世界一優しい私の主治医
アローラの昼下がり、研究所のテーブルには、ククイが腕によりをかけて作った、柔らかい白身魚のリゾットが並んでいた。
出汁の優しい香りがロフトまで漂ってくるが、サナはシャツの胸元をぎゅっと握りしめたまま、配膳されたトレイをただ、怯えた目で見つめていた。
【カルテ:昼】
状態: 摂食障害的症状(嘔吐恐怖症の併発)。
症状: 嚥下(えんげ)困難、および食事に対する強い予期不安。
分析: 前回の激しい嘔吐の記憶がフラッシュバックし、「食べる=苦痛」という回路が形成されている。
「……サナ。一口だけでいい。俺がずっと背中を支えているから、試してみないか?」
ククイは、サナの隣に座り、スプーンですくい上げたリゾットをゆっくりと彼女の唇に近づけた。けれど、サナは白いパンツの膝の上で両手を震わせ、首を横に振った。
「……だめ、です……。……食べたら、……また、あんなふうに、……ぜんぶ、出ちゃう気がして……。……くるしいのが、……こわいの……っ」
サナの瞳に、涙が溜まっていく。
お腹は空いているはずなのに、喉の奥が石のように硬く閉ざされて、何も受け付けようとしない。食べなければ治らないと分かっていても、あの内臓を引き裂かれるような苦しみが、彼女の理性を塗りつぶしていた。
「……はかせ、……ごめんなさい。……せっかく、作ってくれたのに……。……私、……最低だ……」
「最低なもんか。……怖いのは、君が一生懸命、自分の命を守ろうとしている証拠だ。……脳が『これ以上苦しみたくない』って、アラームを鳴らしているだけなんだぞ」
ククイは無理に食べさせるのを止め、スプーンを皿に戻した。
そして、冷え切ったサナの両手を、自分の大きな掌でそっと包み込む。
「……サナ。今日は、食べるのをやめよう。……その代わり、このスープをひと舐めだけ、俺の指から受けてくれないか」
ククイはリゾットの汁を指先に少しだけつけ、サナの唇に触れた。
「……味がする。……あったかい……」
「あぁ。今はこれで十分だ。……飲み込まなくていい。アローラの恵みが、君の舌に触れた。それだけで、今日の君の勝利だ」
ククイは、彼女が「食べられなかった」という失敗体験を、「少しだけ触れられた」という成功体験に、その場で書き換えていく。
『深刻な予期不安による摂食拒否を確認。
無理な経口摂取の強要は、更なる拒絶とパニックを招く危険がある。
栄養管理は点滴による補給をメインとし、経口については「味を楽しむ」程度の超低負荷から再開する。
彼女が食事を「爆弾」ではなく「味方」だと思えるようになるまで、俺は何度でも、一滴のスープから寄り添い続ける。』
窓の外では、アローラの太陽がキラキラと海を照らし、生命のサイクルを回し続けていた。
サナは博士の指先から伝わる温もりに、凍りついていた喉の奥が、ほんの少しだけ解けていくのを感じた。
出汁の優しい香りがロフトまで漂ってくるが、サナはシャツの胸元をぎゅっと握りしめたまま、配膳されたトレイをただ、怯えた目で見つめていた。
【カルテ:昼】
状態: 摂食障害的症状(嘔吐恐怖症の併発)。
症状: 嚥下(えんげ)困難、および食事に対する強い予期不安。
分析: 前回の激しい嘔吐の記憶がフラッシュバックし、「食べる=苦痛」という回路が形成されている。
「……サナ。一口だけでいい。俺がずっと背中を支えているから、試してみないか?」
ククイは、サナの隣に座り、スプーンですくい上げたリゾットをゆっくりと彼女の唇に近づけた。けれど、サナは白いパンツの膝の上で両手を震わせ、首を横に振った。
「……だめ、です……。……食べたら、……また、あんなふうに、……ぜんぶ、出ちゃう気がして……。……くるしいのが、……こわいの……っ」
サナの瞳に、涙が溜まっていく。
お腹は空いているはずなのに、喉の奥が石のように硬く閉ざされて、何も受け付けようとしない。食べなければ治らないと分かっていても、あの内臓を引き裂かれるような苦しみが、彼女の理性を塗りつぶしていた。
「……はかせ、……ごめんなさい。……せっかく、作ってくれたのに……。……私、……最低だ……」
「最低なもんか。……怖いのは、君が一生懸命、自分の命を守ろうとしている証拠だ。……脳が『これ以上苦しみたくない』って、アラームを鳴らしているだけなんだぞ」
ククイは無理に食べさせるのを止め、スプーンを皿に戻した。
そして、冷え切ったサナの両手を、自分の大きな掌でそっと包み込む。
「……サナ。今日は、食べるのをやめよう。……その代わり、このスープをひと舐めだけ、俺の指から受けてくれないか」
ククイはリゾットの汁を指先に少しだけつけ、サナの唇に触れた。
「……味がする。……あったかい……」
「あぁ。今はこれで十分だ。……飲み込まなくていい。アローラの恵みが、君の舌に触れた。それだけで、今日の君の勝利だ」
ククイは、彼女が「食べられなかった」という失敗体験を、「少しだけ触れられた」という成功体験に、その場で書き換えていく。
『深刻な予期不安による摂食拒否を確認。
無理な経口摂取の強要は、更なる拒絶とパニックを招く危険がある。
栄養管理は点滴による補給をメインとし、経口については「味を楽しむ」程度の超低負荷から再開する。
彼女が食事を「爆弾」ではなく「味方」だと思えるようになるまで、俺は何度でも、一滴のスープから寄り添い続ける。』
窓の外では、アローラの太陽がキラキラと海を照らし、生命のサイクルを回し続けていた。
サナは博士の指先から伝わる温もりに、凍りついていた喉の奥が、ほんの少しだけ解けていくのを感じた。