人見知りのサナの話
激しい雨風が、研究所の窓を激しく叩きつけている。
アローラ地方を襲った大型の台風は、夜が更けるにつれて勢力を増していた。ガタガタと不気味に軋む建物、時折窓ガラスを割らんばかりに響く轟音。引きこもり始めてからずっと、部屋という狭い殻に閉じこもっていたサナにとって、その嵐の音は世界の終わりかと思うほど恐怖を煽るものだった。
(怖い……、怖い……っ)
毛布を頭から被り、耳を塞いで小さく丸まる。
いつもなら、この部屋さえ閉じていれば安全なはずだった。けれど今夜は、外の嵐が力任せに扉をこじ開けて入ってくるような錯覚に囚われる。
その時、ひときわ大きな突風が建物を揺らし、バリバリと何かが割れるような鈍い音が響いた。
「……っ!」
心臓が跳ね上がる。
その恐怖の絶頂の中で、サナの脳裏を過ったのは、自分自身の安否ではなかった。
(博士……)
いつも仕事から帰ると、この部屋の扉の向こうで優しく声をかけてくれる人。自分がどれだけ拒絶しても、決して見捨てずに「生きていてくれてありがとう」と言ってくれた、世界でたった一人の味方。
(博士は……大丈夫なのかな……。もし、何かあったら……)
一度考え始めると、胸の奥のざわつきは恐怖を上回った。
「外に出るのが怖い」「人と目を合わせるのが怖い」という頑固な足枷が、博士を心配する一念だけで、ほんの少し緩むのを感じた。
「……は、かせ……」
震える足でベッドから這い出る。
何週間ぶりかも分からない。自分の意思で、部屋のドアノブに手をかけた。カチャリと冷たい音がして、ゆっくりと扉が開く。
一歩、廊下へ踏み出す。
リビングへ続く廊下は暗く、窓の外で狂ったように暴れる木々の影が、まるでお化けのように壁に蠢いていた。過呼吸になりそうな胸を押さえ、壁を伝いながら、サナは必死にリビングへと向かった。
「……ク、ククイ……博士……?」
蚊の鳴くような声で呼びかけながら、リビングのドアを開ける。
そこに、ククイ博士はいた。
割れた窓の応急処置を終えたばかりなのか、工具を手にしたまま、濡れた髪をタオルで拭っているところだった。
「サナ……!?」
ドアの隙間から顔を覗かせたサナを見て、ククイは目を見開いた。驚きのあまり、手に持っていたタオルが床に落ちる。
部屋から一歩も出てこられなかった少女が、今、自分の足でここに立っている。
「どうしたんだい!? 嵐が怖かったか? すまない、大きな音がして――」
博士が慌てて駆け寄ろうとする。サナは一瞬、その大きな体躯にビクリと肩を揺らしたが、逃げ出さずにその場に踏みとどまった。
床を見つめたまま、ぎゅっとパジャマの裾を握りしめる。
「……ち、ちがう……っ」
「え……?」
「ちがくて……、博士が……、ケガ、してないか……心配、で……っ」
喉に張り付く言葉を、涙交じりに一生懸命に絞り出す。
「普通の人ができること」が何もできない自分が、嵐の恐怖に抗って、ただ彼の無事を確かめるためだけに部屋を出てきたのだ。
ククイは息を呑んだ。
サナの肩が、まだ恐怖で小さく震えているのが見える。自分だって怖くてたまらないはずなのに、それでも「自分の心配をしてくれた」という事実に、胸の奥が熱くなる。
「……サナ」
ククイは今度は驚かせないように、ゆっくりと近づき、彼女の目の前で視線を合わせるように屈んだ。
「俺は大丈夫だぜ。ほら、どこも怪我してない。ピンピンしてる」
博士の言葉に、サナは恐る恐る視線を上げ、彼の濡れたシャツや、包帯の巻かれていない綺麗な手を視界に入れた。本当に、無事なのだと分かって、張り詰めていた糸がぷつりと切れる。
「……よ、よかった……う、あ……っ」
大きな涙がポロポロと床にこぼれ落ちる。
ククイはそっと手を伸ばし、拒絶されないことを確かめてから、彼女の小さな頭を優しく引き寄せ、胸に抱き抱えた。
「ありがとう、サナ。心配して部屋から出てきてくれたんだな。……凄いよ、よく頑張った」
外ではまだ、風が猛烈な音を立てて建物を叩いている。
けれど、博士の広くて温かい胸の中に閉じ込められたサナの耳には、もうその嵐の音は届かなかった。ただ、トクトクと規則正しく刻まれる、博士の温かい心音が、彼女の凍えていた心を優しく包み込んでいた。
