世界一優しい私の主治医

【カルテ:翌朝】

状態: 熱せん妄からの回復期。全身の激しい筋肉痛と倦怠感。

症状: 軽度の記憶混濁、および「海」に対する執着の残存。

観察: 主治医に対する、申し訳なさと恐怖が混ざったような視線。

「……はかせ。……わたし、……また、……いけないこと、しましたか……?」

サナの声は、ひび割れた貝殻のように掠れていた。
ククイは、彼女の額に貼った冷却シートを取り替えながら、努めて明るい、いつもの「ククイ博士」としての笑顔を見せた。

「いけないことなんて、何一つしていないぞ。アローラの海が、君を誘いに来ただけだ。……少し、遊びたくなっちゃったんだよな?」

「……おぼえてるんです。……お水が、キラキラしてて、……はかせが、……とっても、こわい顔して……」

サナの瞳に、うっすらと涙が溜まった。
博士が自分を助けるために、どれほど必死に夜の海へ飛び込んできたか。その時に見た、彼の悲痛な表情が、熱が引くと同時に胸に突き刺さっていた。

「……ごめんなさい、……はかせ。……わたし、……あっちに、……いこうと、したのかも……」

「……サナ」

ククイは、サナの震える小さな手を、自分の大きな掌で力強く包み込んだ。
「あっち」とは、死のことか、あるいは苦しみのない幻の世界のことか。どちらにせよ、彼女がこの現実の身体を脱ぎ捨てようとした事実に、ククイの心は抉られるような痛みを覚えていた。

「いいか、サナ。……君が泳ぎたいなら、俺が背負ってでも海へ連れて行く。……でも、それは『今日』じゃないし、『夜』でもない。……君がちゃんと、アローラの太陽の下で、俺の顔を見て笑える時だ」

「……はかせの、……おかお……?」

「あぁ。俺の顔が見えないくらい遠くへは、絶対に行かせない。……約束だ、サナ。君を自由にするのは、死でも病気でもない。……俺と一緒に過ごす、このアローラの時間なんだ」

ククイはサナの額を、自分の広い額にそっと合わせた。
まだ高い熱の余韻が伝わってくるが、そこには確かに、生きたいと願う彼女の鼓動が重なっていた。

『熱せん妄からの離脱を確認。
しかし、心身の消耗は激しく、心機能への影響が懸念される。
身体的な治療と並行し、彼女の「自由への欲求」を、破滅的な形ではなく、前向きなリハビリのエネルギーへと転換させるメンタルケアが必要。
……昨夜、彼女を抱きとめた時の、あの折れそうなほど細い肩の感触が、まだ手の平に残っている。
彼女が海を夢見るのはいい。だが、その海の隣には、必ず俺が立っていなければならない。』

窓の外では、昨夜の嵐のような熱気を洗い流した、澄み渡るアローラの青空が広がっていた。
サナは、博士の白衣の匂いを深く吸い込み、昨夜見失いかけた「自分の場所」が、この暖かい腕の中にあることを、改めて心に刻み込んでいた。
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