群青の途
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山で女の人を助けた後、私は暫くその山に滞在した。私は昼間も山の中を歩き回っていたが、どうやら他の鬼達は普通昼間は出歩かないようで、鬼の気配はするものの鬼自体は見つからなかった。
しかし、夜になれば話は別だ。夜になり、山に入り込んできた人間を狙って鬼は活動を始める。私はそこを狙い、人間達を守るように動いた。
鬼同士では決着がつけられないから、拘束して、日で焼き殺す。そうして助けた人間は、山の下まで送り届けることもあれば、化物だと怒鳴られることもあった。
幸い、あの日──初めて女の人を助けた日──から飢餓で意識を失う、ということは無く、お腹は空いたままであったが普通に過ごせていた。
そうした寝食を忘れた生活を続けていたところ、気付けばこの山から鬼は私を除き、いなくなっていた。
──もうこの山に人喰い鬼はいない。
鬼になってしまったなら、鬼の私でも出来ることをしよう、と考え始めた『鬼退治』。鬼が鬼を退治するなんて可笑しな話だけど、それでも私は……。
そして、残してきてしまったお兄ちゃん。今、どうしているのかな。
お兄ちゃんに会いたい──とそう思ったが……もしかしたら、あの惨劇の犯人は私だと思われているかもしれない。
それに、私は家族を守れなかった。人間でもなくなってしまった。私にお兄ちゃんに会う資格など、ない。
目を瞑り集中して気配を探っても鬼らしき気配は無いし、もう私がいなくても大丈夫だろうと私はその山を後にした。
***
夜のうちに移動をし、私は新しい山へと辿り着いた。
その山にも鬼が住み着いており、やはりどこの山にも鬼はいるものだと知った。
その山でも私は前と同じような生活を繰り返した。人は守る。鬼は倒す。それの繰り返し。
そんな日々の中、私は久しぶりに大勢の気配を感じ取った。感じ取った気配の数は一、ニ、三……十数人以上。そんなに大勢で、何をしているのだろう。祭りか何かなのだろうか?
月の光が差し込む森の中、私は一瞬立ち止まり逡巡した。
何をしているのか気になりはしたが、必要以上に人と関わればお腹が空くので確かめには行かなかった。
前に鬼は日の光と日輪刀以外では死なないと知ったがそれは本当のようで、現に私は数ヶ月以上何も食わず寝ることもせずに生きている。しかし、やはり苦しいものは苦しい。できるだけ苦しい思いはしたくなかった。
その大勢の気配を避けるように森を徘徊していたが、数分後にはその大半の気配が消えていた。
いなくなったのではなく、“消えた”のだ。
異変を感じた私は、すぐさまその気配達のもとへ走り始めた。木々が風に揺られ騒めく。近づくにつれ、何となく状況が分かってきた。
──鬼だ、鬼がいる。それも今までとは比べものにならないくらい凶悪な。
血の匂いが濃くなり、微かに死臭も混ざるそれに、もっと早く気付くべきだったと後悔した。
気配を感じたところに辿り着けば、そこは木々が少なく開けた場所であった。中央には、赤い着物を着た女の──鬼。そしてその周りには、同じく赤く染まった人々。皆一様に黒い詰襟のような服を着ていた。
生き残っているのは見たところ、もうたったの二人にまで減少してしまっていた。
「……? 誰よ、アンタ」
赤い着物の鬼が私に気付いた。不思議なことに、その目には何やら文字が書いているようで。
「っ!? なんでこんなところに一般人が……!」
「お前、今すぐ逃げろ!!」
黒い髪に太い眉毛で詰襟を着た男の人が、私を見てそう叫び、もう片方のその怪我人を支える人は私を見て驚いていた。その側には月の光に反射する刀が落ちていた。
二人はどうやら、私のことを人であると思っているようだった。
「何よ、血の匂いにつられてやってきたの? まあいいわ、私はそんなにケチじゃないから一人二人は分けてあげる」
鬼はそう言い、ゆったりと私の元まで歩いてきた。鬼の体は血に塗れており、彼女の後には血の足跡ができていた。そして私の頬に血塗れの手を添えると「ほら、あそこの男なんか……美味しそうだと思わない?」と囁いた。
そんなこと思わない。
そう口には出さなかったが、私は返事の代わりに頬に添えられた鬼の手を千切り、その胴を蹴り飛ばした。千切った腕を投げ捨て、戦闘態勢に入る。
蹴り飛ばされた鬼は態勢を崩しはしなかったが、ずざざざ、と砂音を立てながら後退した。
詰襟の人たちは私を見て目を見開いていた。
