村の郵便配達

 引っ越しの荷物の片付けも一段落し、酒生昇一郎は実家である古民家の縁側に立ち、変わらない遠くの山並みを見つめた。
 この春、酒生は教授として勤めた大学を、定年退職をした。それを契機に、今では限界集落の空き家となった実家の古民家に居を移すことにしたのだった。

「『国破れて、山河在り』…か」

 中国への留学と、大学での勤務経験がある酒生は、ふと日本でも有名な漢詩を口にした。

 酒生が、この実家に戻ったのはおよそ40年ぶりだった。
 日本の大学院で日本と中国の比較文学を専攻していた酒生は、大学院博士課程を終了後、中国へと留学した。その直前に一度、両親への報告のために、この実家に戻ってきた。この実家に足を踏み入れるのは、それ以来だった。

 花瀬市の北部にある、小さな山村、月見村。酒生家は、代々この村の地主として裕福な暮らしをしてきた。古民家風の屋敷も、この辺りでは一番大きく、庭も立派だった。
 だが今や酒生の両親も無く、人が住まなくなった屋敷や庭は、どれほど取り繕っていても、寂れた雰囲気は拭えない。
 往年の活気が廃れ、すっかり寂しくなったのは、酒生家だけではない。この月見村そのものが、もはや過疎化や高齢化が進んだ限界集落だった。
かつての賑わいは消えたが、それでも子供の頃から見てきた、村を囲む山並みは変わらない。
 そんな酒生の今の気持ちに沿うのが、杜甫の漢詩「春望」だった。

國破山河在(国破れて 山河在り)
城春草木深(城春にして 草木深し)
感時花濺涙(時に感じては 花にも涙を濺ぎ)
恨別鳥驚心(別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす)
烽火連三月(烽火三月に連り)
家書抵萬金(家書萬金に抵る)
白頭搔更短(白頭掻けば 更に短く)
渾欲不勝簪(渾て 簪に勝えざらんと欲す)

 以前の活気こそないが、酒生家は、すぐに引っ越して住めるほどには手入れを為されていた。それは、酒生の姉である田町有美子が管理してきたからだ。
 有美子は、酒生がまだ大学院生の時に結婚し、田町姓となり、市の南部に新居を構えた。酒生が大学院修了と同時に両親との関係が決裂して、中国に留学した後は、両親の面倒はもちろん、葬儀やその後の家の管理など、なにもかも姉の有美子に任せてきたのだ。 
 田町有美子は、これまで月見村の実家の管理のため、自家用の軽自動車を自ら運転して通って来ていた。だが有美子も70歳を超えた今、家族から運転免許の返納を薦められ、それを受け容れた。それゆえに、もう遠い山間部の月見村へ1人で来ることは出来ず、実家の管理も諦めたのだ。

 そして、長年勤めた大学での教授職を、定年退職で辞した弟、昇一郎に後を任せることにした有美子は、かなり強引な迫り方で弟を実家に住まわせるよう説得したのだった。長く、両親や実家のあらゆることを姉任せにして来た酒生家の長男としては逆らい難く、また退職後は賑やかな市内よりも、静かな山村で隠棲生活を送るのも悪くないと思った酒生は、こうして生まれ故郷の月見村へと帰ってきたのだった。

***

 中埜幸志は、この道30年以上の郵便配達員である。
 担当の月見村も今では限界集落となり、週2回の配達に減ってしまったが、かつては毎日この村へと通い、多くの村民と交流を持ったものだ。
 近頃では、すっかり村民も減ってしまい、中埜も寂しく思っていた。それでもまだ幾人かの古くからの村人との付き合いは中埜にとっても楽しみでもあり、また近年では「見守りサービス」という仕組みが整えられたため、ただの挨拶まわりにとどまらず、業務の一環として数少ない月見村の人たちの顔を見に回ることになっている。

 この月見村の担当になって20年。最初の頃は、この村にも子供たちがいて、笑い声が満ち、明るく、楽しい、穏やかな山村だった。時間も、街なかとは違いゆったりと流れ、中埜にとってはまるで桃源郷のように美しい村だと思っていた。
 それが今では、すっかり人も減り、往時の活気は夢のように消えてしまった。

 このことに、中埜は思った。人と同じく、村も老いていくのだ、と。

 それはまた、自分自身にも言えることだった。
 若い頃には、いくつかの恋もした。学生時代の同級生、就職したばかりの頃の上司の紹介。どれも無難な交際だったが、中埜の口数が少なく、これといって趣味も無い、ただ穏やかなだけが取り柄の人柄が、当時の若い女性たちには退屈に思えたようだ。
 いつしか、見合い話や紹介の声も掛からなくなり、中埜自身、心を動かすような出会いも無く、気が付くとあと数年で定年退職、という年齢になっていた。
 退職のその日まで、思い出が詰まったこの美しい月見村の担当を続けたい。それが今の中埜の唯一の望みだった。

 そして今週も、月曜と木曜の2回、赤いスクーターに乗って、険しい山道を月見村へと通う中埜だった。




1/16ページ
スキ