群青の途
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※流血表現、グロ注意
久しぶりの飢餓感を味わってから数日後、私は今日も森の中を歩く。夜になってから大分時間が経っており、辺りはまだ薄暗いもののもう少しで夜が明ける、といった頃合いであった。
地面に敷かれる落ち葉を踏みしめ歩いていれば、鼻が感じ取る、もう嗅ぎ慣れてしまったその匂い。
──血のにおい……!
即座に反応した私は、その匂いの元へと走り出す。間に合え、どうか間に合って……!
木々を飛び移り、向かった先。
大怪我をし膝をついている蝶飾りの女の人と、白橡色の髪をした男の鬼。
武器であるのか、黄金色の二対の鉄扇を持ったその鬼が獲物を振り上げようとする。
──絶対に殺させるもんか!!
登っていた木の上から飛び出し、鬼へと飛び蹴りを繰り出す。しかし鬼はそれに反応し、攻撃を鉄扇で防いだ。硬い鉄扇を蹴った足が、びりびりと鈍い痛みに襲わる。
「ん? 君は……鬼だね。俺に何か用かな?」
私は鉄扇を足場にし、一旦白橡の鬼と距離を取る。蝶飾りの女の人を背後に庇うように地面に降り立った。そうして改めて正面からその鬼の姿を見て、体が震えた。
──この鬼には勝てない。
戦う前からそう思ってしまった。前に戦った『下弦の参』とやらとは比べものにならない程凶悪な雰囲気。外見は垂れ目で優しそうに微笑むその鬼だが、その隠しきれない悍しい気配。
そして鬼の虹色の瞳には、またもや文字が書かれていた。今度は両目にそれぞれ『上弦』と『弐』の文字。上弦? ……月のことだろうか。
やはりそれの意味するところはよく分からなかったが、目に文字の書いている鬼は強い、ということは前の経験から分かっていた。
……でも、絶対逃げない。私がこの人を守るんだ。
そして私は何の合図もなく白橡の鬼へと飛びかかった。拳で殴りつけるが、避けられ攻撃は当たらない。その為素早く体勢を蹴りへと転換し、足を振り上げたが鉄扇により阻まれる。
「どうしたどうした! 何か気に食わないことでもあるのかい?」
鬼は呑気に笑いながら攻撃をすべていなしていく。しかし私は相手をよく見て、鬼が鉄扇で私の拳を防いだ瞬間に足を振り上げ、鉄扇を持つ鬼の片手を粉砕した。
ぐしゃり、と皮膚が破れ骨が砕ける酷い音がした。
「血鬼術も武器も無しにこれとは、君なかなか強いじゃないか! でも数字は貰えていないみたいだねぇ」
しかし鬼は腕を砕かれたにも関わらず、鉄扇を取り落とすことは無かった。それは何故か──鬼の再生が早すぎて、腕を砕かれた瞬間にはもう腕は完治していたからだ。私は思わず鬼から距離をとる。
──再生速度が速すぎる。並の攻撃じゃびくともしない!
私の攻撃に感心していた白橡の鬼は、笑顔をはっとさせ私の背後にいる蝶飾りの女の人を指さした。
「あ、もしかして君もこの子を食べたいのかい? うーん、でもごめんねぇ。“初めての食事”のところ悪いけど、この子は俺が救ってあげなくちゃいけないんだ!」
そう言いにかーっとまるで子供のようにわらう鬼。
わらう鬼が言い放った言葉に、私は引っかかりを覚えた。
──救う? この女の人を?
