村の郵便配達・2

(土曜日の今夜は、中埜さんも泊っていってくれるはず)

 酒生は、そう思うだけで胸が弾んだ。
 入院中は、入浴が出来なかったため、まずは贅を凝らしたバスルームに向かう。
 姉の有美子の趣味で、ジャスミンの香りがする、肌に優しいボディソープを使い、同じメーカーのハーブの香りの入浴剤を使ってゆったりと浴槽で手足を伸ばした。

 頭から足の先まで洗ってサッパリした酒生は、ご機嫌で冷蔵庫を覗いた。
 おせっかいだと思うこともあるが、気遣いのできる姉・有美子のおかげで、冷蔵庫には日持ちがする食料品がちゃんと詰まっている。

(あの限定品の和菓子、食べたかったのに…)

 賞味期限が当日だという、季節限定の、美味しそうな和栗を使ったその和菓子は、酒生昇一郎の大好物だったのだが、検査のための食事制限があるからと、姉に取り上げられてしまったのだ。ちょっと恨めしく思う酒生だったが、それでも、栗がたっぷりの羊羹や、フルーツから惣菜系の缶詰は姉が用意してくれたものだし、見舞客たちが差し入れてくれたものは、広い調理台の上に並べられていた。誰からのものかと分かるように、有美子はきちんと名前を書いた付箋を貼っておいてくれた。
 並んだ名前を見て、酒生は目を細めた。顔を出してくれた人以外の名前もある。
 その中に、中埜さんの名前が無いことに、酒生は少し寂しく思う。
 それほど、心配してくれなかったのだろうか、と切なくなる。

 その時、家の前の方で軽いクラクションが聞こえた気がして、何事かと首をひねりながら、酒生は玄関に向かった。

 玄関の引き戸を開けると、正面の門の向こうに、シルバーのカラーリングのスクーターから降りようとする中埜が、酒生に気付いて手を振った。
 わざわざ来てくれたことが嬉しくて、酒生も反射的に子供のように大きく手を振った。

「これ、どこに置けば?」

 訊ねる中埜に、酒生は慌てて玄関を飛び出そうとして、思うように歩けないことを思い出した。

「あ、そこの…軽自動車の脇に置いてください」

 ニコリと微笑んだ中埜は、まだ新しいスクーターを酒生が日常使いしている白い軽自動車の隣に停めた。

 今日もまた、中埜は大きなリュックを背負って酒生家にやって来た。もしかしたら、美味しいものがたくさん詰め込まれているのかも、と酒生の期待が高まった。

「まだ脚が痛いのに、あまり動かないで下さい」

 玄関に入ると、中埜は労わるように酒生の肩を抱いた。
 決して1人で歩けないわけではなかったが、酒生はそのまま中埜を頼って台所へと向かった。

「スクーター、買ったのですね」

 以前から2人の間では、その話が出ていた。
 市内に住む中埜は車の免許はあるものの、実はペーパードライバーだ。市内に住んでいれば公共交通で用は足りるし、仮に車を買っても駐車場代が高い。
 これまで中埜は、市内から酒生家に来る時には路線バスを利用してきた。けれども、時間や本数に制約のある路線バスは不便で、なんとかしたいと中埜と酒生は話し合いを続けてきた。
 酒生は自分の軽自動車で送迎すると申し出たのだが、酒生を煩わせるのはイヤだと中埜が受け入れなかった。
 結果、中埜は仕事でも使い慣れていることから、スクーターを私物として新しく購入したのだった。

「これで、いつでもここまで来られます」

 嬉しそうに言う中埜に、酒生も微笑みながら大きく頷いた。

「ステキな、スクーターです」

 どう言ったらいいのか分からず、中埜が自分に会うために用意したツールというだけで、それを褒めた。

「ん?」

 抱き寄せた酒生の髪や体から、清潔な香りがすることに、中埜は気付いた。

「お風呂に、入ったのですか?」
「ええ、入院中はシャワーも使えなかったので、帰ってきてすぐに入浴しました!気持ち良くて…」

 浮かれたように話す酒生を、中埜はちょっと厳しい顔で見つめていた。

「捻挫している足で、お風呂にはいったのですか?」
「はい?ええ、そうです…けど…?」

 キョトンとした酒生に、中埜は苦々しい様子で行った。

「捻挫しているのに、1人でお風呂に入るなんて危ないし、第一、患部を温めたら痛いでしょう?」
「あ~、そう言えば、痛みが強くなったような…」

 呑気な酒生に、何かを言う意欲も失せた中埜は、大きなため息をついた。

「湿布は取り替えましたか?痛み止めは?」

 急いで台所の隅にあったスツールに酒生を座らせると、中埜は甲斐甲斐しく世話を始める。
 中埜は酒生の足元に跪き、靴下を脱がせ、左足首の皺の寄った不器用そうな貼り方だった湿布を取り換え、またきちんと靴下を履かせた。
 まるで貴人に仕えるかのように、丁寧に世話をしてくれる中埜に、ありがたい反面申し訳ない気持ちもして、酒生はどぎまぎしていた。






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