アローラ地方を襲った大型の台風は、夜が更けるにつれて勢力を増していた。ガタガタと不気味に軋む建物、時折窓ガラスを割らんばかりに響く轟音。引きこもり始めてからずっと、部屋という狭い殻に閉じこもっていたサナにとって、その嵐の音は世界の終わりかと思うほど恐怖を煽るものだった。
(怖い……、怖い……っ)
毛布を頭から被り、耳を塞いで小さく丸まる。
いつもなら、この部屋さえ閉じていれば安全なはずだった。けれど今夜は、外の嵐が力任せに扉をこじ開けて入ってくるような錯覚に囚われる。
その時、ひときわ大きな突風が建物を揺らし、バリバリと何かが割れるような鈍い音が響いた。
「……っ!」
心臓が跳ね上がる。
その恐怖の絶頂の中で、サナの脳裏を過ったのは、自分自身の安否ではなかった。
(博士……)
いつも仕事から帰ると、この部屋の扉の向こうで優しく声をかけてくれる人。自分がどれだけ拒絶しても、決して見捨てずに「生きていてくれてありがとう」と言ってくれた、世界でたった一人の味方。
(博士は……大丈夫なのかな……。もし、何かあったら……)
一度考え始めると、胸の奥のざわつきは恐怖を上回った。
「外に出るのが怖い」「人と目を合わせるのが怖い」という頑固な足枷が、博士を心配する一念だけで、ほんの少し緩むのを感じた。
「……は、かせ……」
震える足でベッドから這い出る。
何週間ぶりかも分からない。自分の意思で、部屋のドアノブに手をかけた。カチャリと冷たい音がして、ゆっくりと扉が開く。
一歩、廊下へ踏み出す。
リビングへ続く廊下は暗く、窓の外で狂ったように暴れる木々の影が、まるでお化けのように壁に蠢いていた。過呼吸になりそうな胸を押さえ、壁を伝いながら、サナは必死にリビングへと向かった。
「……ク、ククイ……博士……?」
蚊の鳴くような声で呼びかけながら、リビングのドアを開ける。
そこに、ククイ博士はいた。
割れた窓の応急処置を終えたばかりなのか、工具を手にしたまま、濡れた髪をタオルで拭っているところだった。
「サナ……!?」
ドアの隙間から顔を覗かせたサナを見て、ククイは目を見開いた。驚きのあまり、手に持っていたタオルが床に落ちる。
部屋から一歩も出てこられなかった少女が、今、自分の足でここに立っている。
「どうしたんだい!? 嵐が怖かったか? すまない、大きな音がして――」
博士が慌てて駆け寄ろうとする。サナは一瞬、その大きな体躯にビクリと肩を揺らしたが、逃げ出さずにその場に踏みとどまった。
床を見つめたまま、ぎゅっとパジャマの裾を握りしめる。
「……ち、ちがう……っ」
「え……?」
「ちがくて……、博士が……、ケガ、してないか……心配、で……っ」
喉に張り付く言葉を、涙交じりに一生懸命に絞り出す。
「普通の人ができること」が何もできない自分が、嵐の恐怖に抗って、ただ彼の無事を確かめるためだけに部屋を出てきたのだ。
ククイは息を呑んだ。
サナの肩が、まだ恐怖で小さく震えているのが見える。自分だって怖くてたまらないはずなのに、それでも「自分の心配をしてくれた」という事実に、胸の奥が熱くなる。
「……サナ」
ククイは今度は驚かせないように、ゆっくりと近づき、彼女の目の前で視線を合わせるように屈んだ。
「俺は大丈夫だぜ。ほら、どこも怪我してない。ピンピンしてる」
博士の言葉に、サナは恐る恐る視線を上げ、彼の濡れたシャツや、包帯の巻かれていない綺麗な手を視界に入れた。本当に、無事なのだと分かって、張り詰めていた糸がぷつりと切れる。
「……よ、よかった……う、あ……っ」
大きな涙がポロポロと床にこぼれ落ちる。
ククイはそっと手を伸ばし、拒絶されないことを確かめてから、彼女の小さな頭を優しく引き寄せ、胸に抱き抱えた。
「ありがとう、サナ。心配して部屋から出てきてくれたんだな。……凄いよ、よく頑張った」
外ではまだ、風が猛烈な音を立てて建物を叩いている。
けれど、博士の広くて温かい胸の中に閉じ込められたサナの耳には、もうその嵐の音は届かなかった。ただ、トクトクと規則正しく刻まれる、博士の温かい心音が、彼女の凍えていた心を優しく包み込んでいた。