鬼はこの女の人のことを『救ってあげる』と言った。救うとは一体どういうことだ、この女の人を傷つけたのはこの鬼ではないのか。
私が困惑していれば、それを知ってか知らずか白橡の鬼がぺらぺらと話し出す。
「俺はこの子を救ってあげるんだ。可哀想な女の子、鬼狩りなんて辛いことはやめて想い人とでも幸せに暮らせば良かったのに。でも大丈夫、今から俺がその苦しみから救ってあげるよ。何も怖くなんてないさ、これからも俺とずっと一緒にいられるのだから」
その言葉を聞いて、私は『救う』ということがどういう意味を持つのかを理解した。やっぱり、この鬼は女の人を食べようとしていたのだ。
「だから、君は大人しく引き下がってくれ。鬼同士の戦いほど無意味なものはないからさ。ああ、入れ替わりの血戦なら受けてあげてもいいけど、それはこの後にしてくれ!」
わらう鬼に、私は再び無言で攻撃を仕掛ける。その腕を掴み、またも鬼の片腕を破壊するが、それは瞬きほどの合間に再生してしまう。
「うーん、君は鬼になりたてなのかな? 可哀想に……お腹が減っているんだね」
私が頑なに引かないことから、鬼は私を『飢餓状態で意識がない』と判断したようだ。
鬼は今まで私に対し攻撃する素振りを見せず、あくまで防戦一方であった。
──しかし、私の蹴りがその端正な顔を消し飛ばした途端、とてつもない速さで鉄扇を振るってきた。私はそれを体を仰け反らせ回避するが、掠った鼻の先から血が流れた。
そして鬼は鉄扇を構え、奇妙な言葉を口にした。
「血鬼術──蔓蓮華」
どこかで聞いたことのあるようなそれに、前に戦った『下弦の参』の鬼も似たようなことを言っていたということを思い出した。あの時は腕を謎の技で両断されたが、今回は違うようであった。
鉄扇を振るった鬼の方から、私に向かって冷気を纏う氷の蔓が伸びてきた。それに伴い、周りの空気が一段下がる。
──この鬼は氷を使うのか。でも、氷程度なら私にも壊せる。
そう思った私は、迫りくる氷を破壊しようと拳を振るった。しかし、壊れたのは──私の腕の方だった。
「っ──!!」
氷を破壊する為に振るった腕は、逆に氷に負けぐちゃりと抉られた。止められなかった氷の蔓たちが腕や足を貫通し、そこから血が吹き出た。
勢いよく刺さった蔓が抜かれ、全身が痛みと寒さを訴える。そしてそのまま横へと薙ぎ払われた私は地面へと吹き飛ばされた。刺された腕や足に加え、吹き飛ばされたことで打ち付けた頭からは血が滴り、それが頬を伝う感覚がした。
「おや、君には少し早かったかな! けどこの経験を糧にすれば、君はもっと強い鬼になれるぜ!」
そう言った鬼が近づいてくる。もう既にぼろぼろな私と違い、白橡の鬼は無傷で綺麗な格好のままだった。
「さ、もうお帰り。敵わない相手と戦って無駄に傷付くのは疲れただろう?」
白橡の鬼が眉を下げ、案ずるような表現で私を諭す。そう言い残し、私を通り越して女の人のもとに行こうとする鬼。
──いかせるものか。
それに対し地面に伏せている私は、瞬時に立ち上がり鬼の頸元を狙い回し蹴りを放つ。それをまたもや鉄扇で防いだ鬼は、はぁ、とため息を吐き、
「……君、ちょっとしつこいなぁ。諦めることも時には大切だよ」
再び鉄扇を振るう。私は鬼の近くから飛び退き、氷に対応するため距離を取った。
鬼の振るう鉄扇から、先程と同じ氷の蔓が放たれる。
──ここで私が引き下がる訳にはいかない。わたしがいなくなれば、誰がこの女の人を守るの。
──絶対に、手は出させない。
私は女の人の前に立ち塞がる。
全身に力を入れれば、血の巡りが早くなり血管がびきびきと浮き上がる。
「!!」
「あ……!」
ふぅ、と暑い息を吐き、向かってくる氷を殴りつれば、ばきりと大きな音を立ててそれは砕け散った。それに対し、白橡の鬼が目を見開いたのが分かった。今度は私の手が破壊されることもなく、私は向かってくる氷の蔓を全て粉々に破壊する。氷に触れた手が冷気で凍っているが、気にすることでもない。
──しかし、このまま戦い続けていてもきっとこの鬼には勝てない。あの氷の技……序盤の技を余裕げに出しているところから見るに、あれ以上の威力の技がまだまだあるようだ。戦いに怪我をしている女の人を巻き込んでしまっては本末転倒になる。
