村の郵便配達
「誰ですか?」
思った通り、縁側に人が立っていた。
白髪頭に眼鏡姿だが、決して老耄といった印象ではなく、細身ですらりと姿勢も良い精悍な男性だった。
「こんにちは。初めまして、郵便配達をしています、中埜と申します」
これが、酒生教授と中埜配達員の初めての出会いだった。
「ああ、あなたが…」
酒生はそう言って、知的で品のある笑顔を浮かべた。
その温厚な雰囲気に、中埜はホッとした。何10年ぶりの月見村の新顔だったが、初対面の印象は良かった。せっかくこれから村での付き合いが始まるのだ。できれば親しみの持てる相手ならいいと期待していたのだ。
「村の人から聞いていますよ。親切な郵便配達員の方だと」
酒生もまた、これから何かと世話になる事もあるだろう配達員が、中埜のような穏やかな人物で良かったと思っていた。
小さな村は何かと親切ではあるが、街に比べるとどうしても過干渉になる。ほのぼのとした世間話程度ならまだしも、狭いコミュニティだというのに、陰口や悪口などまで聞かされるのは、酒生ほどの年齢の男性には苦痛でさえあるのだ。
その点、この中埜という配達員は、誠実で、控えめな人物のようだ。このような人柄であれば、これからも長く付き合える、と酒生は確信した。
お互いの第一印象は、まずますといったところだった。
「先ほど、白い彼岸花に気付かれたようですね」
中埜が珍しい白い彼岸花に、思わず声に出したのを、酒生は聞いていたらしい。
「ええ。世の中に、白い彼岸花があるとは聞いていたのですが、実際に見たのは初めてです。この村のどこにも咲いていませんよね」
そう言って中埜は庭から村を臨んだ。よく見知った月見村だが、こうして高台から見下ろすのは初めてで、新鮮な景色に思えた。
「昔から、ここだけにしか咲かないのですよ。不思議ですね」
少年のように無邪気に言って、酒生は縁側に置いた、昔ながらのラタンの安楽椅子に腰を下ろした。この椅子は、酒生が子供の頃からこの縁側にあった。
ゆったりと籐椅子に座った酒生は、絵にかいたような知的な文化人に見えて、中埜はそれだけで敬意を感じた。
「酒生先生は…」
「え?」
突然「先生」と呼ばれて、酒生は驚いて中埜の顔を振り返った。
「あ、失礼しました。…実は、大学の先生をされていたと聞いていたので、つい…」
中埜は、申し訳なさそうな口調で、はにかむように俯いて言った。
そんな謙虚な中埜の態度に、酒生も好感を抱いた。「先生」と呼ばれることに慣れている酒生にとって、決して不快ではないことを伝えなければ、と思った。
「確かに私の職業は『先生』でしたが、あなたにとって、私は『先生』ではありませんよ。気を使わないで下さいね」
思いやりのある酒生の言葉に、中埜も微笑んだ。
「そう言えば、そろそろお昼ではありませんか?中埜さんは、いつも昼食はどうされているのですか?」
「ああ、弁当を持参して、どこかのお宅の縁側をお借りしていただいています」
正直に答える中埜に、酒生は目を細めた。
「それはちょうど良かった。私もこれから昼食なのです。よろしければ、お付き合いいただけるかな」
「ありがとうございます。助かります」
そう言って、中埜は帽子を取って一礼した。その礼儀正しさがまた、酒生には心地よかった。
「さあ、庭先からで失礼だが、どうぞ上がって下さい」
そう言って酒生が立ち上がると、中埜は慌てて答えた。
「いえ、私はここで…」
「何を言っているんです。昼食をお付き合いいただきたいと言ったはずですよ。私に縁側で食べろと?」
冗談めかして酒生が言うと、中埜の表情も緩んだ。
「ありがとうございます。お邪魔します」
それ以上、余計な会話をせず、2人は笑顔を交わすだけで、縁側につづく座敷に入った。
替えたばかりの畳は香りがよく、床の間の掛け軸や今では珍しい一枚板の大きな座卓に、この家の歴史や過去の繁栄が感じられる。
「お茶を淹れますね」
「あ、私もお手伝いを…」
勧められた分厚い座布団に座りかけた中埜だったが、慌てて立ち上がろうとした。
「今日は初対面で、中埜さんはお客さんだ。いいから座って待っていて下さい。あ、お弁当を食べ始めてもらってもいいですよ」
にこやかにそう言って、台所の方へと向かう酒生を、恐縮した苦笑いで見送った中埜は、改めて瀟洒な庭園や格式のある座敷を見回した。
かつてはどれほどの勢いを持っていたか、その1つ1つが充分に想像させる。だが、それらはあくまでも「過去」であり、「現在」に生きているものではないと感じさせられた。
「お待たせしましたね」
大きな配膳用のお盆に、これもまた昔ながらの鎌倉彫の茶托に、清水焼の蓋つきの茶碗が乗ったお茶と、少し大きめの小鉢に盛られた料理が並んでいる。この大きさのお盆があるのも、かつては村を上げての宴会がこの屋敷で行なわれた名残だった。
お盆を持つ酒生に、手早く中埜はお盆の上のお茶や料理を座卓に移した。
