世界一優しい私の主治医
アローラの豊かな自然が育むのは、美しい花や珍しいポケモンだけではない。南国特有の、生命力に溢れすぎた虫たちもまた、その一部だった。
健康な人間であれば、少し赤くなって痒み止めの軟膏を塗っておけば数日で治る――ただの、ありふれた虫刺され。
しかし、免疫力が低下し、身体のあちこちの機能が綱渡り状態で動いているサナにとっては、それは命を脅かしかねない「大事件」の引き金だった。
「……サナ、ちょっと腕を見せてごらん」
夕食の後、リビングのソファでサナがしきりに右の二の腕を気にしているのを見て、ククイは鋭く声をかけた。
サナが気まずそうにパジャマの袖を捲り上げると、そこには白く細い肌にぽつりと、小さな赤みができていた。
「ごめんなさい、博士。夕方、ちょっとお庭に出たときに刺されちゃったみたいで……。でも、ただの虫刺されだから、大丈夫……」
「大丈夫じゃない」
ククイの口調は、いつになく厳しく、そして速かった。サングラスの奥の瞳が、瞬時に「研究者」であり「保護者」であるプロフェッショナルのそれへと切り替わる。
サナのような身体にとって、小さな虫刺されの傷口から侵入する雑菌や、虫の毒素は、健常者の何倍もの速度で全身に悪影響を及ぼす。放っておけば瞬く間に局所が大きく腫れ上がり、蜂窩織炎(ほうかしきえん)を引き起こしたり、毒素への過剰反応で一気に**39度を超えるような高熱**を誘発したりする危険性があるのだ。
「いいかい、サナ。君の身体にとっては、これがただの風邪や怪我と同じくらい、警戒しなきゃいけない侵入者なんだ」
ククイは平然を装いながらも、手早くリビングのテーブルに医療キットを広げた。
その対策は、サナの目から見れば、およそ「虫刺され」に対するものとは思えないほど大袈裟で、徹底していた。
まず、ククイは抗生物質の入った特殊な消毒液で、刺された箇所とその周囲を広範囲にわたって念入りに清浄した。サナがピリッとした痛みに眉をひそめると、「すまないな」と声をかけながら、今度は腫れを最小限に抑えるための強いステロイド軟膏をピンポイントで塗布する。
「これで終わり……ですか?」
「いや、ここからが本番だぜ」
ククイはさらに、冷やした滅菌ガーゼを傷口に当て、伸縮性のある包帯で腕を優しく、けれどしっかりと固定した。衣服ですれて傷口が広がるのを防ぐためだ。
さらに彼はサイドテーブルに、あらかじめ処方されていた抗生物質と解熱鎮痛剤のパウチを並べ、常温の経口補水液を用意した。
「今夜はこれから熱が出るかもしれない。サナ、少しでも寒気がしたり、身体がだるくなったら、枕元の呼び鈴をすぐに鳴らすんだ。いいな?」
「……はい」
大袈裟すぎるほどの厳戒態勢に、サナは圧倒されながらも、ククイのその「大袈裟さ」の裏にある深い愛情と恐怖を感じ取っていた。彼は、どんな小さなリスクも見逃さず、自分の命を守ろうとしてくれている。
「ただの虫刺されなのに……たくさん看病させて、ごめんなさい」
俯くサナの頭を、ククイは包帯を巻き終えた手で、いつものように優しく撫でた。
「謝るなと言っただろう。アローラの虫は元気いっぱいだからな。俺がこれくらい大袈裟に構えておかないと、虫たちに『博士の目が届いていない』って舐められちまうさ」
ククイはそう言ってニカッと白い歯を見せて笑った。
その笑顔の裏で、彼は今夜一晩、彼女のバイタルが急変しないか、リビングのデスクでいつでも動けるように徹夜で見守る覚悟を決めていた。どんなに小さな火種であっても、この大切な少女を脅かすものは、全て俺が消し去ってみせる――その揺るぎない決意とともに。
健康な人間であれば、少し赤くなって痒み止めの軟膏を塗っておけば数日で治る――ただの、ありふれた虫刺され。
しかし、免疫力が低下し、身体のあちこちの機能が綱渡り状態で動いているサナにとっては、それは命を脅かしかねない「大事件」の引き金だった。
「……サナ、ちょっと腕を見せてごらん」
夕食の後、リビングのソファでサナがしきりに右の二の腕を気にしているのを見て、ククイは鋭く声をかけた。
サナが気まずそうにパジャマの袖を捲り上げると、そこには白く細い肌にぽつりと、小さな赤みができていた。
「ごめんなさい、博士。夕方、ちょっとお庭に出たときに刺されちゃったみたいで……。でも、ただの虫刺されだから、大丈夫……」
「大丈夫じゃない」
ククイの口調は、いつになく厳しく、そして速かった。サングラスの奥の瞳が、瞬時に「研究者」であり「保護者」であるプロフェッショナルのそれへと切り替わる。
サナのような身体にとって、小さな虫刺されの傷口から侵入する雑菌や、虫の毒素は、健常者の何倍もの速度で全身に悪影響を及ぼす。放っておけば瞬く間に局所が大きく腫れ上がり、蜂窩織炎(ほうかしきえん)を引き起こしたり、毒素への過剰反応で一気に**39度を超えるような高熱**を誘発したりする危険性があるのだ。
「いいかい、サナ。君の身体にとっては、これがただの風邪や怪我と同じくらい、警戒しなきゃいけない侵入者なんだ」
ククイは平然を装いながらも、手早くリビングのテーブルに医療キットを広げた。
その対策は、サナの目から見れば、およそ「虫刺され」に対するものとは思えないほど大袈裟で、徹底していた。
まず、ククイは抗生物質の入った特殊な消毒液で、刺された箇所とその周囲を広範囲にわたって念入りに清浄した。サナがピリッとした痛みに眉をひそめると、「すまないな」と声をかけながら、今度は腫れを最小限に抑えるための強いステロイド軟膏をピンポイントで塗布する。
「これで終わり……ですか?」
「いや、ここからが本番だぜ」
ククイはさらに、冷やした滅菌ガーゼを傷口に当て、伸縮性のある包帯で腕を優しく、けれどしっかりと固定した。衣服ですれて傷口が広がるのを防ぐためだ。
さらに彼はサイドテーブルに、あらかじめ処方されていた抗生物質と解熱鎮痛剤のパウチを並べ、常温の経口補水液を用意した。
「今夜はこれから熱が出るかもしれない。サナ、少しでも寒気がしたり、身体がだるくなったら、枕元の呼び鈴をすぐに鳴らすんだ。いいな?」
「……はい」
大袈裟すぎるほどの厳戒態勢に、サナは圧倒されながらも、ククイのその「大袈裟さ」の裏にある深い愛情と恐怖を感じ取っていた。彼は、どんな小さなリスクも見逃さず、自分の命を守ろうとしてくれている。
「ただの虫刺されなのに……たくさん看病させて、ごめんなさい」
俯くサナの頭を、ククイは包帯を巻き終えた手で、いつものように優しく撫でた。
「謝るなと言っただろう。アローラの虫は元気いっぱいだからな。俺がこれくらい大袈裟に構えておかないと、虫たちに『博士の目が届いていない』って舐められちまうさ」
ククイはそう言ってニカッと白い歯を見せて笑った。
その笑顔の裏で、彼は今夜一晩、彼女のバイタルが急変しないか、リビングのデスクでいつでも動けるように徹夜で見守る覚悟を決めていた。どんなに小さな火種であっても、この大切な少女を脅かすものは、全て俺が消し去ってみせる――その揺るぎない決意とともに。