村の郵便配達

 いつしか、中埜は、週に2回の酒生教授との昼食を心待ちにするようになった。
 それを知ったご近所のご婦人方からは、高台の酒生家への坂道を登らずに済むからと、手製のお漬物やお惣菜を中埜に預けることも、当たり前のようになってきた。
 それらを運びながら、中埜もまた自分の手作りのお弁当のおかずを余分に持ってくるようになり、酒生家の2人だけの昼食は一気ににぎやかになったのだった。

「今日は、唐揚げですか」

 中埜が持参したタッパーウェアにぎっしり詰まった手作りの唐揚げを見て、酒生は満足げに微笑んだ。

「中国での生活も長かったから、脂っこい食べ物は案外と好きなんですよ。ただ、揚げ物は油跳ねが怖くて自分ではできないので、スーパーのお惣菜やレンジで温めるもので我慢していたのです」

 子供のようなことを言う酒生が、年上だというのに可愛らしく思えて、中埜もまた笑いを押さえられなかった。

「こうして手作りの唐揚げなんて、久しぶりですよ。ご近所さんたちは、年寄りに揚げ物は不要だと思っているようで、野菜ばかりを差し入れてくれるんですよ。私よりも年上のご自分たちは、揚げ物を召し上がるのにね」

 よほど嬉しいのか、酒生が珍しく饒舌になる。それがまた中埜の気持ちも弾ませる。

「弁当用の唐揚げにはちょっと自信があるんですよ」
「お弁当用の唐揚げは、普通の唐揚げとは違うのですか?」

 好物だという唐揚げだけに、酒生の食いつきが良く、中埜も嬉しくなって言葉を続ける。

「揚げたての唐揚げが美味しいのは当然のこととして、弁当用には、『冷めても美味しい』という条件が必要なんですよ」
「なるほど、確かにそうですね。いや、まずはひと口いただいてみましょうか」

 2人は、お皿に盛り替えた中埜のご自慢の唐揚げを中心に、相変わらずの漬物や煮物が並ぶ食卓を限られた時間の中で楽しんだ。

「冷めても美味しいのは、下味をしっかりつけておくからなんです」
「確かに、噛み締めるとしっかり味がしますねえ。それに冷めているのに、余分な脂が回った感じがしないし…」
「それは揚げ方で、2度上げするのがポイントなんです」

 感心しきりの酒生に、中埜も自信たっぷりに自論を披露する。

「最初は低温で、仕上げに高温で揚げ、すぐに油を切るんです」

 もう酒生は中埜ご自慢の唐揚げに夢中で、口いっぱいに頬張り、言葉も出せずに頷くだけだ。

「これはこれで美味しいのですが、揚げたてもまた絶品なんです。鶏もも肉の安売りの日に多めに買って、たくさん唐揚げを作るんです。その日に食べる分、翌日の弁当の分。そして残りは野菜と一緒に甘酢に漬けて翌日以降に食べる事もあります」
「まさに、唐揚げ三昧ですね」

 羨ましそうに目尻を下げる酒生に、中埜の気分も舞い上がる。

「教授にも一度、揚げたての唐揚げを召し上がっていただきたいですね」
「本当ですか!」

 深く考えることも無く口にした一言に、これほど酒生が嬉しそうにするとは思わず、中埜は高揚感と戸惑いを同時に感じていた。

「ええ、その…、酒生さんさえ良ければ、私の休みの日に作りに来ます」
「それは、本当に光栄だなあ」

 屈託の無い笑顔でそう言った酒生だったが、すぐに困ったような表情になった。

「中埜さんのお休みを無駄遣いさせるようで、申し訳ないのですが…」
「そんなことありません!」

 中埜はなぜか慌てて否定した。

「私の方こそ、偉そうに言っておきながら、所詮は素人の料理で、ご満足いただけるかどうか…」

 はにかむような中埜の様子を、温厚な眼差しで静かに見守っていた酒生だが、しばらくして落ち着いた静かな声で言った。

「中埜さんの、手料理がいただきたいのです」

 他意は無いのかもしれない。中埜はそう思ったが、何かが心に引っ掛かった。

「良ければ、泊りがけでお越しになるといい。以前、月見村には来ても、月を見たことがないとおっしゃっていたでしょう」

 以前、何の気なしに言った自分の言葉を酒生が覚えていてくれたのが、中埜には不思議で、なおかつ嬉しかった

「そうなんです。『月見村』というからには、きっと月が美しく見えるのだと思っていたのですが、月の見える時間にここへは来たことが無いので…」
「でしょう?ぜひ、この庭から月を眺めて御覧なさい。『月見村』とはよく言ったものだと思われますよ」

 ほんの少し自慢げな酒生に、中埜もまた、この庭から教授と並んで見る月に思いをはせた。

「ぜひ、お伺いしたいです。ご迷惑でなければ…」

 いつも通りに控えめな中埜の一言に、酒生は満面の笑みで答える。

「迷惑だなんて。こちらこそ、美味しい唐揚げをごちそうになるんですから」

 そんな素直な酒生の笑顔と言葉に、中埜も気持ちが和らいだ。

 この日、2人は次の満月が土曜日であると確かめ、その日に材料を持った中埜が初めてプライベートで村を訪れる約束をした。
 酒生は、普段使っている姉から譲り受けた軽自動車で街まで迎えに行くと申し出たのだが、中埜は遠慮して、公共交通機関であるバスで来ると告げたのだった。









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