思った通り、縁側に人が立っていた。
白髪頭に眼鏡姿だが、決して老耄といった印象ではなく、細身ですらりと姿勢も良い精悍な男性だった。
「こんにちは。初めまして、郵便配達をしています、中埜と申します」
これが、酒生教授と中埜配達員の初めての出会いだった。
「ああ、あなたが…」
酒生はそう言って、知的で品のある笑顔を浮かべた。
その温厚な雰囲気に、中埜はホッとした。何10年ぶりの月見村の新顔だったが、初対面の印象は良かった。せっかくこれから村での付き合いが始まるのだ。できれば親しみの持てる相手ならいいと期待していたのだ。
「村の人から聞いていますよ。親切な郵便配達員の方だと」
酒生もまた、これから何かと世話になる事もあるだろう配達員が、中埜のような穏やかな人物で良かったと思っていた。
小さな村は何かと親切ではあるが、街に比べるとどうしても過干渉になる。ほのぼのとした世間話程度ならまだしも、狭いコミュニティだというのに、陰口や悪口などまで聞かされるのは、酒生ほどの年齢の男性には苦痛でさえあるのだ。
その点、この中埜という配達員は、誠実で、控えめな人物のようだ。このような人柄であれば、これからも長く付き合える、と酒生は確信した。
お互いの第一印象は、まずますといったところだった。
「先ほど、白い彼岸花に気付かれたようですね」
中埜が珍しい白い彼岸花に、思わず声に出したのを、酒生は聞いていたらしい。
「ええ。世の中に、白い彼岸花があるとは聞いていたのですが、実際に見たのは初めてです。この村のどこにも咲いていませんよね」
そう言って中埜は庭から村を臨んだ。よく見知った月見村だが、こうして高台から見下ろすのは初めてで、新鮮な景色に思えた。
「昔から、ここだけにしか咲かないのですよ。不思議ですね」
少年のように無邪気に言って、酒生は縁側に置いた、昔ながらのラタンの安楽椅子に腰を下ろした。この椅子は、酒生が子供の頃からこの縁側にあった。
ゆったりと籐椅子に座った酒生は、絵にかいたような知的な文化人に見えて、中埜はそれだけで敬意を感じた。
「酒生先生は…」
「え?」
突然「先生」と呼ばれて、酒生は驚いて中埜の顔を振り返った。
「あ、失礼しました。…実は、大学の先生をされていたと聞いていたので、つい…」
中埜は、申し訳なさそうな口調で、はにかむように俯いて言った。
そんな謙虚な中埜の態度に、酒生も好感を抱いた。「先生」と呼ばれることに慣れている酒生にとって、決して不快ではないことを伝えなければ、と思った。
「確かに私の職業は『先生』でしたが、あなたにとって、私は『先生』ではありませんよ。気を使わないで下さいね」
思いやりのある酒生の言葉に、中埜も微笑んだ。
「そう言えば、そろそろお昼ではありませんか?中埜さんは、いつも昼食はどうされているのですか?」
「ああ、弁当を持参して、どこかのお宅の縁側をお借りしていただいています」
正直に答える中埜に、酒生は目を細めた。
「それはちょうど良かった。私もこれから昼食なのです。よろしければ、お付き合いいただけるかな」
「ありがとうございます。助かります」
そう言って、中埜は帽子を取って一礼した。その礼儀正しさがまた、酒生には心地よかった。
「さあ、庭先からで失礼だが、どうぞ上がって下さい」
そう言って酒生が立ち上がると、中埜は慌てて答えた。
「いえ、私はここで…」
「何を言っているんです。昼食をお付き合いいただきたいと言ったはずですよ。私に縁側で食べろと?」
冗談めかして酒生が言うと、中埜の表情も緩んだ。
「ありがとうございます。お邪魔します」
それ以上、余計な会話をせず、2人は笑顔を交わすだけで、縁側につづく座敷に入った。
替えたばかりの畳は香りがよく、床の間の掛け軸や今では珍しい一枚板の大きな座卓に、この家の歴史や過去の繁栄が感じられる。
「お茶を淹れますね」
「あ、私もお手伝いを…」
勧められた分厚い座布団に座りかけた中埜だったが、慌てて立ち上がろうとした。
「今日は初対面で、中埜さんはお客さんだ。いいから座って待っていて下さい。あ、お弁当を食べ始めてもらってもいいですよ」
にこやかにそう言って、台所の方へと向かう酒生を、恐縮した苦笑いで見送った中埜は、改めて瀟洒な庭園や格式のある座敷を見回した。
かつてはどれほどの勢いを持っていたか、その1つ1つが充分に想像させる。だが、それらはあくまでも「過去」であり、「現在」に生きているものではないと感じさせられた。
「お待たせしましたね」
大きな配膳用のお盆に、これもまた昔ながらの鎌倉彫の茶托に、清水焼の蓋つきの茶碗が乗ったお茶と、少し大きめの小鉢に盛られた料理が並んでいる。この大きさのお盆があるのも、かつては村を上げての宴会がこの屋敷で行なわれた名残だった。
お盆を持つ酒生に、手早く中埜はお盆の上のお茶や料理を座卓に移した。
