異国を走れば厄介に当たる


 時は暫し遡る。

 オリヴェールが送られてきた情報量に文句を言っている頃、イグナシオにも郵便が届く。中にはカナダ行きの航空券と現金が同封されていた。道中の公共交通機関を利用したりなど必要に応じて使うよう、手紙が入っている。例のチップと電話番号を渡してきた男から届いたものだ。
 イグナシオが意を決し出場する意思を示すと、男はとても喜び、金銭的な援助もレース中のサポートも他者を介して行うという。そしてやはり男は、レース展開について指示を出してきた。
 彼が求めている条件は2つ。

 決して1位になってはいけないこと。
 ゼッケンナンバー10番の選手を抜いてはいけないこと。

 意図は全くわからないが、それであの男が大金を掴み、こちらに約束の金額をきっちり支払ってくれるのであればどうでもいいことだ。
 この男の言う通りのレース展開になるとすると、イグナシオの順位は入賞圏内に収まり、入賞賞金も貰えることになるそうだ。八百長レースなど気乗りしないが、それ以上に彼は獲得賞金で小さくとも学習の場を増やすことを目的としている。まとまった金が手に入るチャンスであれば何でもよかった。
 どうせなら優勝賞金も狙うのはどうか、と思ったが、どう考えてもレース出場へのアプローチが普通ではなかった。金は必要だ、しかしそれ以上に自分が関わったばかりに周囲にまで厄介事のタネを撒き散らすわけにはいかない。ここは腑に落ちないが、大人しく金持ちの言うことを聞いて目立たないように気を付けようと考える。

 こうして思惑の絡み合ったレースは開催された。



 ほとんど出来レースと化していたので、レース展開にこれといって盛り上がりどころもなく、優勝候補者がしっかり優勝して終わる。ただそれだけだった。
 オリヴェールの追うイグナシオは8位で、ギリギリの総合入賞と、年代別部門での2位を獲得していた。初出場で入賞はなかなかの成績だと、オリヴェール以外の記者も彼に群がっている。
 順位の上位者から順番に、言ってしまえば形だけの取材を行い、オリヴェールは最後にイグナシオの元へ向かう。このでようやくその姿をはっきりと確認することができた。ドローンの空撮では小さすぎてよくわからなかったからである。
 日に焼け、よく引き締まった身体つきをしていた。しかしながらしなやかさを感じさせるレース中の動きは、ネコ科動物を彷彿とさせるものがある。平地を駆けるトラではなく、山岳を移動するヒョウのようだった。
 そして長身のオリヴェールより頭一つ分低いくらいだ。おそらく、身長は170cmよりも低いだろう。オリヴェールは握手を求めながら、労いの言葉を伝えた。
「お疲れ様、入賞おめでとう。初出場の、しかもこんなクレイジーなレースで成績を残すなんて素晴らしいよ。是非ともどんなトレーニングをしていたか、などを聞かせてもらえないか?」
 イグナシオは差し出された手を握り返し、礼を述べた。彼の英語の発音には独特の訛りのような響きが含まれている。
「アリガトございます。ちゃんと入賞できてよかったデス。これで住んでる近くに学校できマス」
「……学校?」
「そデス。賞金で学校できマス。子ども達、遠い遠い学校まで行きマス。とっても大変。学校が近くなれば、とってもラクです」
「……なるほど……。その話、もっと詳しく聞いてもいいかい?」
 オリヴェールに聞かれ、イグナシオは少し考えた後に頷いた。
「ありがとう。それじゃあ落ち着いて話ができるよう、どこかの店にでも入るのがいいかな。昼飯にはちょっと早いけど……何か食べたいものとか、希望はあるかい?」
「……食べたいもの……ハンバーガー、がいいデス」
 イグナシオが、食べたことないので、と付け加えたので、オリヴェールは驚きに言葉がすぐ出てこなかった。しかし、彼の生活環境を思えばそれもそのはず、と納得する。
「…よし、それならどこにでもあるし、すぐ案内できるよ」
 オリヴェールは近くのファストフード店を検索し、イグナシオと共に向かった。
 注文を行い、すぐ準備され手元に届く。その早さにイグナシオは驚いたようで、無言で瞬きを数回していただけだった。二人分のセットメニューが乗ったトレーをオリヴェールが運び、そのあとをイグナシオがついていく。向かい合わせのボックス席を選び、テーブルの中央にトレーを置いた。
「…あー、こっちがイグナシオ、君の分だ」
 オリヴェールは自分の分をトレーの端に寄せた。
「アリガトございます。話には聞いたシ、見た目も知ってマシた。でも、食べるのは初めてナンです」
 イグナシオが興味に目を輝かせているのを、オリヴェールは微笑ましく思いながら自分が注文したハンバーガーにかぶりついた時だった。
 突如、店の入り口で叫び声やガラスが割れる音がする。何事かと振り返るイグナシオとハンバーガーを食べながら顔を入り口の方に向けたオリヴェールの目に入ったのは、銃を持った男の姿だった。男は突然、持っていた銃の引き金を引き始める。銃声を聞き、店内の客は悲鳴を上げながら逃げ出し、テーブルの下へと避難する。
 オリヴェールはハンバーガーなど食べている場合ではない、と慌ててテーブルの下に滑り込んだ。同じようなタイミングでイグナシオも滑り込んでくる。オリヴェールはテーブルの下を這って進み、イグナシオの隣に座り込んだ。
「……まさか、白昼堂々、銃の乱射事件が起こるとはな……。あぁ、そうだ。自己紹介がまだだったよな。俺はジャーナリストのオリヴェール・マケラだ。よろしくな」
「……はぁ、よろしくデス。でもそんなジョータイ違いますネ」

 そして、冒頭の状況になった訳である。
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