そして、もうじき夜が明ける。
そう考えた私は。
──膝をついていた女の人を抱えて、一目散に走り出した。
「──え……!? 貴方、なんで……」
「えぇ〜、そこまでして食べたいのかい? 我儘な子だなぁ」
抱えた女の人が驚きの声を上げ、背後からは楽しむような、はたまた面白がるような声が聞こえた。
──走れ、走れ。もう夜明けだ。太陽が一秒でも早く届く、西の方角に。
木々の合間をすり抜け、必死に西の方角へと走る。踏み締める落ち葉や風に吹かれる木々がざわざわと騒き、もっと速く走れと私を急かし立てる。私はかなりの速さで走っていた筈だが、追ってくる気配はもうすぐそこまで来ていた。
──その時、ぞわりと身が粟立つような鋭い冷気を感じ取った。
私は本能的に、抱えた女の人をすぐそこの日が当たる場所へと投げ飛ばした。
──その瞬間、私の上半身と下半身が泣き別れになり、女の人を投げ飛ばした場所には丁度日が差し込んだ。
私は、べちゃりと大量の血を流しながら地面に倒れ込んだ。
投げた女の人は平気か、と顔を上げる。よかった、急に投げ飛ばした女の人は受け身を取り平気なようだ。しかしその途端切断された体に激痛が走り始める。暑さと寒さが入り混じり、体が緩く痙攣した。痛みに耐えるために地面に爪を立て土を握り、叫び出しそうになるのを押し殺した。
すると背後から土を踏む足音が聞こえた。それが誰のものかなど、今更振り返らなくても分かることだった。
冷や汗を流し浅い息を繰り返す私の横に立った白橡の鬼は、日の下にいる女の人を見て不満げな顔をした。
「はぁ、これじゃあ彼女を救えないじゃないか。……君のせいだよ、分かってる? お腹が減るのは分かるし仕方ないけど、人のものを横取りしちゃいけないよ」
そんな説教紛いの言葉を残し、白橡の鬼は私を殺すこともなくあっさりと退散していった。そのため今この場に残るのは、私と守った女の人だけだ。
私は鬼であるから再生できる。この痛みも……がまん、できる。けど、人間はそうにはいかない。
女の人は今も血を流して続けており、一刻も早く医者に診てもらわなければ死んでしまう。
視線を向けると、女の人と目が合う。
刹那、私は漠然とした『恐怖』を感じた。
ぞわりと心臓が冷え込み、再び冷や汗が垂れてくる。
──どうしよう、どうしよう、怖い。
でも、私は……一体何に怖がっているのだろう。
今すぐにでも私の頸を刎ねることのできる、目の前の女の人?
私が敵わなかった、圧倒的な力を持ったあの鬼?
それとも、目前まで迫りきている日の光だろうか?
ないしは、『血の匂いが甘い』と、『人が美味しそうだ』などと思ってしまう自分?
……いや、違う。私が怖がっているのは──目の前の人の死だ。
大量に血を流し、ぼろぼろのその姿が“誰か”に重なる。
体中血だらけの“彼ら”はもう冷たくなっていて、それを美味しそうだなんて思う最低な自分に吐き気がして。
だから今度は、今度こそは『手遅れ』になる前に──。
その時、私の心臓に巻き付いていた“何か”が、音を立てて外れた。その“何か”はいつも重苦しく、お前などいつでも殺せると言わんばかりに、ぎちぎちと心臓を締め付けていた。それが外れ、息苦しさから開放された。視界も広くなったように感じる。
しかし、それと同時に脳内に霧が漂い始める。
掴みかけていたものが、ゆっくりと霧の中へと沈んでいく。
霧がかかる記憶の奥に、沢山の人がいた。霧の向こうの人達は、何かを一生懸命叫んでいる。しかし、ぼんやりとした音のそれはうまく聞き取れなかった。
そうしているうちにも霧は濃くなっていき──。
「──姉──! ────ん!」
ここからさして遠くはないところから、人の声が聞こえた。逃げないと、わたし、きられちゃう。
下半身の再生が完了した私は、手をつき立ち上がる。血が不足しているのか、ふらりとよろめくが、それでも足を動かす。日の通らない、山の奥へと。
「貴方っちょっと、待って!」
背後からは呼び止めの声が聞こえたが、私は気にせず歩みを進めた。
裸足で踏み締める落ち葉には、赤が多かった。
6
(姉さん!!)
(……しのぶ……)
(動かないでっ……今、手当てするから……!)
