人見知りのサナの話

激しいパニックが去り、深い眠りから覚めたとき、研究所はすっかり夕闇に包まれていた。
サナはソファの上でゆっくりと身体を起こす。
喉の奥が、焼け付くようにヒリヒリと痛む。さっき、極限の恐怖から自分でも信じられないような悲鳴を上げてしまったせいだ。
(私……また、やっちゃった……)
膝を抱え、パジャマの袖に顔を埋める。
頭が冷えていくにつれて、あの大騒動の一部始終が鮮明に思い出され、胸が押しつぶされそうな罪悪感に支配された。
ガオガエンは、ただ木の実を食べていただけだった。そこに私が不用意に踏み込んで、目が合ってしまっただけ。
あの子は何も悪くないのに。私を傷つけようとしたわけじゃないのに、私は怪物の前で怯えるように、あんな絶叫を上げてしまった。
(傷つけちゃった、よね……)
いつも、身体が大きい自分を怖がらせないように、必死で大いびきをかいて寝たふりをしてくれていた優しいポケモン。その気遣いを、私は最悪な形で踏みにじってしまったのだ。
サナはソファからそっと足を下ろした。まだ少し足元が震えるけれど、壁を伝いながら、静まり返ったリビングへと歩み進める。謝らなきゃ。でも、近づくのは怖い。目が合うのは、もっと怖い。
痛々しいほどの「寝たふり」
リビングの隅、夕闇が濃く落ちる場所に、あの大きな影があった。
ガオガエンは床に丸くなり、いつも以上に固く目を閉じていた。
サナの気配を察した瞬間に、大急ぎで「寝たふり」を始めたのだろう。けれど、いつもなら不自然なほど大音量で響かせるはずの「いびき」が、今夜は聞こえない。ただ、呼吸に合わせて大きな背中が静かに上下しているだけだった。
(怒ってるんじゃなくて……怯えてるんだ。私に、拒絶されるのを……)
サナは、ガオガエンから数歩離れた場所でぴたりと足を止めた。
これ以上近づけば、また心臓が狂ったように暴れ出してしまう。プロレスラーのような頑強な身体は、触れることなんて到底できない恐怖の対象そのものだ。
だけど今のガオガエンは、耳をペタンと後ろに寝かせ、まるで叱られた子犬のように小さく縮こまって見えた。
サナは震える呼吸をひとつ吐き出し、喉の痛みに耐えながら、かすれた声を絞り出した。
「……がお、がえん……」
言葉の形を成した、小さな、掠れた声。
ガオガエンの耳が跳ねるように動いた。けれど、目は開けない。サナをこれ以上怯えさせないよう、石のように固まって息を潜めている。
サナはそれ以上近づくことも、手を伸ばすこともできなかった。
ただ、床を見つめたまま、ぽろぽろと大粒の涙をこぼす。
「……ごめん、ね……」
声を出すたびに喉が焼けるように痛んだけど、サナは止めなかった。
「おどろかせて、ごめんなさい……。あなたが、わるいんじゃないの。わたしが、弱くて……臆病だから……。なのに、あんな、ひどい声だして……本当に、ごめんなさい……っ」
言葉を紡ぐたび、サナの身体が小さく震える。
触れることも、目を見ることもできない。そんな自分勝手な謝罪を、床に向かって呟くことしかできない。
触れない温もり
サナの掠れた謝罪と、静かな泣き声を聞いて、ガオガエンはゆっくりと目を開けた。
けれど、今度は絶対にサナと目が合わないように、その大きな瞳をぐっと斜め下の床へと落とす。サナの視界に入らないよう、細心の注意を払いながら。
そして、ガオガエンは自分の大きな、鋭い爪のある掌をそっと床に伏せた。
近づいてこなくていい。触らなくていい。
ただ、俺はここにいるし、怒ってもいない――。
そう伝えるように、ガオガエンはサナの足元に向けて、床を大きな手でトントンと優しく、規則正しく叩いた。
カツ、カツ、と静かなリビングに響く、一定の不器用な音。それは、パニックを起こしたサナにククイ博士が「深呼吸をしてごらん」と声をかけるときの、あの優しいリズムと同じだった。
「……あ……っ、……ぅ……」
サナはその場にへたり込み、ガオガエンの大きな手から数歩離れた場所で、膝を抱えて泣いた。
触れ合わなくても、その不器用な音から、ガオガエンの暖かさが痛いほど伝わってきた。
(気にするな。俺は怒ってねえよ)
言葉は分からなくても、その音がサナの凍りついた心をゆっくりと溶かしていく。
「……ありがとう、ありがとう……」
サナは床に顔を伏せ、声を殺して泣き続けた。
今度の涙は、恐怖の涙じゃない。自分が許されたことへの安堵と、この温かい世界への感謝の涙だった。
キッチンへと続く暗がりの一角で、ククイ博士が静かにその様子を見守っていた。
手にしたノートとペンをそっとポケットにしまい、二人の邪魔をしないように、優しい眼差しで行き交う温もりをただ見つめている。
触れられなくても、声が上手く出なくても。
適切な距離を保ったまま、サナの心を受け止めてくれる家族が、ここには確かに存在していた。
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