世界一優しい私の主治医

アローラの昼下がり。ククイの判断で、サナは数ヶ月ぶりに研究所の敷地を出て、すぐ近くの海岸沿いの道を散歩することになった。

「焦らなくていいぞ、サナ。自分のペースで、アローラの土を踏み締めるんだ」

ククイの励ましに、サナは白いパンツの膝を少し震わせながらも、一歩一歩、確かな足取りで進んでいた。オレンジの花柄シャツが潮風に揺れ、彼女の頬には久しぶりの高揚感が赤みを差している。

しかし、その「喜び」が、彼女の限界を超えていることに、本人は気づいていなかった。

【カルテ:午後】

状況: 屋外歩行訓練中。

兆候: 急激な顔面の蒼白、および虚脱(脱力)。

判断: 脳貧血、または一過性の意識喪失。

「……はかせ、……海、……きれい、ですね……」

その言葉を最後に、サナの視界から色が消えた。
急に足元から力が抜け、膝が砂浜の熱を奪うように崩れ落ちる。

「サナ!?」

ククイが叫び、地面に叩きつけられる寸前で、その細い体を両腕でかっさらった。
サナの頭は力なくククイの腕に預けられ、黒い三編みが砂の上に力なく投げ出される。

「サナ! 目を開けろ! ……クソッ、脈拍が速いな」

ククイは即座にサナを仰向けに寝かせ、足を少し高く上げた。白衣を脱いで日除けを作り、彼女の顔を覗き込む。
さっきまで笑っていた瞳は固く閉じられ、唇からは一切の熱が失われていた。

「……サナ、聞こえるか? 俺の声がわかるか?」

ククイの声が、普段の落ち着きを微かに欠いて響く。
彼はサナの首筋に指を当て、その微かな、けれど必死に打ち続けている鼓動を確認した。

数分後、サナの瞼がピクリと動き、微かな呻き声が漏れた。

「……っ、……ぁ、……く、くい……はかせ……?」

「サナ! わかるか、俺だ。ゆっくり呼吸しろ。急いで起きようとするな」

サナの焦点が定まらない瞳に、必死な形相のククイが映る。
「……わたし、……どうして、……倒れて……」

「……体が少し、はしゃぎすぎただけだ。……ごめんな、サナ。俺がついていながら、無理をさせてしまった」

ククイは、自分の判断ミスを悔いるように、サナの手を強く、折れそうなほど強く握りしめた。
サナはその手の震えを感じて、自分が意識を失っていた間の、博士の恐怖を悟った。

「……ちがいます、……はかせ。……わたし、……すごく、たのしかったから……。……世界が、……まぶしすぎただけ、です……」

サナは力なく微笑み、ククイの大きな手のひらに頬を寄せた。

「……よし。今日はここまでだ。……帰りは俺の背中で、アローラの空を見ながら帰ろう」

ククイは彼女を軽々と背負い、一歩一歩、二度と彼女を離さないという決意を込めて、研究所への道を戻り始めた。

『歩行訓練中に一過性の意識喪失。
急激な環境変化と運動による、自律神経の不適合と推測。
身体的なダメージは最小限だが、患者の「外出」に対する自信喪失を懸念。
「倒れたこと」を失敗ではなく、「限界を知るための前進」として定義し直し、明日からのケアに当たる。』

背負われたサナの耳元で、ククイの力強い鼓動が響いている。
その音を聞きながら、サナは再び訪れた安らかな微睡みの中に、ゆっくりと沈んでいった。
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