久しぶりの飢餓感を味わってから数日後、私は今日も森の中を歩く。夜になってから大分時間が経っており、辺りはまだ薄暗いもののもう少しで夜が明ける、といった頃合いであった。
地面に敷かれる落ち葉を踏みしめ歩いていれば、鼻が感じ取る、もう嗅ぎ慣れてしまったその匂い。
──血のにおい……!
即座に反応した私は、その匂いの元へと走り出す。間に合え、どうか間に合って……!
木々を飛び移り、向かった先。
大怪我をし膝をついている蝶飾りの女の人と、白橡色の髪をした男の鬼。
武器であるのか、黄金色の二対の鉄扇を持ったその鬼が獲物を振り上げようとする。
──絶対に殺させるもんか!!
登っていた木の上から飛び出し、鬼へと飛び蹴りを繰り出す。しかし鬼はそれに反応し、攻撃を鉄扇で防いだ。硬い鉄扇を蹴った足が、びりびりと鈍い痛みに襲わる。
「ん? 君は……鬼だね。俺に何か用かな?」
私は鉄扇を足場にし、一旦白橡の鬼と距離を取る。蝶飾りの女の人を背後に庇うように地面に降り立った。そうして改めて正面からその鬼の姿を見て、体が震えた。
──この鬼には勝てない。
戦う前からそう思ってしまった。前に戦った『下弦の参』とやらとは比べものにならない程凶悪な雰囲気。外見は垂れ目で優しそうに微笑むその鬼だが、その隠しきれない悍しい気配。
そして鬼の虹色の瞳には、またもや文字が書かれていた。今度は両目にそれぞれ『上弦』と『弐』の文字。上弦? ……月のことだろうか。
やはりそれの意味するところはよく分からなかったが、目に文字の書いている鬼は強い、ということは前の経験から分かっていた。
……でも、絶対逃げない。私がこの人を守るんだ。
そして私は何の合図もなく白橡の鬼へと飛びかかった。拳で殴りつけるが、避けられ攻撃は当たらない。その為素早く体勢を蹴りへと転換し、足を振り上げたが鉄扇により阻まれる。
「どうしたどうした! 何か気に食わないことでもあるのかい?」
鬼は呑気に笑いながら攻撃をすべていなしていく。しかし私は相手をよく見て、鬼が鉄扇で私の拳を防いだ瞬間に足を振り上げ、鉄扇を持つ鬼の片手を粉砕した。
ぐしゃり、と皮膚が破れ骨が砕ける酷い音がした。
「血鬼術も武器も無しにこれとは、君なかなか強いじゃないか! でも数字は貰えていないみたいだねぇ」
しかし鬼は腕を砕かれたにも関わらず、鉄扇を取り落とすことは無かった。それは何故か──鬼の再生が早すぎて、腕を砕かれた瞬間にはもう腕は完治していたからだ。私は思わず鬼から距離をとる。
──再生速度が速すぎる。並の攻撃じゃびくともしない!
私の攻撃に感心していた白橡の鬼は、笑顔をはっとさせ私の背後にいる蝶飾りの女の人を指さした。
「あ、もしかして君もこの子を食べたいのかい? うーん、でもごめんねぇ。“初めての食事”のところ悪いけど、この子は俺が救ってあげなくちゃいけないんだ!」
そう言いにかーっとまるで子供のようにわらう鬼。
わらう鬼が言い放った言葉に、私は引っかかりを覚えた。
──救う? この女の人を?