「はぁ? 何なのよアンタ。この私……十二鬼月である『下弦の参』様が分けてやるって言ってんのに」
顔を上げた鬼はびきびきと筋を浮かせて怒っている美しい顔は般若のように歪み、目はつり上がっていた。そしてすぐさま千切られた腕を生やすと、こちらを睨み付ける。
……再生が早い、やっぱり今までの鬼とは段違い……。
それに、先程まではよく見えなかったが、どうやら鬼の目には『下参』と書いてあるようだ。それの意味するところは分からないが、彼女の言う『下弦の参』とやらの略称だろうか。
「戦うつもりな訳? やっぱりアンタ気に入らないわ。捕まえて日で焼き殺してあげる」
そう言い、鬼は私に向かい手を翳してきた。戦闘態勢で今にも飛び掛かれる私とは違い、悠然とした姿勢。
「血鬼術──」
一体何をしているのか、とそう思った途端──。
──私は両腕を飛ばされていた。
「──……っ!?」
背後で、飛ばされた腕が地に落ち、べちゃりと気持ちの悪い音がした。飛ばされた断面からは血が流れ、今まで経験したことのない痛みが全身を襲った。
「血鬼術も会得していないような雑魚鬼が、私に勝てる訳がないじゃない」
顔を顰めたまま、鬼が当然だというようにそう言った。
私は痛みを我慢し、腕を再生させた。体が欠損するのは初めてのことだった。飛ばされた腕を再生させると、させる前よりも一層飢餓感が強くなった。むせ返るような血の匂いにくらくらする。
でも、どれだけ痛くてもここで引くわけにはいかない。側には守るべき人間がいる。
先程の鬼の行動はよく分からないが、近接戦に持ち込めばなんとか──!
そう思い至り、私は地を足で強く蹴り鬼に迫った。そのまま勢いよく拳を振るが、鬼は体を横に避ける。諦めず、もう何回か殴りつけるが殆ど避けられてしまう上、当たってもあまり効いていないようだった。
すると、少し離れたところで言い争うような声が聞こえた。目を向ければ、それは守ると決めた人間達の声だった。
「何を言ってるんだ! ここで僕たちが倒さなきゃ犠牲者がもっと、」
意識をそちらに向けてしまった私はそのまま鬼に体を蹴られ、後方へ吹き飛ぶ。今度は私が地面に転がる番だった。早く反撃を、と地面に手をつき顔を上げると、鬼は私を見ていなかった。
「──あーぁ、うるさいわね」
──その時、ぐしゃ、と“何か”が潰える音がした。
何が潰えたのか。それは頭か、体か、はたまた命か。
目を向けた先、今大きい声で叫んでいた人が頭を潰され地面に倒れた。どさり、という重い音が静かな月夜に響いた。
また、血の匂いが濃くなった。
「な──」
「生きたまま食べると反応が見れて楽しかったけど……もういい、面倒くさいわ。全員死んで」
鬼は落胆したようにそう言うと、翳す手をもう一人の詰襟の男の人に向けた。男の人は青ざめた顔で固まっている。
動け、動け、体! 私はまた見殺しにするの!?
せめて、あの人だけでも守らないと──!
くらくらする重い体に力を入れ立ち上がり、私は男と鬼の間に入った。鬼の手から一体何が発せられているのかは分からないが、当たったらだめだということは分かる。私は男を手で押し除けた。
──男の人は、大層驚いた顔でこちらを見ていた。
「──は」
「……は? アンタ何してんの? 馬鹿じゃないの? なんで人間なんか庇ってんのよ」
鬼はまったく理解不能といった顔でこちらを見る。
斬られた背中が熱く、じくじくと痛む。背中から血が滴り落ちているのを感じる。
……私は、また守れなかった。目の前で一人の命を取り零した。でも絶望するのは後だ。まだ一人、守るべき人間が残っている。
鬼に背を向けていた私は、今度は男の人に背を向ける。正面から鬼を見つめ、瞬時に走り出した。
「っ──!? アンタっ」
先程とはまったく違う速さで蹴りを繰り出せば、鬼の片腕が飛んだ。そのまま手で頸を掴み、鬼を地面へと押し倒した。
「、血鬼術──!」
手を翳しまた先程の可笑しな技を出そうとするため、その発生源であるもう片方の腕も足で踏み潰した。
すると鬼は途端に苦い顔をする。きっと手のひらからしかあの可笑しな技は出せないのだ。
「〜〜ッこの女!!」
手を千切られ押し倒されているため、文字通り手も足も出ない女の鬼。
鬼を殺すには、日の光か、日輪刀。しかし夜明けはまだまだ先だ。日で焼き殺すには、それまでずっと拘束し続け、尚且つ謎の技の発生源である腕を引き千切り続けなければならない。
でも、この場にはもう一つの方法が転がっている。
それは、あの詰襟の人の側には転がっているあの刀。あれがきっと日輪刀だ。あれで頸を斬れば……!
