世界一優しい私の主治医
アローラの夕暮れは、全てを燃え尽くすような茜色に染まっていた。
その光が研究所のリビングに長く伸びる中、サナはぽつりと、けれど明確な意志を孕んだ声で、その言葉を口にした。
「私……カントーに帰ります」
荷造りを終えた小さなバッグを傍らに置き、俯いたままのサナ。
ククイは手にしていたマグカップをテーブルに置いた。コツン、と静かな音が響く。サングラスの奥の瞳が、驚きと、それ以上の深い動揺でわずかに揺れた。
「……突然どうしたんだい、サナ。体調の波はあるけれど、アローラの環境にも少しずつ慣れてきたと思っていたんだが……。何か、嫌なことでもあったかい?」
いつもなら優しく頭を撫でてくれるはずのククイの足音が、一歩、また一歩と近づいてくる。サナは限界まで唇を噛み締め、溢れそうになる涙を必死に堪えながら、拒絶するように一歩後ろへ下がった。
「違うの……! 嫌なことなんて、一つもない。ここは、世界で一番温かくて、優しくて……だから、ダメなんです」
「サナ?」
「私、気づいちゃったんです。……この数週間、博士の時間をどれだけ奪った? 学会の論文だって、私の看病のせいでギリギリになって、スクールの授業案だって夜中に作らせて……。昨日だって、私一人のために、つきっきりで『スクールの日』なんてやってくれて……」
叫ぶようなサナの声が、静かな室内に響く。
「博士には、たくさんの未来がある。スクールの子たちの未来を守らなきゃいけないし、アローラのポケモンの研究だって、これからもっと大成しなきゃいけない……。なのに、私がここにいたら、博士の未来を全部、私の病気の看病で塗り潰しちゃう……っ!」
涙が次から次へと溢れ落ち、サナの細い肩が激しく刻んだ。
「このままだと、私は博士の『足枷』になっちゃう。博士の輝かしい未来を、私が奪っちゃう……! それが、何より一番怖いんです。だから、お願い、引き止めないで……」
自分が消えることで、大好きな人の未来を守れるなら。それが、サナが出したあまりにも悲痛で、あまりにも一途な結論だった。
ククイは近づくのを止め、長い沈黙の後、深く、大きな溜息を一つ吐いた。
その溜息に、拒絶されたのかとサナの身体が強張る。
しかし、次に聞こえてきたのは、呆れたような、けれどどこまでも温かいククイの低い笑い声だった。
「はは……、参ったな。サナ、君は時々、とんでもなく大きな勘違いをする」
「え……?」
驚いて顔を上げたサナの視界に、一瞬でククイの大きな胸が飛び込んできた。
気づけば彼は、サナの身体を、その逞しい腕の中に強く抱きすくめていた。
「離して、博士……! 困らせたくないって……」
「離さないさ。……いいかい、サナ。君は俺の未来を奪ってなんかいない。むしろ、俺の未来を何倍も豊かにしてくれているんだぜ」
ククイは彼女の背中を、大きな掌でトントンと優しく叩いた。
「俺が何のためにスクールの教師をやり、何のためにポケモンの研究をしているか分かるかい? すべては、アローラに関わる命が、誰も置いていかれずに笑って暮らせる世界を作るためだ。……その『守るべき未来』の中に、当然、サナ、君の未来も入っている」
ククイは少し身体を離すと、サナの涙で濡れた頬を大きな親指でそっと拭った。
「君を看病する時間も、一緒にスープを飲む時間も、昨日やった特別な『スクールの日』だって、俺にとっては未来へ続く大切なステップなんだ。足枷だなんて、二度と言わせない。君がここにいて、いつか笑って前を歩けるようになること。それが、俺の描く最高の未来なんだからな」
「博士……、でも……」
「カントーには帰さない。どうしても帰るって言うなら、俺も白衣を脱いでついていくまでだ。……俺の未来を邪魔できるのは、世界中でサナ、君だけなんだぜ?」
悪戯っぽく微笑むククイの顔は、どこまでも本気だった。
サナは彼の白衣の胸元に顔を埋め、声を上げて泣いた。あんなに怖かった未来が、彼の腕の中では、不思議なほど温かく、確かなものに感じられていた。
