世界一優しい私の主治医

アローラの午後は、静かな波音と研究所の空調の音だけが響いていた。
ククイはデスクで熱心に論文を読みふけっているように見えたが、その神経は常に、背後のロフトで休んでいるサナの微かな気配へと向けられていた。

【観察記録:午後】

状態: 安定期における潜在的リスクの早期発見。

手法: 「ながら」動作による非言語情報の収集。

分析: 正面から「具合はどうだ」と問えば、彼女は必ず「大丈夫」と答えてしまう。そのため、視線を合わせず、日常の動作に紛れて彼女のバイタル(呼吸数、寝返りの頻度、発汗の有無)を解析することが、今の彼女には最も負担の少ない診察となる。

「サナ、ちょっと失礼するぞ。……コーヒーを淹れるついでに、窓の風通しを調整させてくれ」

ククイは椅子を立ち、あえてサナの顔を覗き込むようなことはせず、軽やかな足取りでロフトの窓際へ向かった。
窓の鍵を掛け直す振りをしながら、彼は斜め後ろからサナの様子を鋭く観察した。

胸元の上下運動――1分間に約18回。正常範囲内だが、わずかに浅いか。
布団から覗く足首の角度――弛緩しており、異常な筋緊張は見られない。
頬の紅潮具合――西日のせいか、それとも微熱の再燃か。

「……はかせ?」

サナが微睡みの中から、小さく声を上げた。

「あぁ、起こしてしまったか。すまないな。……ちょっとアブリーが迷い込んできそうでね、今のうちにガードを固めておこうと思ったんだ」

ククイは笑って、わざとらしく空中に指を立てた。その際、彼は「さりげなく」サナの枕元に置かれた水差しのメモリを確認した。午前中からほとんど減っていない。

「サナ、アローラの太陽は喉が渇くからな。……新しい冷たい水に替えておくぞ。ついでに、その手首の包帯も、少し蒸れていないか確認させてくれ。……あぁ、いい子だ。そのまま動かなくていい」

ククイは水のボトルを回収する一瞬の動作で、サナの手首に指を滑らせた。
触診時間はわずか2秒。だが、その2秒で彼は彼女の正確な脈拍と、皮膚の湿潤状態を完璧に把握した。

『「さりげなさ」を装った緊急性の評価を完了。
水分摂取量の低下と、皮膚の乾燥を確認。
明らかな発熱はないが、脱水の前兆が疑われる。
……彼女は俺が「ただ窓を閉めに来た」と信じて、安心したようにまた目を閉じた。
それでいい。主治医が血眼になって迫れば、患者は緊張し、本当の体調を隠してしまう。
俺が鼻歌を歌いながらコーヒーを淹れている間に、彼女の「異常」をすべて摘み取っておくこと。
それが、この平穏なアローラの午後を守り抜くための、俺なりの『バトルスタイル』だからな。』

キッチンから立ち上る、香ばしいコーヒーの匂い。
サナは、博士がただ忙しく動いているだけだと思い込み、彼が作ってくれた「何も起きていない日常」という名の安全圏の中で、再び心地よい眠りへと誘われていった。
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