世界一優しい私の主治医

研究所の一階、リビングのソファに腰掛けて資料に目を通していたククイだったが、ふとペンを置いた。ロフトの上があまりにも静かすぎる。いつもなら微かに聞こえる寝返りの音や、衣服が擦れる音すら、今の二階からは一切聞こえてこない。

アローラの暖かな陽射しが部屋を包んでいるはずなのに、ククイの胸を、言いようのない不穏な予感が掠めた。

彼は椅子から立ち上がると、足音を完全に殺して梯子を上がった。

サナの部屋の扉を静かに開け、ベッドの傍らへと歩み寄る。
そこには、先ほど掛け直してやったブランケットに包まれたサナが横たわっていた。

「サナ……?」

低く声をかけたが、返事はない。それは当然のことだったが、ククイはサングラスの奥の目をわずかに見開いたまま、その場に凝固した。

サナの寝顔は、あまりにも静謐すぎた。
睫毛はピクリとも動かず、唇は血の気が引いて白っぽい。何より、胸の上下運動が衣服の上からでは判別できないほどに浅く、まるですべての生命活動を停止してしまったかのようだった。

肌の白さが、薄暗い部屋の中でどこか人工的な冷たさを帯びて見える。
いつもなら感じられるはずの、微かな「生の気配」が、今の彼女からは完全に消え失せているように思えた。

(――まさか、な)

脳裏を最悪の想定が過り、ククイの心臓がドクンと嫌な音を立てて跳ねた。
冷たい汗が背中を伝う。何百、何千というポケモンや人間を見てきた彼であっても、今目の前にある少女の「静けさ」には、底冷えするような恐怖を覚えざるを得なかった。

ククイはたまらず膝をつき、震えそうになる指先を伸ばした。
彼女の細い手首を取り、親指で橈骨動脈を探る。

……一秒、二秒。
永遠のようにも思える数瞬の後、指先にカチ、カチ、と、か細くも確かなリズムが伝わってきた。

「…………っ」

ククイは肺に溜まっていた息を、音を立てずに吐き出した。
続けて彼女の鼻先に人差し指を近づけると、弱々しいが、確かに温かい呼気が指の腹をくすぐる。

死んでなどいない。彼女の命の灯火は、消えずにちゃんとここで燃えている。

「驚かせやがって……」

ククイは自嘲気密にそう呟くと、額に手を当てて深く息をついた。
スクールの教師として、そして研究者として、常に冷静沈着であるべき自分が、これほどまでに動揺させられるとは。

しかし、それほどまでにサナの「脆さ」は、今のアローラの光の中でも異質だった。
ククイは彼女の冷たい指先を自分の大きな掌でそっと包み込み、自らの体温を分け与えるようにじっと握りしめた。

いつかこの子が、こんな風に周囲をゾッとさせるような眠り方ではなく、陽だまりの中で汗をかいて健やかに泥のように眠る日が来るまで。俺がこの命を繋ぎ止め続けてみせる。

ククイは眠る少女の横顔を見つめながら、その決意をさらに深く胸に刻み込むのだった。
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