世界一優しい私の主治医
アローラの夜は静まり返り、研究室のロフトには、ただサナの乱れた呼吸音だけが鋭く響いていた。
一度「眠り」の中に潜む怪物に襲われる経験をしてから、彼女にとってベッドは安らぎの場所ではなく、逃げ場のない「戦場」へと変わっていた。
条件付けられた恐怖反応と、呼吸器系の二次的パニック
【観察記録:深夜2時】
状態: 睡眠恐怖症(ヒプノフォビア)に起因するパニック発作。
症状: 入眠直前の予期不安に伴う過呼吸(過換気症候群)、および四肢の痺れ。
分析: 悪夢の記憶が「意識を失うこと=死、あるいは苦痛」と強固に結びついている。脳が生存本能として入眠を拒絶しており、眠ろうとする意志と身体の防衛本能が衝突し、呼吸中枢が暴走している状態。
「……は、ぁ、……ひゅ、……っ、……やだ、……こわい、……こないで……っ!」
サナは、オレンジの花柄シャツの胸元を、爪が食い込むほど強く掻きむしっていた。
浅く速い呼吸が繰り返されるたび、血中の二酸化炭素濃度が下がり、指先が冷たく硬直していく。白いパンツに包まれた脚をバタつかせ、彼女は暗闇の隅に追い詰められた小動物のように、大きく見開いた瞳で「何か」に怯えていた。
「サナ! 深く吸おうとするな、吐くんだ。……俺に合わせて、ゆっくり吐き出せ」
ククイは即座にサナを抱き起こし、自分の胸に彼女の背中をぴったりと預けた。
彼の広く厚い胸板を通して、規則正しく、そして力強い鼓動がサナに伝わる。
「……っ、……くる、し……。……ねむったら、……また、……あのお部屋に……っ!」
「行かせない。俺がその部屋のドアを全部ぶち破ってやる。……いいか、サナ。今は夢の中じゃない。俺の腕の中だ。この熱い体温が、本物の『今』だぞ」
ククイはサナの小さな手を自分の口元に導き、温かい吐息を吹きかけた。冷え切った彼女の指先に、現実の熱を直接刻み込むように。
「……は、ぁ……、……はか、せ……、……はな、さないで……」
「離すもんか。……サナ、いい提案がある。今夜は眠るのをやめよう。……俺と一緒に、朝が来るまでアローラの海の音を数えるんだ。眠るのが怖いなら、起きていればいい。俺がずっと、こうして君を抱えていてやるからな」
ククイはサナの背中を、波のリズムに合わせて大きく、ゆっくりと撫で下ろした。
『深刻な入眠障害と、それに伴う過換気状態を確認。
「眠らなければならない」という強迫観念がパニックを増幅させている。
主治医の役割は、今は治療としての睡眠を一旦放棄し、「起きていることの安全性」を保障することだ。
……彼女の呼吸が、少しずつ俺の心音に同調し始めた。
悪夢が彼女を連れ去ろうとするなら、俺はその悪夢よりも強く彼女を抱きしめる。
「眠るのが怖い」という彼女の恐怖が、「博士がいれば大丈夫だ」という安心に上書きされるまで。
俺は今夜、アローラの太陽が昇るまで彼女の意識の門番を務めよう。』
窓の外では、アローラの波音がゆったりと繰り返されていた。
サナは博士の胸に預けた頭から伝わる「生」の響きを感じながら、無理に目を閉じるのをやめ、彼と一緒に闇の向こう側を見つめ続けた。過呼吸の苦しさは消え、ただ博士の腕の温もりだけが、彼女をこの世界に繋ぎ止めていた。
一度「眠り」の中に潜む怪物に襲われる経験をしてから、彼女にとってベッドは安らぎの場所ではなく、逃げ場のない「戦場」へと変わっていた。
条件付けられた恐怖反応と、呼吸器系の二次的パニック
【観察記録:深夜2時】
状態: 睡眠恐怖症(ヒプノフォビア)に起因するパニック発作。
症状: 入眠直前の予期不安に伴う過呼吸(過換気症候群)、および四肢の痺れ。
分析: 悪夢の記憶が「意識を失うこと=死、あるいは苦痛」と強固に結びついている。脳が生存本能として入眠を拒絶しており、眠ろうとする意志と身体の防衛本能が衝突し、呼吸中枢が暴走している状態。
「……は、ぁ、……ひゅ、……っ、……やだ、……こわい、……こないで……っ!」
サナは、オレンジの花柄シャツの胸元を、爪が食い込むほど強く掻きむしっていた。
浅く速い呼吸が繰り返されるたび、血中の二酸化炭素濃度が下がり、指先が冷たく硬直していく。白いパンツに包まれた脚をバタつかせ、彼女は暗闇の隅に追い詰められた小動物のように、大きく見開いた瞳で「何か」に怯えていた。
「サナ! 深く吸おうとするな、吐くんだ。……俺に合わせて、ゆっくり吐き出せ」
ククイは即座にサナを抱き起こし、自分の胸に彼女の背中をぴったりと預けた。
彼の広く厚い胸板を通して、規則正しく、そして力強い鼓動がサナに伝わる。
「……っ、……くる、し……。……ねむったら、……また、……あのお部屋に……っ!」
「行かせない。俺がその部屋のドアを全部ぶち破ってやる。……いいか、サナ。今は夢の中じゃない。俺の腕の中だ。この熱い体温が、本物の『今』だぞ」
ククイはサナの小さな手を自分の口元に導き、温かい吐息を吹きかけた。冷え切った彼女の指先に、現実の熱を直接刻み込むように。
「……は、ぁ……、……はか、せ……、……はな、さないで……」
「離すもんか。……サナ、いい提案がある。今夜は眠るのをやめよう。……俺と一緒に、朝が来るまでアローラの海の音を数えるんだ。眠るのが怖いなら、起きていればいい。俺がずっと、こうして君を抱えていてやるからな」
ククイはサナの背中を、波のリズムに合わせて大きく、ゆっくりと撫で下ろした。
『深刻な入眠障害と、それに伴う過換気状態を確認。
「眠らなければならない」という強迫観念がパニックを増幅させている。
主治医の役割は、今は治療としての睡眠を一旦放棄し、「起きていることの安全性」を保障することだ。
……彼女の呼吸が、少しずつ俺の心音に同調し始めた。
悪夢が彼女を連れ去ろうとするなら、俺はその悪夢よりも強く彼女を抱きしめる。
「眠るのが怖い」という彼女の恐怖が、「博士がいれば大丈夫だ」という安心に上書きされるまで。
俺は今夜、アローラの太陽が昇るまで彼女の意識の門番を務めよう。』
窓の外では、アローラの波音がゆったりと繰り返されていた。
サナは博士の胸に預けた頭から伝わる「生」の響きを感じながら、無理に目を閉じるのをやめ、彼と一緒に闇の向こう側を見つめ続けた。過呼吸の苦しさは消え、ただ博士の腕の温もりだけが、彼女をこの世界に繋ぎ止めていた。