もしも⚪︎⚪︎だったら?

アローラの夜が、不気味なほどに凪いでいた。
サナはベッドに身体を沈め、窓の外の深い闇を見つめながら、ふと頭をよぎった空想を口にした。それは、病床で日々「終わり」を意識せざるを得ない彼女にとって、どこか切実な問いだった。

【観察記録:深夜】

状態: 仮定的滅亡論(エスカトロジー)に対する哲学的関心。

症状: 落ち着きのない指先の動き、および探るような視線。

分析: 世界の終わりという巨大な喪失を仮定することで、翻って「今、自分にとって何が最も重要か」を再確認しようとする心理的プロセス。

「……ねえ、はかせ。もし、明日で世界が終わっちゃうとしたら……はかせはどうする?」

ククイは、サナの点滴のチューブが絡まっていないかを確認していた手を止め、眼鏡を少しだけ押し上げた。彼は驚く風でもなく、まるで明日の天気を聞かれたかのように、穏やかなトーンで答えた。

「そうだな。……いつも通り、朝早く起きて、研究所の周りをランニングする。それから、イワンコたちに最高のご馳走をやるな。……あとは、君の朝食に、とびきり美味しいアローラパンケーキを焼くよ」

「……えっ? そんな、ふつうのこと……?」

サナは、オレンジの花柄シャツの襟を握りしめ、意外そうな声を上げた。もっと特別なこと、例えばどこか遠くへ逃げたり、贅沢をしたりする答えが返って来ると思っていたのだ。

「あぁ。世界が終わるからといって、今日まで積み重ねてきた『俺たちの日常』を捨てる理由にはならないからな。……サナ、いいか。世界が滅びる瞬間まで、俺は君の主治医であり、君の家族だ。……だから、君が苦しくないように、寂しくないように、いつも通り隣にいて、いつも通り君の脈を測る」

ククイは、サナの白いパンツに包まれた膝の上に、大きな掌をそっと置いた。

「パニックになって走り回るよりも、君の好きな音楽をかけて、アローラの風を感じながら、二人で『今日はいい天気だね』って笑い合う。……俺は、そんな風に最後の一秒を過ごしたいと思っているよ」

「……はかせ……」

「滅亡なんていう大きな言葉に、今この瞬間の穏やかさを奪わせちゃいけない。……世界が終わるその時まで、俺たちは全力で『普通』に生きてやるんだ。それが、運命ってやつに対する、俺たちなりのカッコいい抵抗だと思わないか?」

『極限の仮定下における精神的レジリエンスを確認。
彼女が抱く「終わりの恐怖」に対し、日常の継続を提示することで、現在地の安全性を再定義(リフレーミング)した。
主治医の役割は、未来の崩壊を嘆くことではない。たとえ明日が来ないとしても、「今日」を価値あるものとして完結させる姿勢を見せることだ。
……サナの強張っていた肩の力が、ゆっくりと抜けていく。
「明日」が不確かであればあるほど、俺が提供する「いつも通り」が彼女の唯一の錨になる。
たとえ本当に世界が燃え尽きるとしても、俺はこの指先が灰になるまで、彼女の手を離さないだろう。』

窓の外では、変わらず波音が砂浜を洗っていた。
サナは、「世界が終わる日もパンケーキを焼いてくれる」という博士のあまりにも彼らしい答えに、小さく、本当に小さく吹き出した。そして、訪れるか分からない明日を憂う代わりに、今、自分を包んでいる博士の掌の熱を、もっと深く信じてみることにした。
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