世界一優しい私の主治医
アローラの穏やかな午後は、一瞬にして凍りつくような衝撃音にかき消された。
それは、あまりにも唐突に訪れた「意識の断絶」が招いた悲劇だった。
【緊急診察記録:午後2時15分】
状態: ナルコレプシー様症状、あるいは極度の疲労と高熱による「失神性睡眠」。
受傷機転: 階段昇降中の急激な意識喪失に伴う、数段下への転落・ローリング。
負傷部位:
側頭部: 階段の縁への打撲による裂傷(出血あり)。
背部・腰部: 転動時の衝撃による広範な挫傷。
右足首: 踏み外した際の重度の捻挫。
分析: 通常の転倒と異なり、意識がない状態で落下したため、手をつくなどの「防御反応」が一切機能していない。全身に直接的な衝撃が加わっており、内臓損傷の有無も含めた厳重な経過観察が必要。
(……あれ、……わたし、……いま……)
サナは、冷たい床の上で、自分の身体がどうなっているのか理解できずにいた。
さっきまで、ククイに淹れてもらったハーブティーの空のカップを持って、ロフトから降りようとしていたはずだった。最後の一歩を踏み出そうとした瞬間、まるで頭の後ろにあるスイッチを無理やり切られたような、抗いようのない真っ暗な眠気が襲ってきたのだ。
オレンジの花柄シャツは、階段の角に引っかかって無惨に裂け、白いパンツには、転げ落ちた際に付いた黒い擦れ跡と、額から流れた鮮血が点々と広がっていた。
「サナ!! 嘘だろ、……しっかりしろ、サナ!」
階下のキッチンから飛び出してきたククイの叫び声が、遠く、水の中から聞こえるような感覚で響く。
彼は、ぐったりとして動かないサナの姿に、一瞬だけ絶望に似た表情を見せたが、すぐにプロの顔に戻り、彼女の頸椎を固定するように慎重に駆け寄った。
「……はか、せ……? ……ねむく、なっちゃって……、……ごめ、んなさい……」
「喋るな、動こうとするな! ……クソッ、脈拍が弱すぎる。脳震盪か、それとも……」
ククイは震える指先でサナの瞳孔を確認し、すぐさま彼女の傷口を清潔な布で圧迫した。彼の白衣が、サナの血でみるみるうちに汚れていくが、彼はそれを気にする素振りさえ見せない。
『「抗えない眠気」による重度外傷を確認。
彼女の身体が発していた、限界を超えた疲労のサインを見誤っていた。
「階段を一人で降りられる」という信頼が、裏目に出た。
主治医として、彼女が意識を失うその一秒前に、なぜその身体を受け止められなかったのか。
……痛みに顔を歪める彼女の細い指を、俺は力いっぱい握りしめる。
「ごめんなさい」なんて言わせない。悪いのは、君を一人で歩かせた俺だ。
今、この瞬間から、君が眠りから覚めるその時まで、俺は一歩たりとも君の側を離れない。
たとえアローラのすべての研究を投げ出したとしても、君の命を繋ぎ止めてみせる。』
窓の外では、何も知らないアブリーたちが楽しげに飛び交っていた。
サナは、博士の腕の中で再び襲ってきた深い眠りに抗うことをやめ、彼の激しい鼓動と、頬に落ちる温かい雫(それが彼の汗なのか、それとも涙なのか、彼女には分からなかった)を感じながら、意識を闇へと手放した。
それは、あまりにも唐突に訪れた「意識の断絶」が招いた悲劇だった。
【緊急診察記録:午後2時15分】
状態: ナルコレプシー様症状、あるいは極度の疲労と高熱による「失神性睡眠」。
受傷機転: 階段昇降中の急激な意識喪失に伴う、数段下への転落・ローリング。
負傷部位:
側頭部: 階段の縁への打撲による裂傷(出血あり)。
背部・腰部: 転動時の衝撃による広範な挫傷。
右足首: 踏み外した際の重度の捻挫。
分析: 通常の転倒と異なり、意識がない状態で落下したため、手をつくなどの「防御反応」が一切機能していない。全身に直接的な衝撃が加わっており、内臓損傷の有無も含めた厳重な経過観察が必要。
(……あれ、……わたし、……いま……)
サナは、冷たい床の上で、自分の身体がどうなっているのか理解できずにいた。
さっきまで、ククイに淹れてもらったハーブティーの空のカップを持って、ロフトから降りようとしていたはずだった。最後の一歩を踏み出そうとした瞬間、まるで頭の後ろにあるスイッチを無理やり切られたような、抗いようのない真っ暗な眠気が襲ってきたのだ。
オレンジの花柄シャツは、階段の角に引っかかって無惨に裂け、白いパンツには、転げ落ちた際に付いた黒い擦れ跡と、額から流れた鮮血が点々と広がっていた。
「サナ!! 嘘だろ、……しっかりしろ、サナ!」
階下のキッチンから飛び出してきたククイの叫び声が、遠く、水の中から聞こえるような感覚で響く。
彼は、ぐったりとして動かないサナの姿に、一瞬だけ絶望に似た表情を見せたが、すぐにプロの顔に戻り、彼女の頸椎を固定するように慎重に駆け寄った。
「……はか、せ……? ……ねむく、なっちゃって……、……ごめ、んなさい……」
「喋るな、動こうとするな! ……クソッ、脈拍が弱すぎる。脳震盪か、それとも……」
ククイは震える指先でサナの瞳孔を確認し、すぐさま彼女の傷口を清潔な布で圧迫した。彼の白衣が、サナの血でみるみるうちに汚れていくが、彼はそれを気にする素振りさえ見せない。
『「抗えない眠気」による重度外傷を確認。
彼女の身体が発していた、限界を超えた疲労のサインを見誤っていた。
「階段を一人で降りられる」という信頼が、裏目に出た。
主治医として、彼女が意識を失うその一秒前に、なぜその身体を受け止められなかったのか。
……痛みに顔を歪める彼女の細い指を、俺は力いっぱい握りしめる。
「ごめんなさい」なんて言わせない。悪いのは、君を一人で歩かせた俺だ。
今、この瞬間から、君が眠りから覚めるその時まで、俺は一歩たりとも君の側を離れない。
たとえアローラのすべての研究を投げ出したとしても、君の命を繋ぎ止めてみせる。』
窓の外では、何も知らないアブリーたちが楽しげに飛び交っていた。
サナは、博士の腕の中で再び襲ってきた深い眠りに抗うことをやめ、彼の激しい鼓動と、頬に落ちる温かい雫(それが彼の汗なのか、それとも涙なのか、彼女には分からなかった)を感じながら、意識を闇へと手放した。