その光が研究所のリビングに長く伸びる中、サナはぽつりと、けれど明確な意志を孕んだ声で、その言葉を口にした。
「私……カントーに帰ります」
荷造りを終えた小さなバッグを傍らに置き、俯いたままのサナ。
ククイは手にしていたマグカップをテーブルに置いた。コツン、と静かな音が響く。サングラスの奥の瞳が、驚きと、それ以上の深い動揺でわずかに揺れた。
「……突然どうしたんだい、サナ。体調の波はあるけれど、アローラの環境にも少しずつ慣れてきたと思っていたんだが……。何か、嫌なことでもあったかい?」
いつもなら優しく頭を撫でてくれるはずのククイの足音が、一歩、また一歩と近づいてくる。サナは限界まで唇を噛み締め、溢れそうになる涙を必死に堪えながら、拒絶するように一歩後ろへ下がった。
「違うの……! 嫌なことなんて、一つもない。ここは、世界で一番温かくて、優しくて……だから、ダメなんです」
「サナ?」
「私、気づいちゃったんです。……この数週間、博士の時間をどれだけ奪った? 学会の論文だって、私の看病のせいでギリギリになって、スクールの授業案だって夜中に作らせて……。昨日だって、私一人のために、つきっきりで『スクールの日』なんてやってくれて……」
叫ぶようなサナの声が、静かな室内に響く。
「博士には、たくさんの未来がある。スクールの子たちの未来を守らなきゃいけないし、アローラのポケモンの研究だって、これからもっと大成しなきゃいけない……。なのに、私がここにいたら、博士の未来を全部、私の病気の看病で塗り潰しちゃう……っ!」
涙が次から次へと溢れ落ち、サナの細い肩が激しく刻んだ。
「このままだと、私は博士の『足枷』になっちゃう。博士の輝かしい未来を、私が奪っちゃう……! それが、何より一番怖いんです。だから、お願い、引き止めないで……」
自分が消えることで、大好きな人の未来を守れるなら。それが、サナが出したあまりにも悲痛で、あまりにも一途な結論だった。
ククイは近づくのを止め、長い沈黙の後、深く、大きな溜息を一つ吐いた。
その溜息に、拒絶されたのかとサナの身体が強張る。
しかし、次に聞こえてきたのは、呆れたような、けれどどこまでも温かいククイの低い笑い声だった。
「はは……、参ったな。サナ、君は時々、とんでもなく大きな勘違いをする」
「え……?」
驚いて顔を上げたサナの視界に、一瞬でククイの大きな胸が飛び込んできた。
気づけば彼は、サナの身体を、その逞しい腕の中に強く抱きすくめていた。
「離して、博士……! 困らせたくないって……」
「離さないさ。……いいかい、サナ。君は俺の未来を奪ってなんかいない。むしろ、俺の未来を何倍も豊かにしてくれているんだぜ」
ククイは彼女の背中を、大きな掌でトントンと優しく叩いた。
「俺が何のためにスクールの教師をやり、何のためにポケモンの研究をしているか分かるかい? すべては、アローラに関わる命が、誰も置いていかれずに笑って暮らせる世界を作るためだ。……その『守るべき未来』の中に、当然、サナ、君の未来も入っている」
ククイは少し身体を離すと、サナの涙で濡れた頬を大きな親指でそっと拭った。
「君を看病する時間も、一緒にスープを飲む時間も、昨日やった特別な『スクールの日』だって、俺にとっては未来へ続く大切なステップなんだ。足枷だなんて、二度と言わせない。君がここにいて、いつか笑って前を歩けるようになること。それが、俺の描く最高の未来なんだからな」
「博士……、でも……」
「カントーには帰さない。どうしても帰るって言うなら、俺も白衣を脱いでついていくまでだ。……俺の未来を邪魔できるのは、世界中でサナ、君だけなんだぜ?」
悪戯っぽく微笑むククイの顔は、どこまでも本気だった。
サナは彼の白衣の胸元に顔を埋め、声を上げて泣いた。あんなに怖かった未来が、彼の腕の中では、不思議なほど温かく、確かなものに感じられていた。