世界一優しい私の主治医
アローラの夜は、どこまでも深い藍色に沈んでいた。
ここ数日、坂道を転げ落ちるように体調を崩す中で、サナは嫌というほど理解してしまっていた。自分の身体の底で、何かが決定的にすり減っていく感覚。夜、目を閉じるたびに「明日の朝、本当に目覚められるのだろうか」という悍ましい恐怖が首筋を撫でる。
自分に残された時間は、きっと、みんなが思っているよりもずっと短い。
先のことを考えると、暗い奈落を見下ろしているようで足が震えた。怖くて、寂しくて、叫び出しそうになる。けれど、それをククイ博士に伝えることは、どうしても躊躇(ためら)われた。
(これ以上、博士に重い荷物を背負わせちゃだめだ……。私の暗い未来に、博士を巻き込みたくない……)
でも、今この瞬間だけは、一人で耐えるにはあまりに夜が冷たすぎた。
「……博士」
ロフトの梯子を静かに下り、デスクライトの下で資料をめくっていたククイの背中に、消え入りそうな声で呼びかける。
ククイはすぐに振り返り、サナの異様な様子に気づいて立ち上がった。
「サナ? どうした、またどこか痛むのかい?」
「ううん、違うの。どこも痛くない……痛くない、けど……」
サナはそれ以上、言葉を紡げなかった。本当は「私が死んじゃったらどうしよう」と泣きつきたかった。自分の存在が消えてしまう未来が怖いと、大声で泣き叫びたかった。けれど、喉の奥まで出かかったその言葉を、サナは強引に 飲み込んだ。
代わりに、震える両手を小さく差し出す。
「……お願い。何も聞かないで、ただ……抱きしめて」
ククイの動きが一瞬、止まった。サングラスの奥の鋭い瞳が、サナの全てを見透かそうとするように細められる。彼はサナが何か、言葉にできないほど巨大な恐怖と戦っていることに気づいたはずだった。
けれど、彼は理由を問い詰めることはしなかった。
「……ああ。お安い御用だぜ」
ククイは一歩踏み出すと、サナの小さな身体を、その大きな両腕で包み込むように強く、深く抱きしめた。
ドクン、ドクン、とククイの胸から伝わってくる、力強く揺るぎない心音。
サナは彼の白衣に顔を埋め、その圧倒的な「生の塊」に縋り付いた。ククイの身体は驚くほど温かく、そしてどこまでも堅牢で、まるで彼女をこの世界に繋ぎ止めるアンカーのようだった。
「……怖いよ、博士……。先のことを考えると、真っ暗で、何も見えなくて……すごく、怖いの……」
「……分かっているさ」
ククイの大きな掌が、サナの背中をゆっくりと、一定のリズムでさすり始める。
「何も見えなくていい。明日なんて、遠い先のことは考えなくていいんだ。今、サナはここにいて、俺の腕の中にいる。それだけが確かな事実だぜ」
「……うん……っ」
「君が怖いときは、俺が何度でもこうして抱きしめてやる。君の冷たい夜を、俺の体温で全部塗り潰してやるからな。だから……一人で震えるな、サナ」
ククイの腕に、さらにぎゅっと力がこもる。
先の見えない未来への恐怖が消え去ったわけではない。けれど、この温もりの中にいる間だけは、自分が確かにここに生きていて、愛されているのだと信じることができた。
サナは彼の胸の中で静かに涙を流しながら、今はただ、その確かな心音に耳を澄ませていた。
ここ数日、坂道を転げ落ちるように体調を崩す中で、サナは嫌というほど理解してしまっていた。自分の身体の底で、何かが決定的にすり減っていく感覚。夜、目を閉じるたびに「明日の朝、本当に目覚められるのだろうか」という悍ましい恐怖が首筋を撫でる。
自分に残された時間は、きっと、みんなが思っているよりもずっと短い。
先のことを考えると、暗い奈落を見下ろしているようで足が震えた。怖くて、寂しくて、叫び出しそうになる。けれど、それをククイ博士に伝えることは、どうしても躊躇(ためら)われた。
(これ以上、博士に重い荷物を背負わせちゃだめだ……。私の暗い未来に、博士を巻き込みたくない……)
でも、今この瞬間だけは、一人で耐えるにはあまりに夜が冷たすぎた。
「……博士」
ロフトの梯子を静かに下り、デスクライトの下で資料をめくっていたククイの背中に、消え入りそうな声で呼びかける。
ククイはすぐに振り返り、サナの異様な様子に気づいて立ち上がった。
「サナ? どうした、またどこか痛むのかい?」
「ううん、違うの。どこも痛くない……痛くない、けど……」
サナはそれ以上、言葉を紡げなかった。本当は「私が死んじゃったらどうしよう」と泣きつきたかった。自分の存在が消えてしまう未来が怖いと、大声で泣き叫びたかった。けれど、喉の奥まで出かかったその言葉を、サナは強引に 飲み込んだ。
代わりに、震える両手を小さく差し出す。
「……お願い。何も聞かないで、ただ……抱きしめて」
ククイの動きが一瞬、止まった。サングラスの奥の鋭い瞳が、サナの全てを見透かそうとするように細められる。彼はサナが何か、言葉にできないほど巨大な恐怖と戦っていることに気づいたはずだった。
けれど、彼は理由を問い詰めることはしなかった。
「……ああ。お安い御用だぜ」
ククイは一歩踏み出すと、サナの小さな身体を、その大きな両腕で包み込むように強く、深く抱きしめた。
ドクン、ドクン、とククイの胸から伝わってくる、力強く揺るぎない心音。
サナは彼の白衣に顔を埋め、その圧倒的な「生の塊」に縋り付いた。ククイの身体は驚くほど温かく、そしてどこまでも堅牢で、まるで彼女をこの世界に繋ぎ止めるアンカーのようだった。
「……怖いよ、博士……。先のことを考えると、真っ暗で、何も見えなくて……すごく、怖いの……」
「……分かっているさ」
ククイの大きな掌が、サナの背中をゆっくりと、一定のリズムでさすり始める。
「何も見えなくていい。明日なんて、遠い先のことは考えなくていいんだ。今、サナはここにいて、俺の腕の中にいる。それだけが確かな事実だぜ」
「……うん……っ」
「君が怖いときは、俺が何度でもこうして抱きしめてやる。君の冷たい夜を、俺の体温で全部塗り潰してやるからな。だから……一人で震えるな、サナ」
ククイの腕に、さらにぎゅっと力がこもる。
先の見えない未来への恐怖が消え去ったわけではない。けれど、この温もりの中にいる間だけは、自分が確かにここに生きていて、愛されているのだと信じることができた。
サナは彼の胸の中で静かに涙を流しながら、今はただ、その確かな心音に耳を澄ませていた。