世界一優しい私の主治医

夕暮れ時の研究所。サナがロフトで眠りについたのを見届けてから、ククイはリビングのパソコンの前に座り、カントーにいる彼女の両親へと画面越しのテレビ電話を繋いだ。

画面に映し出されたのは、どこか義務的で、冷淡な空気を纏った男女の姿だった。

「――ええ、ククイ博士。わざわざお時間をとらせてしまって。それで、あの子はアローラで迷惑をかけていませんか?」

開口一番、娘の体調ではなく「迷惑をかけていないか」と口にする母親の言葉に、ククイは胸の奥で小さな違和感を覚える。しかし、まずは冷静に、大人の、そして「預かり人」としての態度を崩さずに応じた。

「いいえ、滅相もない。サナは本当によく頑張っていますよ。今日は彼女の現在の病状と、こちらでの過ごし方についてご報告したくてご連絡しました」

ククイは手元の資料を基に、サナの体調の波や、高熱が出た際の対応、そして少しずつではあるが小康状態を保てている日もあることを、極めて客観的に、かつ丁寧に説明した。専門的な医学の言葉も交えながら、彼女がどれほど過酷な身体の痛みに耐えているかを伝えた。

しかし、画面の向こうの両親は、感心したように相槌を打つこともなく、むしろどこか他人事のように深く溜息を吐くだけだった。

「そうですか……。相変わらず、手のかかる性質(たち)なんですね」
父親が、心底億劫そうに眉間を押さえる。

「本当に不出来な子で、昔から私たちを困らせてばかりなんです。カントーの病院に入院していた時も、まともに治療に専念しようともせず、勉強もしないで。あの子、病室で一日中、暗い顔をして本ばかり読んでいたでしょう? あんな風に現実逃避ばかりしているから、いつまでも心が脆弱で、病気も治らないんですよ」

母親が当然の事実であるかのように、サナを蔑む言葉を重ねていく。

その瞬間、ククイの脳裏に、夜中に必死にペンの音を追いかけていたサナの姿や、震える手で『アローラの古い伝承』を大切そうに抱きしめて眠っていた彼女の寝顔が鮮明に浮かび上がった。

(……何が、ダメなんだ?)

ククイのサングラスの奥の瞳が、一瞬で冷たく据わった。
いつも崩さないずば抜けた陽気さの仮面が、剥がれ落ちていく。彼の大きな肩が僅かに強張り、端整な顔立ちが、見る間に険しく、威圧的なものへと変わっていった。

「……勉強もせず、本ばかり読んでいた、ですか」

低く、地を這うようなククイの声に、画面の向こうの両親がぎょっとしたように言葉を詰まらせる。

「私から見れば、それは現実逃避などではなく、彼女が自分の命を繋ぎ止めるための必死の防衛策ですよ。サナがどれほど深い孤独の中で、本の言葉に救いを求めていたか、あなた方は考えたこともないのですか?」

「え、いや、ククイ博士、私たちはただ……」

「彼女は不出来でも、手のかかるお荷物でもない。アローラの過酷な環境にも、自分の病気にも、誰よりも真っ直ぐに向き合おうとしている、誇り高い一人の少女です。……預かった人間として、それだけは明確に訂正させていただきます」

ククイの放つ圧倒的なオーラと、一切の妥協を許さない真剣な眼差しに、両親は画面越しであるにもかかわらず、気圧されたように沈黙した。

ククイは深く息を吐き、怒りをコントロールするように視線を一度落とすと、再び前を見据えた。

「これ以上の報告は、サナの心身の負担になりますので、今回はここまでにしましょう。……サナの未来は、俺が責任を持ってアローラの太陽の下へ連れ戻します。それでは」

言い訳を聞く前に通信を遮断し、ククイはパソコンの画面をパタンと閉じた。
静まり返ったリビングで、ククイは天を仰ぐ。サナが「家族に見限られた」と言って手首の傷を見せてくれた時の、あの絶望に満ちた表情の理由が、今なら痛いほどよく分かった。

「……本ばかり読んでいて、何が悪いってんだ」

ククイはぽつりと呟くと、拳を固く握りしめた。
実の親からさえ否定され続けたあの子の居場所を、この研究所に、自分の隣に、何があっても作り続けてやる。ククイはロフトへと続く梯子を見上げ、静かな、けれど絶対の誓いをその胸に刻んでいた。
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