村の郵便配達
逸る気持ちを抑え、中埜はゆっくりと酒生家へ向かう坂道を登った。
登りきると、威圧するような大きな門構えだ。お寺の山門のように屋根があり、門に繋がる壁の向こうは小屋のようになっていて、かつては納屋として使われていた。
その正面に、堂々たる玄関がある。
そちらに向かっていると、左手にある庭の方から声がした。
「すごい荷物ですね」
やはりそこに酒生教授が佇んでいた。
「下で、お預かりしてきました」
そう言って中埜がペットボトルを持ち上げて見せると、酒生は相変わらず屈託の無い笑顔で頷いた。
「お休みの日まで、配達ですか」
「ははは…」
酒生にからかわれ、中埜も笑うしかなかった。
「今日は、お客様ですからね。玄関から上がっていただきましょう」
そう言うと、酒生は中埜の手にあるペットボトルを受け取り、玄関へと招き入れた。
中埜には分かっていた。一晩泊まるというのに、靴を庭先に置いたままにはしておけないために玄関から上げてくれたのだろう。
細やかな気遣いが出来る人だ、と中埜は感心した。
余計な言葉を交わすことなく、2人は分かり切ったように広々とした台所へ進み、そこに梅酒のペットボトルと中埜が運んできたエコバッグを置いた。
「あ、これ、お気に召すかどうかわかりませんが、手土産です」
エコバッグの中から、中埜が菓子折りのようなものを取り出した。
「そんなお気遣いはいらないのに。お菓子かな?あとで、一緒にいただきましょう」
もはや遠慮をする仲でもないと、酒生はその場で中埜の手土産の包装を解いた。
「これは…」
意外な中身に、酒生は驚きと戸惑いの入り混じった笑みを浮かべた。
「ご存知ですか?奈良県の名物の柿の葉寿司です。特にこの店のが好きなので、時々取り寄せています」
少し照れ臭そうに言う中埜に、酒生が鷹揚に頷いた。
箱の中には、淡い緑の葉に包まれ、整然と並ぶ押しずしが入っている。抗菌作用のある柿の葉で、掌にのるくらいの長方形に切りそろえられた関西風の押し寿司を包んだ柿の葉寿司は、奈良の名産品だ。見た目は柿の葉に包まれどれも同じに見えるのだが、葉をはがすと、サバやサーモン、エビなどが乗った押し寿司が現れる。老舗の有名店も多いが、何度も奈良に足を運んだ中埜は、いろいろ食べ尽くした結果、お気に入りの店を決めていた。
「いつもは、サバとサーモンなんですが、今日は奮発して、小鯛とエビも入っています」
嬉しそうな中埜に、酒生も破顔する。
「中埜さんは、しめ鯖などがお好きなのですが?柿の葉寿司の小鯛なんて珍しくないですか?」
折詰を覗き込みながら、無邪気な好奇心を見せる年上の酒生教授が、中埜にくすぐったい感情をもたらす。
「私は、京都よりも奈良が好きで、時々休みの日には奈良の古いお寺や遺跡を見て回るんです」
「ああ、渋い好みですね。なかなかの上級者だ」
酒生に褒められ、中埜は恥ずかしそうに笑った。
「人が多いところが苦手なのです。バタバタと観光地を走り回るより、1か所をじっくりと見たいほうなのです」
「私も…」
酒生も、穏やかな顔で中埜の目を見つめながら続けた。
「私も、じっくりと深めたいタイプですよ」
意味ありげな酒生の言葉に、中埜はフッと時間が停まったように思えた。
「それに、柿の葉寿司も好物なのです。サーモンとエビは特に好きなんです」
妙な沈黙を打ち消すように、酒生が明るく声を掛けた。中埜も慌てて我に返って笑顔を返す。
「今夜は、柿の葉寿司と梅酒でお月見ですね」
そう言った酒生だったが、すぐに窓の外に気付いた。
「とうとう、降ってきましたか…」
残念なことに、やはり雨が降り始めた。
「今夜のお月見は、諦めた方がいいですね」
ガッカリしている酒生を励ましたくて、中埜は自分が背負っていたリュックを下ろした。
「お月見は無理でも、揚げたての唐揚げがありますよ」
「ああ、そうでした!中埜さんご自慢の唐揚げを忘れていましたよ」
気を取り直し、酒生は中埜の取り出す食材を受け取り、作業を手伝うことにした。
「お昼ご飯、まだでしょう?昨日から漬けておいた鶏肉を、早速揚げましょう」
リュックの底に入れておいた、タッパーウェアを取り出した中埜は、浮かれた様子で準備を始めた。
ジッパー付の保存袋に入れてきたオリジナル調合の唐揚げ粉や、付け合わせ用のカット野菜を出し、最後にこだわりの胡麻油を、広い酒生家の台所の調理台の上に置いた。
「揚げ油ですか?そんな高級なゴマ油ではもったいないのでは?」
心配そうな酒生に、中埜は余裕の笑顔で答える。
「これは仕上げ用なんです。普通の油で揚げた後、温度を上げて2度揚げする時に少し足すと、香ばしさが増して、香りも良いのです」
「なるほど!そういう裏技があるんですね」
心から感心している酒生に、中埜も少し胸を張る。
「裏技というほどのものではありませんが、何でも、ちょっとしたことで、美味しくなるものです」
その一言に、酒生はふっといたずらっぽく笑った。
