世界一優しい私の主治医

最近のサナのひそかなブームは、ベッドの上での読書だった。
ククイが図書室や本屋から見繕ってきたアローラの歴史書や、少し厚めの物語小説を、体調が良い日には熱心に読み進めている。

けれど、今夜は違った。
数日前からの小康状態が嘘のように、サナの身体は再び激しい高熱の波に飲まれていた。

「……はか、せ……」

ロフトの寝室。遮光カーテンを閉め切った暗闇の中で、サナが掠れた声でククイを呼ぶ。
ククイはすぐに氷嚢を交換し、彼女の濡れた前髪を優しくかき上げた。手のひらから伝わる熱は、優に38度を大きく超えている。

「きついな、サナ。水が飲めるかい? 氷、もう少し冷たいのに替えようか」

「ううん……。あのね、博士……」

サナは熱で潤んだ瞳を泳がせ、サイドテーブルの上を指差した。そこには、彼女が昼間まで読んでいた、アローラの古いおとぎ話の絵本が置かれている。

「……すこしだけ、読んで、ほしいの……」

「本を? でも、今は目を閉じて休んだほうが……」

「目を閉じると、頭の中がぐるぐるして、熱くて、こわいから……」
サナは震える手で、ククイの白衣の袖をそっと掴んだ。
「博士の声、聞いてたら……落ち着くの。だから、おねがい……」

熱の濁流に意識をさらわれそうな時、大好きな人の、あの低くて温かい声の輪郭だけが、彼女をこの世界に繋ぎ止める唯一の錨になる。サナの切実な願いを拒む理由など、ククイにはなかった。

「……そうか。わかったよ。じゃあ、サナが安心して眠れるように、特別な特等席で読んでやるな」

ククイはサイドテーブルから静かに本を取ると、ベッドの脇に椅子を引き寄せた。
ページを開くと、オレンジ色の小さな読書灯が、二人の影を壁に柔らかく映し出す。

「――むかしむかし、アローラがまだひとつの大きな夜だった頃。海の中から、きらきらと光る小さな星のポケモンが生まれました……」

ククイの声は、スクールで見せる快活なものとは全く違っていた。
波の満ち引きのように穏やかで、深く、耳から脳へ、そして痛む身体の芯へと染み渡るような優しい響き。

サナは彼の声に導かれるように、ゆっくりと瞼を閉じた。
目を閉じても、もう怖くなかった。暗闇の向こう側から、ククイの声が優しく自分を守るように響き続けているからだ。

「……星の子は、島々の守り神たちに出会いました。カプ・コケコは雷のダンスで、カプ・テテフは光る鱗粉で、その小さな命を温めてあげたんだぜ……」

ククイは時折、サナの呼吸の深さを確かめるように視線を落としながら、ゆっくりとページをめくった。
紙が擦れる微かな音と、彼の低い声だけが、夜の研究所に溶けていく。

サナの強張っていた指先から、次第に力が抜けていく。熱の苦しさに歪んでいた眉間も、いつの間にか穏やかに解き放たれていた。

彼女が完全に深い、安らかな眠りへと落ちたのを見届けても、ククイはしばらくの間、物語を紡ぐのをやめなかった。声の魔法が解けて、彼女がまた寂しい夜に引き戻されないように。

「……そして、夜が明けて、アローラに初めての太陽が昇りました。おしまい」

小さな声で結びの言葉を呟くと、ククイは本を閉じ、サナの額の氷嚢をそっと整えた。
「いい夢を見ろよ、サナ。明日も俺の声で、君の朝を起こしてやるからな」

読書灯を消した暗闇の中、ククイは彼女の手を優しく握りしめたまま、静かに寄り添い続けた。
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