世界一優しい私の主治医

ロフトの寝室は、お昼過ぎの静かな光に満ちていた。

「サナ、お昼のスープを持ってきたぜ。少しは喉が通りそうかい?」

ククイはトレーをサイドテーブルに置き、ベッドの傍らに腰掛けた。
振り返るはずの少女は、頑ななまでに壁側を向いたままだ。毛布を頭からすっぽりと被り、小さな背中を丸めている。

「……お腹、すいてないから……あとで、食べます」

こもった声が返ってくる。
朝の検温のときもそうだった。サナは頑なにククイと視線を合わせようとせず、声をかければ生返事のまま、不自然なほど執拗に顔を背け続けていた。朝は「まだ眠いのだろう」と見逃したが、昼になってもその態度が変わらない。

(何か、おかしいな……)

ククイの鋭い観察眼が、彼女の小さな異変を捉える。
ただの気分のムラや、体調不良による我が儘の類ではない。何かを必死に隠そうとしている、切迫した気配。

「サナ。顔を見せてくれないか。顔色だけでも確認させてくれ」

「……大丈夫、ですから。本当になんでもないの」

頑なな拒絶。だが、ククイはそこで引き下がる男ではなかった。
「悪いな、サナ。これも主治医の役目なんだ」

ククイは不意をついて、彼女が握りしめていた毛布の端を、優しく、けれど迷いのない力加減で引いた。
「あっ……!」

逃げようとしたサナの身体をそっと抱き起こし、その顔を覗き込む。
次の瞬間、ククイは息を呑んだ。

サナの瞳からは、大粒の涙が、文字通り「音もなく」溢れ落ち続けていた。
声を上げて泣いているわけではない。しゃくりあげることもなく、ただ、堰を切ったように透明な雫が、次から次へと頬を伝って枕を濡らしている。その瞳は赤く腫れ上がり、一体どれほどの時間、一人で耐えていたのかを物語っていた。

「サナ……! どこか痛むのか!? 苦しいのか!?」

いつもは冷静なククイの声に、明らかな動揺が混じる。彼はすぐに彼女の手首を取り、脈を測ろうとした。
しかし、サナは力なく首を振って、涙を拭おうともせずに掠れた声を出した。

「ちがう、違うの、博士……。痛くないの……」

「じゃあ、どうしてこんなに泣いているんだ? 何か悲しいことでも……」

「悲しくもないの……。わからない、わからないんです……」

サナは溢れ続ける涙を細い手首で何度も拭ったが、溢れる速度には追いつかない。

「朝、目が覚めた時から……ずっと、止まらなくて……。悲しくもないし、どこも痛くないのに、涙だけが勝手に出てきちゃうの。……止めたくても、どうしても止まらなくて……っ」

ポロポロとこぼれ落ちる雫が、彼女の薄い衣類に染みを作っていく。

「こんなの見せたら、また博士に心配かけちゃう。ただでさえ迷惑ばかりかけてるのに、理由のない涙なんて、一番困らせちゃうから……。だから、隠しておきたかったのに……」

心が身体の悲鳴に追いついていないのだろう。理由のない涙、それは過酷な闘病生活の中で、彼女のメンタルが限界を迎えている危険なサインだった。それを「迷惑をかけたくない」という一心で、彼女は数時間もの間、暗闇の中で一人で隠し通そうとしていたのだ。

ククイの胸に、言葉にできないほどの痛みが走る。

「サナ……」

ククイは大きな両手で、彼女の涙で濡れた顔を優しく包み込んだ。親指の腹で、とめどなく流れる雫を何度も、何度も拭う。

「困るわけがないだろう。迷惑なはずがない。……そんなに一人で抱え込んで、どれだけ苦しかったんだ」

「ごめんなさい……ごめんなさい、博士……」

「謝るな。泣きたい時は、理由なんてなくていいんだ。身体が『お休みしたい』って言っている証拠だぜ。涙と一緒に、溜まった毒を全部吐き出しちまえばいい」

ククイは彼女の細い身体を、壊れ物を扱うようにそっと胸に抱き寄せた。
彼の広い胸に顔を埋めると、サナはこれまで堪えていたものが決壊したように、ようやく小さな声を上げて泣き始めた。

「俺がここにいる。涙が枯れるまで、ずっとここにいてやるからな」

ククイは彼女の背中を優しく揺らしながら、その背中に伝わる小さな震えが収まるまで、静かにその涙を受け止め続けた。
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