「人生も同じ。ちょっとした調味料で美味しくなりますね」
登りきると、威圧するような大きな門構えだ。お寺の山門のように屋根があり、門に繋がる壁の向こうは小屋のようになっていて、かつては納屋として使われていた。
その正面に、堂々たる玄関がある。
そちらに向かっていると、左手にある庭の方から声がした。
「すごい荷物ですね」
やはりそこに酒生教授が佇んでいた。
「下で、お預かりしてきました」
そう言って中埜がペットボトルを持ち上げて見せると、酒生は相変わらず屈託の無い笑顔で頷いた。
「お休みの日まで、配達ですか」
「ははは…」
酒生にからかわれ、中埜も笑うしかなかった。
「今日は、お客様ですからね。玄関から上がっていただきましょう」
そう言うと、酒生は中埜の手にあるペットボトルを受け取り、玄関へと招き入れた。
中埜には分かっていた。一晩泊まるというのに、靴を庭先に置いたままにはしておけないために玄関から上げてくれたのだろう。
細やかな気遣いが出来る人だ、と中埜は感心した。
余計な言葉を交わすことなく、2人は分かり切ったように広々とした台所へ進み、そこに梅酒のペットボトルと中埜が運んできたエコバッグを置いた。
「あ、これ、お気に召すかどうかわかりませんが、手土産です」
エコバッグの中から、中埜が菓子折りのようなものを取り出した。
「そんなお気遣いはいらないのに。お菓子かな?あとで、一緒にいただきましょう」
もはや遠慮をする仲でもないと、酒生はその場で中埜の手土産の包装を解いた。
「これは…」
意外な中身に、酒生は驚きと戸惑いの入り混じった笑みを浮かべた。
「ご存知ですか?奈良県の名物の柿の葉寿司です。特にこの店のが好きなので、時々取り寄せています」
少し照れ臭そうに言う中埜に、酒生が鷹揚に頷いた。
箱の中には、淡い緑の葉に包まれ、整然と並ぶ押しずしが入っている。抗菌作用のある柿の葉で、掌にのるくらいの長方形に切りそろえられた関西風の押し寿司を包んだ柿の葉寿司は、奈良の名産品だ。見た目は柿の葉に包まれどれも同じに見えるのだが、葉をはがすと、サバやサーモン、エビなどが乗った押し寿司が現れる。老舗の有名店も多いが、何度も奈良に足を運んだ中埜は、いろいろ食べ尽くした結果、お気に入りの店を決めていた。
「いつもは、サバとサーモンなんですが、今日は奮発して、小鯛とエビも入っています」
嬉しそうな中埜に、酒生も破顔する。
「中埜さんは、しめ鯖などがお好きなのですが?柿の葉寿司の小鯛なんて珍しくないですか?」
折詰を覗き込みながら、無邪気な好奇心を見せる年上の酒生教授が、中埜にくすぐったい感情をもたらす。
「私は、京都よりも奈良が好きで、時々休みの日には奈良の古いお寺や遺跡を見て回るんです」
「ああ、渋い好みですね。なかなかの上級者だ」
酒生に褒められ、中埜は恥ずかしそうに笑った。
「人が多いところが苦手なのです。バタバタと観光地を走り回るより、1か所をじっくりと見たいほうなのです」
「私も…」
酒生も、穏やかな顔で中埜の目を見つめながら続けた。
「私も、じっくりと深めたいタイプですよ」
意味ありげな酒生の言葉に、中埜はフッと時間が停まったように思えた。
「それに、柿の葉寿司も好物なのです。サーモンとエビは特に好きなんです」
妙な沈黙を打ち消すように、酒生が明るく声を掛けた。中埜も慌てて我に返って笑顔を返す。
「今夜は、柿の葉寿司と梅酒でお月見ですね」
そう言った酒生だったが、すぐに窓の外に気付いた。
「とうとう、降ってきましたか…」
残念なことに、やはり雨が降り始めた。
「今夜のお月見は、諦めた方がいいですね」
ガッカリしている酒生を励ましたくて、中埜は自分が背負っていたリュックを下ろした。
「お月見は無理でも、揚げたての唐揚げがありますよ」
「ああ、そうでした!中埜さんご自慢の唐揚げを忘れていましたよ」
気を取り直し、酒生は中埜の取り出す食材を受け取り、作業を手伝うことにした。
「お昼ご飯、まだでしょう?昨日から漬けておいた鶏肉を、早速揚げましょう」
リュックの底に入れておいた、タッパーウェアを取り出した中埜は、浮かれた様子で準備を始めた。
ジッパー付の保存袋に入れてきたオリジナル調合の唐揚げ粉や、付け合わせ用のカット野菜を出し、最後にこだわりの胡麻油を、広い酒生家の台所の調理台の上に置いた。
「揚げ油ですか?そんな高級なゴマ油ではもったいないのでは?」
心配そうな酒生に、中埜は余裕の笑顔で答える。
「これは仕上げ用なんです。普通の油で揚げた後、温度を上げて2度揚げする時に少し足すと、香ばしさが増して、香りも良いのです」
「なるほど!そういう裏技があるんですね」
心から感心している酒生に、中埜も少し胸を張る。
「裏技というほどのものではありませんが、何でも、ちょっとしたことで、美味しくなるものです」
その一言に、酒生はふっといたずらっぽく笑った。
「人生も同じ。ちょっとした調味料で美味しくなりますね」
