世界一優しい私の主治医
アローラの午後は、どこか重苦しい静寂に包まれていた。
ククイは、サナの体調が安定していることを前提に、いくつかの軽めの問いかけを投げかけていた。しかし、返ってくるのは「……うん」「……別に」といった、極限まで削ぎ落とされた最小限の言葉だけだった。
【観察記録:夕刻】
状態: 表層的なコミュニケーションの欠如、および情緒的遮断。
初期分析: 反抗期、あるいは何らかの不満による「機嫌の悪さ」を疑う。
深層分析: 注意深い観察により、言葉を短く切っているのは「呼吸の乱れを悟らせないため」であり、視線を逸らすのは「焦点の合わない瞳を見せないため」であると判明。彼女の「沈黙」は怒りではなく、崩壊寸前の身体を必死に支えるための「全エネルギーの集中」である。
「サナ、夕食は少し軽めのものにしようか。何がいい?」
「……なんでも、いい」
「じゃあ、フルーツ多めの……」
「……それで、いい」
そっけない返事に、ククイは一瞬、自分が何か彼女の気に障ることをしただろうかと考えた。だが、サナは決して理由もなく他者に当たるような性格ではない。
ククイは一度作業の手を止め、サングラスを外して、ベッドの端で身を固くしているサナをじっと見つめた。
(……おかしい。機嫌が悪いなら、もっと身体に『力』が入るはずだ。だが今のサナは、むしろ石像のように動かないことで、自分の均衡を保っているように見える)
「サナ。……ちょっとこっちを向いてくれ」
ククイが声をかけると、サナは一瞬肩を震わせ、さらに深く顔を伏せた。
「……いま、……いそがしい、から……」
「忙しくてもいい。……サナ、怒っているのか? 俺が何かしたなら謝るが……そうじゃないんだろう?」
ククイはロフトへ上がり、彼女の目の前に屈み込んだ。無理に顔を上げさせず、ただ彼女の「呼吸の音」に耳を澄ませる。
わずかに喉の奥で鳴る、ヒューヒューという微かな喘鳴。そして、膝の上で握りしめられた手が、白くなるほど強く震えている。
「……サナ。……隠さなくていい。どこが、どれくらい辛いんだ?」
「……っ、……あ、……」
その優しい声に、サナの「拒絶の仮面」が音を立てて割れた。
彼女はポロポロと涙をこぼし、震える声でようやく白状した。
「……ばれた、くなかったの……。……また、……体調悪いって言ったら、……はかせ、……お仕事、やめて、つきっきりになっちゃうから……。……わたし、……いい子で、いたかったのに……っ」
「サナ!!」
ククイは、崩れ落ちそうになった彼女の身体を即座に抱き止めた。オレンジの花柄シャツ越しに伝わる熱は、すでに「いい子」で耐えられる範囲をとうに超えていた。
『患者による「症状の意図的隠蔽」を確認。
原因は、ケア提供者への過度な配慮。
彼女にとっての「機嫌の悪さ」は、俺を遠ざけるための、悲しい防衛本能だった。
……俺が彼女の「言葉」に惑わされ、その奥にある「身体の悲鳴」を見逃しかけたことを激しく悔いる。
「いい子」でいようとする彼女の健気さが、かえって彼女の命を危険に晒す。
これからは、彼女が何も言わなくても、その指先の震え一つで俺がすべてを察する。
それが、俺がアローラで一番に守らなければならない、たった一つの研究課題だ。』
「ごめんなさい、はかせ、……ごめんなさい……」
「謝るな。……サナ、いいか。俺の前で『いい子』でいる必要なんてない。わがままを言って、泣いて、俺の手を煩わせるサナが、俺の知っている本物のサナだ。……今夜は、思いっきり『悪い子』になって、俺を困らせるくらい頼れ。いいな?」
窓の外では、アローラの夕日が彼女たちの影を一つに溶かし始めていた。
サナは、ようやく隠し事から解放された安堵で、博士の腕の中で熱に浮かされながらも、深く、長い息を吐き出した。
