世界一優しい私の主治医

夜の10時を過ぎた頃、ククイは手元の資料をまとめると、ペンを置いて立ち上がった。
リビングからロフトへと続く梯子を見上げ、いつものようにサナの様子を見回るために、静かに階段を上がっていく。

部屋の扉を少しだけ開けると、常夜灯の薄明かりの中、サナがベッドの上で妙に強張った姿勢のまま、浅い呼吸を繰り返しているのが見えた。

「サナ? まだ起きていたのかい」

声をかけながらベッドサイドへ歩み寄ると、サナの顔は青ざめ、胸元を片手でぎゅっとキツそうに押さえている。

「はか、せ……」
「どうした、どこか苦しいのか?」

「なんだか……心臓が、すごくドキドキして……。息が、うまく、吸えなくて……」

サナは元々、心因性のストレスや体調の波によって不整脈が出やすい体質だった。そのことを事前に把握していたククイの目から、瞬時に「いつもの大人の余裕」が消え去り、鋭い研究者、そして医療の知識を持つ守護者としての顔へと切り替わる。

「不整脈だな。サナ、動かないでじっとしてろ。今すぐ診るからな」

ククイは即座にベッドの脇に膝をつくと、白衣のポケットから常備している聴診器を取り出し、手早く耳に装着した。

「少し冷たいが、我慢してくれ」

囁くような低い声とは裏腹に、その手つきは極めて迅速で的確だった。彼女のパジャマのボタンを少しだけ外し、チェストピースをそっと左胸に当てる。

(――トトトトッ、トクン、……トトッ)

イヤーピースを通じてククイの耳に届いたのは、規則正しいリズムを失い、不規則に、そして異常に速く打ち鳴らされているサナの心音だった。これでは上手く全身に血液が巡らず、息苦しさを覚えるのも当然だ。

ククイは聴診器を当てたまま、もう片方の手でサナの細い手首をとり、脈拍を注意深く測り始めた。

「サナ、大丈夫だ。俺の目を見て、ゆっくり息を吐き出すんだ。……そう、吸うことよりも、吐くことを意識してごらん」

パニックになりかけているサナの視線をまっすぐに受け止め、ククイはあえて低く、深く、安心させるための声を響かせる。

「胸がバクバクして怖いかもしれないが、俺がちゃんと脈を計っている。薬が必要か、このまま落ち着くか、俺がちゃんと見極めてやるからな。君の心臓を、独りぼっちで走らせたりはしないぜ」

「は、かせ……っ、……すー、……はー、……」

ククイの頼もしい手の温もりと、視線から伝わる絶対的な安心感にすがるように、サナは必死に呼吸を整えようと試みる。
ククイは手首の拍動に全神経を集中させながら、彼女の胸の嵐が静まるのを、一秒たりとも見逃さない覚悟で寄り添い続けた。
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