世界一優しい私の主治医
夜の静寂が、いつも以上に重く研究所を包み込んでいた。
ロフトのベッドの中、サナは激しい恐怖に囚われていた。一度体調を崩せば奈落の底まで落とされるあの感覚が、部屋の暗闇そのものとなって迫ってくるように思えて、どうしても瞼を閉じることができない。
気づけば、サナは裸足のまま梯子を下りていた。
リビングのソファに腰掛け、小さな手元灯の下で静かに本をめくっていたククイは、サナの気配を察してすぐに顔を上げた。
「サナ? ……どうした、どこか苦しいのかい?」
ククイが本を置き、大柄な身体を屈めてサナの顔を覗き込む。サナの身体は、熱のせいではなく、純粋な恐怖でガタガタと震えていた。その瞳には涙がなみなみと湛えられている。
「はか、せ……。ごめんなさい、こんな夜中に……」
「いいんだ、謝らなくていい。何があった?」
サナは自分の細い指先をぎゅっと握りしめ、消え入りそうな声で言葉を紡いだ。
「暗闇が……怖いの。目を閉じると、もう二度と目が覚めないんじゃないかって思って……。自分がどこかに消えちゃいそうで、怖くて、眠れないんです……」
ククイはすぐに立ち上がり、彼女をソファに座らせようとした。しかし、サナはその場に立ち尽くしたまま、彼の白衣の袖を、すがるように強く掴んで離さなかった。
「……あの、おねがい……。わがままを言っているのは、わかってます。博士と私には、お医者さまと患者さんっていう関係があって……私がこんな、浅ましいことを言って甘えちゃいけないって、ちゃんと分かっているのに……っ」
サナの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「でも、一人じゃどうしても耐えられないの……。今夜だけでいいから……、一緒に、隣で寝てくれませんか……? 博士の体温がないと、私、夜を越えられない気がして……っ」
立場を弁えない、理性を欠いた懇願。
一介の留学生であり、彼に診てもらっている身でありながら、その心に踏み込むような発言をしてしまった。自分の醜さと弱さに、サナは胸が張り裂けそうだった。
けれど、ククイの表情に困惑の色は一切なかった。
彼は深く息を吐くと、サナの小さな身体を、包み込むようにそっと両腕で抱き寄せた。
「サナ」
耳元に響く、低く、驚くほど落ち着いた声。
「浅ましいなんて、そんな言葉は二度と使うな。君はただ、生きるために必死に戦っていて、今その闇が少し怖くなっただけだ。それに……」
ククイはサナをしっかりと腕に抱いたまま、優しく彼女の髪を撫でた。
「俺は医者である前に、君の保護者で、君の味方だ。苦しいときに手を伸ばす相手が俺なら、どんな特権だって使えばいいさ」
ククイはサナを軽々と横抱きにすると、彼女の部屋のロフトへと階段を上がった。ベッドに彼女をそっと横たえ、自分もその傍らに腰を落とし、大きな身体でサナを包み込むようにして布団を掛け直す。
彼の大きな掌が、サナの冷たくなった手を力強く包み込んだ。
驚くほど高く、揺るぎない体温が、彼女の指先からじわじわと胸の奥へと染み渡っていく。
「ほら、俺はここにいる。君の手を絶対に離さないし、夜の闇にサナを連れて行かせたりもしない」
「博士……」
「目を閉じなさい。君が次に目覚めるとき、世界がちゃんとそこにあることを、俺のこの体温が証明し続けてやるからな」
ククイの胸に顔を埋めると、規則正しい心音と、いつもの温かな匂いがサナの五感を満たした。あんなに凶悪だった部屋の暗闇が、彼の存在によって、ただの静かな夜へと変わっていく。
サナは彼の大きな手にしがみついたまま、今度は怯えることなく、深い安らぎのなかへとゆっくりと意識を沈めていった。
ロフトのベッドの中、サナは激しい恐怖に囚われていた。一度体調を崩せば奈落の底まで落とされるあの感覚が、部屋の暗闇そのものとなって迫ってくるように思えて、どうしても瞼を閉じることができない。
気づけば、サナは裸足のまま梯子を下りていた。
リビングのソファに腰掛け、小さな手元灯の下で静かに本をめくっていたククイは、サナの気配を察してすぐに顔を上げた。
「サナ? ……どうした、どこか苦しいのかい?」
ククイが本を置き、大柄な身体を屈めてサナの顔を覗き込む。サナの身体は、熱のせいではなく、純粋な恐怖でガタガタと震えていた。その瞳には涙がなみなみと湛えられている。
「はか、せ……。ごめんなさい、こんな夜中に……」
「いいんだ、謝らなくていい。何があった?」
サナは自分の細い指先をぎゅっと握りしめ、消え入りそうな声で言葉を紡いだ。
「暗闇が……怖いの。目を閉じると、もう二度と目が覚めないんじゃないかって思って……。自分がどこかに消えちゃいそうで、怖くて、眠れないんです……」
ククイはすぐに立ち上がり、彼女をソファに座らせようとした。しかし、サナはその場に立ち尽くしたまま、彼の白衣の袖を、すがるように強く掴んで離さなかった。
「……あの、おねがい……。わがままを言っているのは、わかってます。博士と私には、お医者さまと患者さんっていう関係があって……私がこんな、浅ましいことを言って甘えちゃいけないって、ちゃんと分かっているのに……っ」
サナの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「でも、一人じゃどうしても耐えられないの……。今夜だけでいいから……、一緒に、隣で寝てくれませんか……? 博士の体温がないと、私、夜を越えられない気がして……っ」
立場を弁えない、理性を欠いた懇願。
一介の留学生であり、彼に診てもらっている身でありながら、その心に踏み込むような発言をしてしまった。自分の醜さと弱さに、サナは胸が張り裂けそうだった。
けれど、ククイの表情に困惑の色は一切なかった。
彼は深く息を吐くと、サナの小さな身体を、包み込むようにそっと両腕で抱き寄せた。
「サナ」
耳元に響く、低く、驚くほど落ち着いた声。
「浅ましいなんて、そんな言葉は二度と使うな。君はただ、生きるために必死に戦っていて、今その闇が少し怖くなっただけだ。それに……」
ククイはサナをしっかりと腕に抱いたまま、優しく彼女の髪を撫でた。
「俺は医者である前に、君の保護者で、君の味方だ。苦しいときに手を伸ばす相手が俺なら、どんな特権だって使えばいいさ」
ククイはサナを軽々と横抱きにすると、彼女の部屋のロフトへと階段を上がった。ベッドに彼女をそっと横たえ、自分もその傍らに腰を落とし、大きな身体でサナを包み込むようにして布団を掛け直す。
彼の大きな掌が、サナの冷たくなった手を力強く包み込んだ。
驚くほど高く、揺るぎない体温が、彼女の指先からじわじわと胸の奥へと染み渡っていく。
「ほら、俺はここにいる。君の手を絶対に離さないし、夜の闇にサナを連れて行かせたりもしない」
「博士……」
「目を閉じなさい。君が次に目覚めるとき、世界がちゃんとそこにあることを、俺のこの体温が証明し続けてやるからな」
ククイの胸に顔を埋めると、規則正しい心音と、いつもの温かな匂いがサナの五感を満たした。あんなに凶悪だった部屋の暗闇が、彼の存在によって、ただの静かな夜へと変わっていく。
サナは彼の大きな手にしがみついたまま、今度は怯えることなく、深い安らぎのなかへとゆっくりと意識を沈めていった。