ククイは、サナの体調が安定していることを前提に、いくつかの軽めの問いかけを投げかけていた。しかし、返ってくるのは「……うん」「……別に」といった、極限まで削ぎ落とされた最小限の言葉だけだった。
【観察記録:夕刻】
状態: 表層的なコミュニケーションの欠如、および情緒的遮断。
初期分析: 反抗期、あるいは何らかの不満による「機嫌の悪さ」を疑う。
深層分析: 注意深い観察により、言葉を短く切っているのは「呼吸の乱れを悟らせないため」であり、視線を逸らすのは「焦点の合わない瞳を見せないため」であると判明。彼女の「沈黙」は怒りではなく、崩壊寸前の身体を必死に支えるための「全エネルギーの集中」である。
「サナ、夕食は少し軽めのものにしようか。何がいい?」
「……なんでも、いい」
「じゃあ、フルーツ多めの……」
「……それで、いい」
そっけない返事に、ククイは一瞬、自分が何か彼女の気に障ることをしただろうかと考えた。だが、サナは決して理由もなく他者に当たるような性格ではない。
ククイは一度作業の手を止め、サングラスを外して、ベッドの端で身を固くしているサナをじっと見つめた。
(……おかしい。機嫌が悪いなら、もっと身体に『力』が入るはずだ。だが今のサナは、むしろ石像のように動かないことで、自分の均衡を保っているように見える)
「サナ。……ちょっとこっちを向いてくれ」
ククイが声をかけると、サナは一瞬肩を震わせ、さらに深く顔を伏せた。
「……いま、……いそがしい、から……」
「忙しくてもいい。……サナ、怒っているのか? 俺が何かしたなら謝るが……そうじゃないんだろう?」
ククイはロフトへ上がり、彼女の目の前に屈み込んだ。無理に顔を上げさせず、ただ彼女の「呼吸の音」に耳を澄ませる。
わずかに喉の奥で鳴る、ヒューヒューという微かな喘鳴。そして、膝の上で握りしめられた手が、白くなるほど強く震えている。
「……サナ。……隠さなくていい。どこが、どれくらい辛いんだ?」
「……っ、……あ、……」
その優しい声に、サナの「拒絶の仮面」が音を立てて割れた。
彼女はポロポロと涙をこぼし、震える声でようやく白状した。
「……ばれた、くなかったの……。……また、……体調悪いって言ったら、……はかせ、……お仕事、やめて、つきっきりになっちゃうから……。……わたし、……いい子で、いたかったのに……っ」
「サナ!!」
ククイは、崩れ落ちそうになった彼女の身体を即座に抱き止めた。オレンジの花柄シャツ越しに伝わる熱は、すでに「いい子」で耐えられる範囲をとうに超えていた。
『患者による「症状の意図的隠蔽」を確認。
原因は、ケア提供者への過度な配慮。
彼女にとっての「機嫌の悪さ」は、俺を遠ざけるための、悲しい防衛本能だった。
……俺が彼女の「言葉」に惑わされ、その奥にある「身体の悲鳴」を見逃しかけたことを激しく悔いる。
「いい子」でいようとする彼女の健気さが、かえって彼女の命を危険に晒す。
これからは、彼女が何も言わなくても、その指先の震え一つで俺がすべてを察する。
それが、俺がアローラで一番に守らなければならない、たった一つの研究課題だ。』
「ごめんなさい、はかせ、……ごめんなさい……」
「謝るな。……サナ、いいか。俺の前で『いい子』でいる必要なんてない。わがままを言って、泣いて、俺の手を煩わせるサナが、俺の知っている本物のサナだ。……今夜は、思いっきり『悪い子』になって、俺を困らせるくらい頼れ。いいな?」
窓の外では、アローラの夕日が彼女たちの影を一つに溶かし始めていた。
サナは、ようやく隠し事から解放された安堵で、博士の腕の中で熱に浮かされながらも、深く、長い息を吐き出した。