群青の途
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霧が渦巻く世界で、私はただそこに立っていた。
周りは一面の、白。しかし、目に眩しいほどの白というよりは、周りの景色霧に巻かれて白ずんで見えるといった様子であった。
ここは何処なのかとか、何故ここにいるのかとか、そんな疑問は何故だか浮かんでこなかった。
──まるで、私がここにいることが何の不思議でもないように、私自身が感じていた。
そして、私はゆっくりと歩き出した。特に充も無いが、私は無意識に足を踏み出していた。
少し進んだ先、白ずむ世界の中に、際立って白く明るい場所があった。そこに近づいて見てみると、そこからはとても暖かな雰囲気を感じた。
『──姉──ち──!』
『今日──魚──』
『炭──、──豆──』
その空間から、ぼんやりとした微かな声が聞こえて来た。何と言っているのかまではぼんやりとしすぎていて分からなかったが、それでもその声がとても幸せそうな雰囲気に満ち溢れていることは分かった。
『──、飯──!』
『──母──、ね』
どこか懐かしさを感じるその声達。内容は理解できなくとも、それは耳にすんなりと入ってくる。聞いていて、暖かくて優しい気持ちになれるようだった。
私がふと後方を見れば、そこには先程までは存在していなかった──黒い黒い闇があった。
一面の白に一点だけの、とても違和感のある黒色。その闇は、まるで全てを呑み込んでしまうのではないか、と思う程に深い黒色だった。
私がそれに寄ってみると、先程の一際白い場所とは相反に、ひんやりとした──否、身震いしてしまいそうなほどの冷たさを感じた。
漆黒の闇の底には、何も見えない。指一本触れただけでも全身を取り込まれてしまいそうな、そんな気がした。
闇の中からは、声が聞こえてくる。
『人──喰ら──』
『より──強──鬼に』
『青──岸花──処』
聞こえてくる声は冷たく、聞いていると心臓がひやりとする感覚がした。その感覚の名前は……きっと恐怖だ。
相手のことを何とも思っていないような──白い場所で声を聞いた後に聞くと、そう思えてしまう。
──こっちより、あっちに“いきたい”。
そう思った私は、渦巻く闇に背を向けて、白い光へと足を進めた。
冷たく凍えそうな声が遠のき、暖かく優しい声が近づく。
もう少しで手に届きそうだ──そう思って右手を伸ばした途端、私の体は急に動きを止めた。
私自身が止めた訳では無い。では何故止まったのか──違和感のする左手を振り返ると、そこには。
──私の左手首と黒い闇を繋ぐ、鎖があった。
その鎖は、ぴんと張ったまま私の手首を拘束しており、その先は闇の中へと続いていた。その鎖のせいで、私はこれ以上光へと進めない。
しかし繋がれているということは、闇の方へならいくらでも行けるということだ。それも、奥の奥、深淵へ。
「…………」
手首に繋がれた鎖を見遣る。
光の方へ進もうとするのを邪魔するそれは、頑張れば千切ることができそうだった。でも、きっとそれには途方もない時間と苦痛が伴うのであろう。
繋がれた先の闇を見遣る。
苦痛伴ってまで逆らうより、素直に従ったほうが楽なのだろう。先程までは『凍えるようだ』と感じていた冷気が、今では体に馴染んでいた。
闇を生きる鬼には、己の身を灼く暖かな日の光よりも、美しく夜を照らす涼しい月の光の方が似合っている。
けれど、私は。
日の光のような暖かさの“彼ら”が、大好きだから。
私を受け入れてくれた“あの人達”が、大好きだから。
“彼ら”が私を想ってくれるように、私だって“彼ら”を想っているから。
繋がれた手首を無視して、私は無理やり光の方へと歩みを進める。鎖の枷が手に喰い込み、血が滲む。しかしそれでも私は進み続ける。
光に、手を伸ばした。
***
「……まだなまえは起きませんか?」
「……えぇ、残念ながら」
暗い、日の光が届かない一室に、隊士の炭治郎と柱のしのぶがいた。
二人が案じる先には、布団に横たえられたなまえ。
なまえは無限列車で鬼と戦い、その腹を貫かれた後、静かに気を失った。戦いで傷付いた隊士達に続き、鬼であるなまえも蝶屋敷へと連れてこられたのだ。
しかし、流石は鬼であるというべきか──蝶屋敷に着く頃にはもうなまえの腹の傷は完全に回復しており、他にも怪我は見受けられなかった。
しかし、問題はそこからだった。負った怪我も完治していたなまえであったが、戦いが終わってから目を覚まさないのだ。炭治郎が呼びかけても、禰豆子が体を揺らしても、眠るなまえは起きなかった。
医学に精通しているしのぶがなまえの身体を調べるも、特に異変は無く、どうして目を覚まさないのかも分からなかったのだ。
そうして、なまえが目覚めないまま二ヶ月が経ってしまったのだ。
「炭治郎くん、前にもこういうことがあったんですよね」
「あ、はい……その時は禰豆子が、約二年間程眠ったままでした」
「……でしたら、なまえさんもそのくらい、もしくはそれ以上の期間目を覚まさないかもしれません」
「っそんな……」
顔を歪めた炭治郎が、目の前に眠るなまえを見る。
静かに眠るなまえは、魘される様子も苦しそうな様子も無く、ただ目を瞑りそこに寝ているだけであった。
息もしている。暖かさもある。生きている音がする。
ただ、それでも炭治郎は心配なのだった。鬼が死ぬのは日の光に灼かれた時と、日輪刀で頸を斬られた時──そして例外に、しのぶの毒を喰らった時のみだと知っていても、漠然とした不安が胸中に居座り続ける。
目を離した隙に、そのまま静かに息をしなくなっているのではないか。手に触れたら、いつの間にか冷たくなっているのではないか。生きている匂いが、途絶えてしまうのではないか。
──もしかしたら、あの『下弦の壱』の血鬼術で何かされてしまったのだろうか。
そんな考えが頭をよぎったことは何度もあったが、当の鬼が不在である為、問い質すことすらもできないのだ。
そんな不安を抱えていても、なまえを目覚めさせる術を炭治郎は持っていなかった。
故に、炭治郎は祈ることしかできなかった。
「なまえ……頼む、早く目を覚ましてくれ」
眠り続けるなまえの手を取り、その手を己の額に寄せる炭治郎。
悲しむ炭治郎の様子を、しのぶも同じく悲哀を含めた瞳で見つめていた。
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(手を伸ばした。)