鬼はこの女の人のことを『救ってあげる』と言った。救うとは一体どういうことだ、この女の人を傷つけたのはこの鬼ではないのか。
私が困惑していれば、それを知ってか知らずか白橡の鬼がぺらぺらと話し出す。
「俺はこの子を救ってあげるんだ。可哀想な女の子、鬼狩りなんて辛いことはやめて想い人とでも幸せに暮らせば良かったのに。でも大丈夫、今から俺がその苦しみから救ってあげるよ。何も怖くなんてないさ、これからも俺とずっと一緒にいられるのだから」
その言葉を聞いて、私は『救う』ということがどういう意味を持つのかを理解した。やっぱり、この鬼は女の人を食べようとしていたのだ。
「だから、君は大人しく引き下がってくれ。鬼同士の戦いほど無意味なものはないからさ。ああ、入れ替わりの血戦なら受けてあげてもいいけど、それはこの後にしてくれ!」
わらう鬼に、私は再び無言で攻撃を仕掛ける。その腕を掴み、またも鬼の片腕を破壊するが、それは瞬きほどの合間に再生してしまう。
「うーん、君は鬼になりたてなのかな? 可哀想に……お腹が減っているんだね」
私が頑なに引かないことから、鬼は私を『飢餓状態で意識がない』と判断したようだ。
鬼は今まで私に対し攻撃する素振りを見せず、あくまで防戦一方であった。
──しかし、私の蹴りがその端正な顔を消し飛ばした途端、とてつもない速さで鉄扇を振るってきた。私はそれを体を仰け反らせ回避するが、掠った鼻の先から血が流れた。
そして鬼は鉄扇を構え、奇妙な言葉を口にした。
「血鬼術──蔓蓮華」
どこかで聞いたことのあるようなそれに、前に戦った『下弦の参』の鬼も似たようなことを言っていたということを思い出した。あの時は腕を謎の技で両断されたが、今回は違うようであった。
鉄扇を振るった鬼の方から、私に向かって冷気を纏う氷の蔓が伸びてきた。それに伴い、周りの空気が一段下がる。
──この鬼は氷を使うのか。でも、氷程度なら私にも壊せる。
そう思った私は、迫りくる氷を破壊しようと拳を振るった。しかし、壊れたのは──私の腕の方だった。
「っ──!!」
氷を破壊する為に振るった腕は、逆に氷に負けぐちゃりと抉られた。止められなかった氷の蔓たちが腕や足を貫通し、そこから血が吹き出た。
勢いよく刺さった蔓が抜かれ、全身が痛みと寒さを訴える。そしてそのまま横へと薙ぎ払われた私は地面へと吹き飛ばされた。刺された腕や足に加え、吹き飛ばされたことで打ち付けた頭からは血が滴り、それが頬を伝う感覚がした。
「おや、君には少し早かったかな! けどこの経験を糧にすれば、君はもっと強い鬼になれるぜ!」
そう言った鬼が近づいてくる。もう既にぼろぼろな私と違い、白橡の鬼は無傷で綺麗な格好のままだった。
「さ、もうお帰り。敵わない相手と戦って無駄に傷付くのは疲れただろう?」
白橡の鬼が眉を下げ、案ずるような表現で私を諭す。そう言い残し、私を通り越して女の人のもとに行こうとする鬼。
──いかせるものか。
それに対し地面に伏せている私は、瞬時に立ち上がり鬼の頸元を狙い回し蹴りを放つ。それをまたもや鉄扇で防いだ鬼は、はぁ、とため息を吐き、
「……君、ちょっとしつこいなぁ。諦めることも時には大切だよ」
再び鉄扇を振るう。私は鬼の近くから飛び退き、氷に対応するため距離を取った。
鬼の振るう鉄扇から、先程と同じ氷の蔓が放たれる。
──ここで私が引き下がる訳にはいかない。わたしがいなくなれば、誰がこの女の人を守るの。
──絶対に、手は出させない。
私は女の人の前に立ち塞がる。
全身に力を入れれば、血の巡りが早くなり血管がびきびきと浮き上がる。
「!!」
「あ……!」
ふぅ、と暑い息を吐き、向かってくる氷を殴りつれば、ばきりと大きな音を立ててそれは砕け散った。それに対し、白橡の鬼が目を見開いたのが分かった。今度は私の手が破壊されることもなく、私は向かってくる氷の蔓を全て粉々に破壊する。氷に触れた手が冷気で凍っているが、気にすることでもない。
──しかし、このまま戦い続けていてもきっとこの鬼には勝てない。あの氷の技……序盤の技を余裕げに出しているところから見るに、あれ以上の威力の技がまだまだあるようだ。戦いに怪我をしている女の人を巻き込んでしまっては本末転倒になる。
