もしも⚪︎⚪︎だったら?

アローラの湿った風が、研究所のロフトに停滞している。
サナはベッドの上で、胸元をかきむしりながら、必死に酸素を求めていた。ククイが学会の打ち合わせのために階下へ降りてから、わずか十分。彼女の身体は、主人の帰りを待てない壊れた時計のように、急速にその機能を狂わせていた。

分離不安による心身相関的崩壊
【診察記録:午後3時】

状態: 極度の分離不安に伴う、自律神経系の重篤な失調。

症状: 心因性の過換気、原因不明の激しい嘔吐、および意識レベルの低下。

分析: ククイという「生存の核」から物理的に切り離されることが、脳にとって「死」と同義のストレスとして処理されている。愛情が生存本能と癒着した結果、彼の不在がダイレクトに内臓機能の停止を招くという、歪んだ防衛回路が形成されている。

(……はかせ、……いかないで……。……わたしを、……ひとりにしないで……)

サナは、脚をシーツの中で激しく悶えさせた。
わざとではない。気を引くための演技でもない。ただ、ククイの姿が視界から消えた瞬間に、心臓は不規則なリズムを刻み始め、胃の内容物は逆流し、視界はチカチカと火花を散らす。

彼の不在が、彼女の身体を内側から破壊していく。

「……っ、……う、あぁっ!!」

サナが耐えきれずベッドの端から身を乗り出し、胃液を床にぶちまけたのと、ククイが異変を察して階段を駆け上がってきたのは同時だった。

「サナ! ……落ち着け、俺はここにいる! ここにいるぞ!」

ククイは即座にサナの背中を支え、吐瀉物で汚れるのも構わず彼女を強く抱き寄せた。
彼の腕が触れた瞬間、サナの身体を支配していた激しい痙攣が、嘘のように魔法が解けたかのように収まり始める。

「……はか、せ……? ……あぁ、……よかった……。……いま、……死んじゃうかと、思った……」

サナは、涙と汗でぐちゃぐちゃになった顔をククイの胸に押し付けた。
彼の心音を聞いている間だけ、彼女の肺は正しく空気を吸い込み、心臓は静かな鼓動を取り戻す。

「……サナ、これじゃあ俺は、一分も君の側を離れられないじゃないか」

ククイの声には、医師としての困惑と、それを上回る深い、そして逃れられない宿命を感じているような色があった。彼はサナの額を拭いながら、自分の存在が彼女にとっての「薬」であり、同時に「毒」にもなり得るという事実に戦慄していた。

『愛着の極限的な歪みを確認。
彼女の身体は、俺という存在を「外部器官」として完全に取り込んでしまった。
俺が離れる=彼女の死。この恐るべき等式が、彼女の神経系に深く刻み込まれている。
主治医としての客観的な判断は、もはや通用しない。
……俺が彼女を愛すれば愛するほど、彼女の自立は遠のき、この「病的な共依存」は深まっていく。
それでも、目の前で呼吸を止めていく彼女を見捨てることなど、俺にはできない。
たとえこれが、二人で底なし沼に沈んでいく結末だとしても。俺は彼女が望む限り、その隣で「酸素」を供給し続けるしかないのだ。』

「……はかせ、……ずっと、……だっこしてて……?」

サナは、震える手でククイの首に必死にしがみついた。
その瞳の奥には、自分でも制御できない「愛という名の呪い」が、昏い光を宿して揺らめいていた。ククイは何も答えず、ただ彼女が再び深い眠りに落ちるまで、その細い身体を限界まで強く抱きしめ返した。
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