世界一優しい私の主治医

アローラの昼下がり、研究所のロフトは逃げ場のない酸っぱい臭いと、サナの絶望的な喘ぎ声に支配されていた。
窓の外で揺れるヤシの木も、陽気な太陽も、今の彼女にとっては視界に入るだけで吐き気を煽る不快なノイズでしかなかった。

終わりのない逆流と、摩耗する肉体
【緊急カルテ:午後】

状態: 遷延性(せんえんせい)の劇烈な嘔吐、および脱水症状。

症状: 頻回な嘔吐、胃液・胆汁の吐出、腹筋の痙攣、および意識の朦朧。

分析: 感染症または薬剤性ストレスによる消化器系のパニック状態。胃内容物が消失した後も嘔吐反射が止まらず、身体が内側から裏返るような激しい負荷がかかっている。

「……っ、……げほっ、……う、……ぅぇ……っ!!」

サナはベッドの上で、シャツの胸元をはだけさせ、ククイが抱えるガーグルベースンに顔を埋めていた。
もう出すものなんて何もないはずなのに、胃は容赦なく収縮を繰り返し、苦い胆汁を絞り出す。脚は、激しい腹痛と吐き気の衝撃に耐えるように、ベッドのシーツを強く蹴り上げていた。

「……はか、せ……、……もう、……いやだ……っ。……止まって、……おねがい……」

サナの瞳は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、顔色は土色を通り越して白紙のように青ざめていた。
一瞬だけ落ち着いたかと思っても、喉の奥がヒクりと動けば、またすぐに絶望の波が襲ってくる。

「大丈夫だ、サナ。吐き出せ、全部出していい。俺が持っているからな」

ククイは、吐瀉物が付着するのも構わず、サナの細い身体を横向きに抱きかかえ、背中を大きく、力強くさすり続けた。
彼の白衣はすでに汚れ、サナの汗と涙で湿っている。けれど、その腕の力強さだけが、激しい嘔吐の嵐の中でサナを地上に繋ぎ止める唯一の錨(いかり)だった。

「……ごめ、なさ……、……汚しちゃっ、……ぅ、……ごほっ!!」

「気にするな! そんなことより呼吸だ。吐いた後に、小さく空気を吸い込め。……そうだ、上手だぞ」

ククイはサナの口元を濡れたタオルで拭い、素早く次のベースンと取り替える。
彼の脳内では、即座に点滴の準備と、電解質バランスの計算が火花を散らしていた。このままでは脱水で心臓に負担がかかる。一刻の猶予もなかった。

「……はかせ……、……わたし、……こわれちゃう……」

「壊させない。アローラの太陽が沈むまでには、必ずこの嵐を止めてやる。……サナ、俺を信じろ」

『重度の頻回嘔吐による緊急事態。
経口摂取は一切不能。早急に静脈ラインを確保し、水分および電解質の補給、強力な制吐剤の投与を開始する。
……胃液しか出なくなってもなお続く嘔吐は、見ていて胸が締め付けられるほど残酷だ。
彼女の小さな背中が、吐くたびにビクンと跳ねる。
その震えを止めてやれない無力感を、今は医学的な手際の良さでねじ伏せるしかない。
点滴の針を刺す一瞬、彼女が少しでも痛みを感じないよう、俺の温もりを全部その細い腕に注ぎ込む。』

窓の外では、残酷なほど美しい夕景が広がり始めていた。
サナは、点滴から流れ込む冷たい薬剤の感覚と、背中をさすり続ける博士の掌の熱の狭間で、遠のいていく意識を必死に保ちながら、嵐が過ぎ去るのを待っていた。
42/54ページ
スキ