そして、もうじき夜が明ける。
そう考えた私は。
──膝をついていた女の人を抱えて、一目散に走り出した。
「──え……!? 貴方、なんで……」
「えぇ〜、そこまでして食べたいのかい? 我儘な子だなぁ」
抱えた女の人が驚きの声を上げ、背後からは楽しむような、はたまた面白がるような声が聞こえた。
──走れ、走れ。もう夜明けだ。太陽が一秒でも早く届く、西の方角に。
木々の合間をすり抜け、必死に西の方角へと走る。踏み締める落ち葉や風に吹かれる木々がざわざわと騒き、もっと速く走れと私を急かし立てる。私はかなりの速さで走っていた筈だが、追ってくる気配はもうすぐそこまで来ていた。
──その時、ぞわりと身が粟立つような鋭い冷気を感じ取った。
私は本能的に、抱えた女の人をすぐそこの日が当たる場所へと投げ飛ばした。
──その瞬間、私の上半身と下半身が泣き別れになり、女の人を投げ飛ばした場所には丁度日が差し込んだ。
私は、べちゃりと大量の血を流しながら地面に倒れ込んだ。
投げた女の人は平気か、と顔を上げる。よかった、急に投げ飛ばした女の人は受け身を取り平気なようだ。しかしその途端切断された体に激痛が走り始める。暑さと寒さが入り混じり、体が緩く痙攣した。痛みに耐えるために地面に爪を立て土を握り、叫び出しそうになるのを押し殺した。
すると背後から土を踏む足音が聞こえた。それが誰のものかなど、今更振り返らなくても分かることだった。
冷や汗を流し浅い息を繰り返す私の横に立った白橡の鬼は、日の下にいる女の人を見て不満げな顔をした。
「はぁ、これじゃあ彼女を救えないじゃないか。……君のせいだよ、分かってる? お腹が減るのは分かるし仕方ないけど、人のものを横取りしちゃいけないよ」
そんな説教紛いの言葉を残し、白橡の鬼は私を殺すこともなくあっさりと退散していった。そのため今この場に残るのは、私と守った女の人だけだ。
私は鬼であるから再生できる。この痛みも……がまん、できる。けど、人間はそうにはいかない。
女の人は今も血を流して続けており、一刻も早く医者に診てもらわなければ死んでしまう。
視線を向けると、女の人と目が合う。
刹那、私は漠然とした『恐怖』を感じた。
ぞわりと心臓が冷え込み、再び冷や汗が垂れてくる。
──どうしよう、どうしよう、怖い。
でも、私は……一体何に怖がっているのだろう。
今すぐにでも私の頸を刎ねることのできる、目の前の女の人?
私が敵わなかった、圧倒的な力を持ったあの鬼?
それとも、目前まで迫りきている日の光だろうか?
ないしは、『血の匂いが甘い』と、『人が美味しそうだ』などと思ってしまう自分?
……いや、違う。私が怖がっているのは──目の前の人の死だ。
大量に血を流し、ぼろぼろのその姿が“誰か”に重なる。
体中血だらけの“彼ら”はもう冷たくなっていて、それを美味しそうだなんて思う最低な自分に吐き気がして。
だから今度は、今度こそは『手遅れ』になる前に──。
その時、私の心臓に巻き付いていた“何か”が、音を立てて外れた。その“何か”はいつも重苦しく、お前などいつでも殺せると言わんばかりに、ぎちぎちと心臓を締め付けていた。それが外れ、息苦しさから開放された。視界も広くなったように感じる。
しかし、それと同時に脳内に霧が漂い始める。
掴みかけていたものが、ゆっくりと霧の中へと沈んでいく。
霧がかかる記憶の奥に、沢山の人がいた。霧の向こうの人達は、何かを一生懸命叫んでいる。しかし、ぼんやりとした音のそれはうまく聞き取れなかった。
そうしているうちにも霧は濃くなっていき──。
「──姉──! ────ん!」
ここからさして遠くはないところから、人の声が聞こえた。逃げないと、わたし、きられちゃう。
下半身の再生が完了した私は、手をつき立ち上がる。血が不足しているのか、ふらりとよろめくが、それでも足を動かす。日の通らない、山の奥へと。
「貴方っちょっと、待って!」
背後からは呼び止めの声が聞こえたが、私は気にせず歩みを進めた。
裸足で踏み締める落ち葉には、赤が多かった。
6
(姉さん!!)
(……しのぶ……)
(動かないでっ……今、手当てするから……!)