世界一優しい私の主治医

外はすっかり帳が下り、研究所のリビングにはテレビの画面だけが静かに明滅していた。
いつもならポケモンたちの愛らしいドキュメンタリーやアローラの自然番組が流れている時間帯だが、今日に限って選択を誤った。画面の向こうでは、古い洋館を舞台にしたおぞましい怪奇現象が、不穏な効果音とともにこれでもかと映し出されている。

ククイがふと隣に目をやると、ソファの上のサナは完全に硬直していた。
抱きかかえたクローバー型のクッションに顔を半分埋め、大きな瞳を恐怖に見開いている。毛布を首元まで引き上げているものの、その肩は微かに、けれど確実に震えていた。

(……やっちまったな。見せる番組を完全に間違えたぜ)

ククイは心の中で激しく後悔した。
ただのエンタメ番組のつもりだったが、メンタルが繊細で、夜の暗闇に人一倍敏感なサナにとっては、この手の「見えない恐怖」や「呪い」といった演出は刺激が強すぎたのだ。高熱の夜に彼女が見る悪夢の引き金になりかねない。

「よし、この番組はここまでだな!」

ククイはわざと明るい声を出し、リモコンを操作して素早くテレビの電源を落とした。
一瞬にして訪れる、静寂。画面が真っ黒に戻ると、サナは小さく「ひゃっ」と短い悲鳴を上げて、さらにクッションに深く潜り込んだ。テレビが消えたことで、逆に部屋の隅の暗闇が強調されてしまったのだ。

「サナ、大丈夫だ。ただの作り話、特撮の技術さ。本物のゴーストポケモンたちは、あんなに陰湿な驚かせ方はしないぞ? ほら、ロトムなんて毎日うるさいくらいだしな」

ククイはソファの距離を詰め、怯えるサナの肩にそっと大きな手を置いた。
触れた身体は驚くほど強張っている。

「……でも、あの、お人形の目が動いて……っ、後ろに、だれか……」

サナはクッション越しに、消え入りそうな声で訴える。完全に番組の世界観に呑まれ、脳内が恐怖のシミュレーションで支配されている状態だ。

「目の錯覚さ。照明の当て方でそう見せているだけだ。第一、もし万が一あんな不審な影がこの研究所に忍び込もうとしたら、俺のガオガエンが『DDラリアット』で影ごと吹き飛ばしてやるから安心しろ」

ククイは優しく笑いながら、サナの頭を包み込むように撫でた。
彼の大きな掌の温もりと、現実的でちょっと豪快な例え話に、サナの強張っていた身体がほんの少しだけ緩む。

「……本当、ですか?」

「ああ、本当だ。俺の筋肉とポケモンたちの技を信じろ。悪霊だろうが呪いだろうが、この研究所の敷居は跨がせないぜ」

ククイは立ち上がると、キッチンから温かいミルクの入ったマグカップを二つ持ってきて、一つをサナの手元に置いた。蜂蜜の甘い香りが、張り詰めていたリビングの空気を少しずつ塗り替えていく。

「今夜はサナが完全に安心できるまで、リビングの明かりは点けたままにしておこう。俺も隣でスクールの資料を作っているから、怖い影が見えたらすぐに俺の背中に隠れるんだぞ」

「……はい。ありがとうございます、博士……」

マグカップを両手で包み、恐る恐るミルクを口にするサナを見て、ククイは密かに胸をなでおろした。これからは番組のレーティングだけでなく、彼女の心の天候を最優先にリモコンを握ろうと、心に固く誓いながら。
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