世界一優しい私の主治医
アローラの午後は、陽光が研究所の床を黄金色に焼き、微睡みを誘うような穏やかな空気に満ちていた。
しかし、その穏やかさとは裏腹に、サナの状態はククイの観察眼に一つの懸念を抱かせていた。
抗えない重力と、意識の霧
【カルテ:午後】
状態: 顕著な嗜眠(しみん)傾向、および中枢性の疲弊。
症状: 断続的な傾眠、会話の途切れ、および軽度の失見当識。
分析: 前夜の激しい咳込みによる体力消耗、および代謝機能の低下に伴う、脳の自己防衛的な休息モード。
「サナ、少しお茶を飲もうか。……サナ?」
ククイが声をかけると、サナはシャツの胸元を小さく上下させ、ゆっくりと、本当に重たそうに瞼を押し上げた。
「……ん、……は、かせ……。……ごめんなさい、……また、ねてた……?」
「あぁ。ここ一時間で、三回は夢の中へ旅に出ていたな。……どうだ、どこか苦しいところはあるか?」
ククイはサナの隣に腰を下ろし、彼女の額にそっと触れた。熱はないが、肌はどこか湿っぽく、生命の火が小さく、内側へ内側へと閉じこもっているような感覚を受ける。
「……くるしく、ない……です。……ただ、……からだが、……すごく、とおくに……あるみたいで……」
サナの声は、水底から響いてくるようにぼんやりとしていた。脚は、布団の重みさえ感じていないかのように、微動だにしない。
「……ねむたくて、……ねむたくて……。……ずっと、……だれかに、ひっぱられてる、みたい……」
サナの瞳が、再びゆっくりと閉じていく。ククイは彼女の頬を指先で軽く叩き、意識をこちら側へ引き戻した。
「サナ、目を開けろ。寝てもいいが、今はまだ『あちら側』へ行く時間じゃない。……ほら、アローラの潮風を吸ってみろ」
ククイは窓を大きく開け、強い潮の香りと共に、生命力に満ちた午後の光を部屋に招き入れた。
「……ん、……しょっぱい……におい……」
「そうだ。……いいか、サナ。眠いのは、君の身体が今、必死に修理をしている最中だからだ。壊れた細胞を繋ぎ合わせて、新しい明日を作るために、エネルギーを全部そっちに回しているんだ」
ククイは、彼女の細い手首を取り、脈拍を確認する。少し遅いが、一拍一拍が必死に命を刻もうとする、粘り強いリズム。
「……わたし、……このまま、……おきられなく、なっちゃうの……?」
不安が混じったサナの問いに、ククイは彼女を安心させるように、わざと快活に笑ってみせた。
「そんなことはさせない。俺がこれだけ大きな声で話しているんだ、寝過ごすわけにはいかないだろう? ……一眠りして、体力が溜まったら、また図鑑の続きを読もうな」
『一日を通した嗜眠傾向を確認。
身体的なバイタルは低空飛行ながら安定しているが、意識レベルの低下は、生命維持装置としての脳の限界を示唆している。
今は無理に起こし続けるのではなく、質の高い休息を優先すべきだが、それが「永遠の眠り」に繋がらないよう、定期的な刺激と声掛けが不可欠。
彼女が眠る間、俺は彼女の指先を握り続ける。
握る力の微かな変化が、彼女がまだこの世界に留まっているという、俺にとっての唯一の証明だからだ。』
窓の外では、アローラの太陽がゆっくりと傾き始めていた。
サナは博士の手を握り返そうとしたが、その力さえ及ばず、深い、深い眠りの淵へと、再びゆっくりと沈んでいった。
しかし、その穏やかさとは裏腹に、サナの状態はククイの観察眼に一つの懸念を抱かせていた。
抗えない重力と、意識の霧
【カルテ:午後】
状態: 顕著な嗜眠(しみん)傾向、および中枢性の疲弊。
症状: 断続的な傾眠、会話の途切れ、および軽度の失見当識。
分析: 前夜の激しい咳込みによる体力消耗、および代謝機能の低下に伴う、脳の自己防衛的な休息モード。
「サナ、少しお茶を飲もうか。……サナ?」
ククイが声をかけると、サナはシャツの胸元を小さく上下させ、ゆっくりと、本当に重たそうに瞼を押し上げた。
「……ん、……は、かせ……。……ごめんなさい、……また、ねてた……?」
「あぁ。ここ一時間で、三回は夢の中へ旅に出ていたな。……どうだ、どこか苦しいところはあるか?」
ククイはサナの隣に腰を下ろし、彼女の額にそっと触れた。熱はないが、肌はどこか湿っぽく、生命の火が小さく、内側へ内側へと閉じこもっているような感覚を受ける。
「……くるしく、ない……です。……ただ、……からだが、……すごく、とおくに……あるみたいで……」
サナの声は、水底から響いてくるようにぼんやりとしていた。脚は、布団の重みさえ感じていないかのように、微動だにしない。
「……ねむたくて、……ねむたくて……。……ずっと、……だれかに、ひっぱられてる、みたい……」
サナの瞳が、再びゆっくりと閉じていく。ククイは彼女の頬を指先で軽く叩き、意識をこちら側へ引き戻した。
「サナ、目を開けろ。寝てもいいが、今はまだ『あちら側』へ行く時間じゃない。……ほら、アローラの潮風を吸ってみろ」
ククイは窓を大きく開け、強い潮の香りと共に、生命力に満ちた午後の光を部屋に招き入れた。
「……ん、……しょっぱい……におい……」
「そうだ。……いいか、サナ。眠いのは、君の身体が今、必死に修理をしている最中だからだ。壊れた細胞を繋ぎ合わせて、新しい明日を作るために、エネルギーを全部そっちに回しているんだ」
ククイは、彼女の細い手首を取り、脈拍を確認する。少し遅いが、一拍一拍が必死に命を刻もうとする、粘り強いリズム。
「……わたし、……このまま、……おきられなく、なっちゃうの……?」
不安が混じったサナの問いに、ククイは彼女を安心させるように、わざと快活に笑ってみせた。
「そんなことはさせない。俺がこれだけ大きな声で話しているんだ、寝過ごすわけにはいかないだろう? ……一眠りして、体力が溜まったら、また図鑑の続きを読もうな」
『一日を通した嗜眠傾向を確認。
身体的なバイタルは低空飛行ながら安定しているが、意識レベルの低下は、生命維持装置としての脳の限界を示唆している。
今は無理に起こし続けるのではなく、質の高い休息を優先すべきだが、それが「永遠の眠り」に繋がらないよう、定期的な刺激と声掛けが不可欠。
彼女が眠る間、俺は彼女の指先を握り続ける。
握る力の微かな変化が、彼女がまだこの世界に留まっているという、俺にとっての唯一の証明だからだ。』
窓の外では、アローラの太陽がゆっくりと傾き始めていた。
サナは博士の手を握り返そうとしたが、その力さえ及ばず、深い、深い眠りの淵へと、再びゆっくりと沈んでいった。