、中埜が心配そうに声をかけるが、酒生は何も答えず、ただ茫然としている。
 そして、次の瞬間、ハッとしてまるで、この世で一番信じられないものを見たかのように、酒生の瞳は大きく見開かれていた。

「昇一郎さん?」

 不安になった中埜が声をかけるが、酒生は返事もせずに、どこか遠いところを見ているようだった。

(…やっぱり…)

 中埜は、傷ついていた。
 もしかして、自分だけが求めているのだろうか?自分の想いは、酒生にとって、迷惑なものなのだろうか?

「…俺じゃ、ダメですか?」

 黄酒の力を借りて、少し気が大きくなった中埜は、つい愚痴を漏らしてしまった。

「俺じゃ、ダメなんですか?」

 落ち込む中埜は、そのままお酒の勢いで愚痴をもらしてしまう。

「『彼』には許せて、俺には許せない?」
「は?」

 中埜の言うことが一瞬理解できず、酒生は未だ事情が呑み込めないといった顔つきだ。

「だ~か~ら~、『彼』には体を許したんでしょう!」

 吐き捨てるように言った中埜の言葉を、酒生は良く理解しようと反芻した。そして、ようやく意味を理解した瞬間、酒生は思わず大声を上げていた。

「え?…ええっ!」

 中埜の求めるものにようやく気付いた酒生は、全身真っ赤になる。そのまま、変な沈黙が2人の間に流れた。
 しばらくして、落ち着いた酒生が、やっと口を開いた。

「本当に、私と…そういう?」

 懐疑的な口調が、中埜を悲しませた。酒生には自分と「そういう」関係になることを考えたこともないのかと絶望的な気持ちになる。

「当たり前じゃないですか!」

 気が付くと、目に涙を浮かべて、中埜は叫んだ。

「あなたが好きなんです!好きな人とそうなりたいと思うのは、間違っているんですか」

 還暦を目の前にした年齢になり、中埜にようやく目覚めた感情だった。性別も年齢も関係無かった。ただ人として酒生を大切にしたい、幸せにした、そして自分も幸せになりたいと思った。何もかも与えたい。そして、何もかも…、酒生の全てを知りたいと思った。それなのに…。

「い、いや、あの…いいえ…。ええっと、本当に…?」

 酒生は、まるで信じられないことを聞かされたかのように、酒生はおそるおそる聞き返した。

「もちろんです!」

 力いっぱい言い切った中埜に、酒生は慌てる。

「い、いや、あの…いいえ…」

 酒生は、中埜の突然の告白に、完全に狼狽していた。

「わ、私も…それは…」

 言葉にならず、酒生はその先を言わずに黙り込んでしまう。その姿に、中埜はハッと気づく。

「昇一郎さん…あなたも?あなたも同じ気持ちで…?」
「……」

 真っ赤になり黙り込んだ、いたたまれない様子の酒生の姿に、中埜はハッと気づく。
 酒生は、チラリと一瞬中埜を見て、そのまま言葉にならず、黙って頷いた。

「じゃ、じゃあ、どうして俺の誘いを…無視して…」

 慌てたように問い質そうとする中埜に、酒生は恥ずかしそうに小さな声で答えた。

「いや、もうこの歳だし、こんな私を、あなたがそんな風に…求めてくれるなんて…」

 否定的な気持ちの酒生に、中埜の感情が爆発した。

「何を言ってるんですか!『こんな私』って、自分がどれだけエロいと思ってるんです!どれだけ俺を誘惑して、煽って、苦しませて…」
「ごめんなさい!大事なあなたを苦しませるつもりはなかったのです。ただ、本当にあなたが私をそんな風に求めてくれるだなんて、思ってもみなくて…」

 しょんぼりと俯く酒生の姿に、昂っていた中埜の気持ちもゆっくりと冷静さを取り戻そうとしていた。
 しばらく酒生を見ていた中埜だったが、呆れたように質問した。

「じゃあ、俺が『一緒に寝たい』って言ったのを、なんだと思ってたんですか?」

 落ち着いた中埜の声に、酒生も正直に答えるしかなかった。

「ええ~っと、介護、的な?」
「はあ?…か、介護?」

 中埜は、あまりの酒生の天然ぶりに、開いた口がふさがらなかった。そのまま酒生は、説明を続ける。

「退院したばかりだし、気を使って、添い寝してくれるのかな、っと…」
「……」

 さらに、中埜が言葉を失っているのをいいことに、酒生は先ほどから気になっていたことを確認することにした。

「あと、『エロい』という言葉は、私の知っている意味で…いいのでしょうか?」
「は?」

 トンチンカンな質問に、中埜ももうキョトンとして何も返せない。
 一方の酒生は、至って真剣な顔をしている。

「最近の日本語は、私の知っている意味と変わって使われることがあるので、時々戸惑うのです」
「はあ…」
「例えば『ヤバい』などと言う言葉は、昔は否定的な意味で使っていたのに、最近は『ヤバいほど美味しい』とか、肯定的に使いますよね」

 どこまでもアカデミックな酒生教授は、この拗れた状況よりも言葉の正確性にこだわる。

「ああ、なるほど…って、そういうの、今は関係ないです!」

 思わず聞き入ってしまった中埜だったが、ハッと気づいて急いでツッコミを入れた。
 中埜に叱られて、さすがの酒生もハッと我に返った。

「そうなんですか…」
「と、とにかく、俺が言った『エロい』は、昔通りの意味ですから」
「そ、そう…ですか…」
「だ、だから…。そういうことです…」
「あ、はい…」

 そのままぎこちない2人は、うつむいたまま頬を染めて、それでもしっかりと手を握り合った。





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