そうしたいが、私はこの鬼を抑えるのに手一杯だ。私よりも少し体格の大きい鬼だから、少しでも気を抜けばすぐに状況を覆されてしまう。
だから、今この場で頸を斬れるのは、ただ一人。
──あの黒い髪に太い眉毛の男の人。
「斬っ、て……!」
「────!!」
「っ、離せ! やめろ!!」
久しぶりに出した声は、酷く震えて乾いていた。けれど男の人には伝わったようで、刀を持ち近寄ってきた。……もしかしたら、私も斬られてしまうかもしれないけど、仕方がない。だって、私も鬼だから。きっと男の人もそれは分かっている。
鬼と私の前に立った男の人は刀を構えて、
「雷の呼吸、弐ノ型、稲魂」
──女の鬼の頸だけを斬った。
「うぅぅうう!! お前のせいで! 頸が斬られた! いやぁ、私は死にたくない!」
鬼の頸が刎ねられ、血で汚れた地面に転がる。鬼は私に向けて罵詈雑言を放ちながら崩れていく。けれど、最期に一言「おかあさん……」と漏らしてから完全に塵となり消え去った。
鬼が消え、夜の静寂が訪れる。鬼の声はもう聞こえず、耳を澄ませども聞こえるのは草木の騒めきだけであった。
すると、目の前からどさりと重いものが落ちる音が聞こえた。はっとして前を見れば、男の人は地面に腰を下ろしている。
……気が付かなかったが、彼は足を怪我していた。きっと耐えきれずに座り込んだのだろう。
手当てをしなければ、と彼に近寄ろうとすると、どきりと心臓が疼いた。
戦闘後の興奮と、何度も再生したために体力を消耗したことが仇となり、私は久々に制御できない飢餓感に襲われた。飢餓感の時には思考までもが支配され、どうしようもなくなってしまうのだ。
どうしよう、どうしよう、人なんて食べたくないのに、
……でも、一口……腕の一本ぐらいならいいんじゃない?
目の前の“食べ物”に、ふーっふーっと息が荒くなり、涎が零れ落ちそうになる。お腹が減った、もう何日も食べてないの。
私が一歩を踏み出せば、男が驚いた顔でこちらを見る。何を驚いているのだろう。私は最初から鬼だよ。
男は刀を持ってはいるが、その足では逃げられないだろう。
「ゔ……」
大丈夫、ちょっとだけだから……ちょっとだけ、齧るだけ。
もう一歩を踏み出し、男に手をかけようとしたところで──誰かに袖をひかれた。
気配なんてしなかったのに、一体誰だと背後を振り返るがそこには誰もいなかった。
「……?」
何だろう、今の?
不思議に考えていれば、頭の中に声が響いた。
── なまえだめよ、お願い……。
その声で、私は正気に戻れた。
──今、私は一体何を……! 人を食べるなんて、冗談じゃない!
私はこれ以上、人を食べたいなんて思いたくなかった。だから、その場から走って逃げ出した。
目の前の男の人を眼中から外すように。
「うぅぅ……!」
暗い夜の森を駆けながら、私は乱れた頭を抱えた。
──人間が食べたいだって、そんなこと思ってない! だって人間は食べるものじゃない。教えてもらったんだ、私の大切な、大切な──
……大切、な?
大切な、誰にだっけ。
血の匂いが届かないところまで走ってきて、私はようやく足を止めた。
周りは前の山でもない知らない場所で、私は走るうちにまた知らないどこかに辿り着いてしまったようだった。
──木々を風が吹き抜ける。その風に拐われたように、私はその夜、何か大切なものを忘れてしまった。
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(“まやかしの記憶に邪魔されて人が喰えないならば、いっそのこと記憶など消えてしまえ。”)