世界一優しい私の主治医
アローラの午後は、ねっとりと重い湿気に包まれていた。
サナはベッドの中で、シャツの襟元を何度も掴んでは離し、言葉にならない焦燥感に身をよじっていた。
どこかが激しく痛むわけではない。息が全くできないわけでもない。
けれど、全身の細胞がじわじわと砂に変わっていくような、あるいは冷たい鉛を飲み込んだような、正体のわからない「不快感」が彼女を蝕んでいた。
【緊急カルテ:夕刻】
状態: 多彩な不定愁訴、および言語化不能な苦痛によるパニック前状態。
症状: 視線の彷徨、微細な振戦(ふるえ)、浅い頻呼吸。
分析: 身体的疲弊が閾値を超え、脳が痛みの所在を特定できずに過剰警戒を起こしている状態。
「……っ、……は、……ぁ、……ん……っ」
サナは、白いパンツに包まれた足を力なくバタつかせた。
何かを訴えたい。けれど、それが「吐き気」なのか「しびれ」なのか、それとも「ただならぬ不安」なのか、自分でも全く判別がつかない。伝えられないもどかしさが、さらに彼女の呼吸を浅くさせていく。
「サナ、落ち着け。俺を見ろ」
階段を駆け上がってきたククイが、サナの肩をしっかりと抱き寄せた。
サナの瞳は恐怖に揺れ、助けを求めるようにククイの白衣を強く、爪が白くなるほど握りしめた。
「……はかせ、……わかん、ない……。……どこが、……どう、……くるしいのか……っ、……わからなくて……っ……!」
「いいんだ、言わなくていい。……自分の体なのに、コントロールがつかないのは怖いよな。……大丈夫だ、サナ。君が言えないことは、全部俺が今から見つけ出す」
ククイの声は、荒れ狂う海に打ち込まれた杭のように重厚で、揺るぎなかった。
彼はサナの冷え切った指先を片手で包み込みながら、もう片方の手で彼女の胸元、腹部、そして首筋の拍動を、流れるような手捌きで確認していく。
「……内臓の痛みじゃないな。……肺の音も、嵐の時よりはマシだ。……サナ、今君が感じているのは、電気が走りすぎたような『神経の疲れ』だ。……全部が一度に苦しく感じて、パニックを起こしているだけだぞ」
ククイはサナの耳元で、ゆっくり、ゆっくりと、自分の深い呼吸を聞かせた。
「……はかせが、……わかって、くれるなら……。……わたし、……いわなくても、……いいの……?」
「あぁ。君の体が俺に全部喋ってくれている。……『少し休ませてくれ』って、細胞が泣いてるんだ。……だから、君はもう、原因を探さなくていい。……俺がこの『不快感』のスイッチを、一つずつ切ってやるからな」
ククイはサナを優しく横たわらせ、神経の昂りを鎮めるためのマッサージを始めた。
『身体的症状の言語化不能に伴う、二次的な精神的パニックを確認。
「どこが悪いか分からない」という不安は、痛みそのものより患者を追い詰める。
主治医が「理解している」という姿勢を明確に示すことが、何よりの鎮静剤となる。
彼女の曖昧な苦しみを、医学的な輪郭に落とし込み、一つひとつ解体していく。
今夜は彼女の「沈黙」の中に潜む微かなサインを、一晩中読み解き続けることにする。』
窓の外では、アローラの夕闇が静かに降りてきていた。
サナは博士の大きな掌が触れる場所から、自分の体の輪郭が少しずつ整っていくのを感じ、ようやく深く、長い溜息をついて目を閉じた。
サナはベッドの中で、シャツの襟元を何度も掴んでは離し、言葉にならない焦燥感に身をよじっていた。
どこかが激しく痛むわけではない。息が全くできないわけでもない。
けれど、全身の細胞がじわじわと砂に変わっていくような、あるいは冷たい鉛を飲み込んだような、正体のわからない「不快感」が彼女を蝕んでいた。
【緊急カルテ:夕刻】
状態: 多彩な不定愁訴、および言語化不能な苦痛によるパニック前状態。
症状: 視線の彷徨、微細な振戦(ふるえ)、浅い頻呼吸。
分析: 身体的疲弊が閾値を超え、脳が痛みの所在を特定できずに過剰警戒を起こしている状態。
「……っ、……は、……ぁ、……ん……っ」
サナは、白いパンツに包まれた足を力なくバタつかせた。
何かを訴えたい。けれど、それが「吐き気」なのか「しびれ」なのか、それとも「ただならぬ不安」なのか、自分でも全く判別がつかない。伝えられないもどかしさが、さらに彼女の呼吸を浅くさせていく。
「サナ、落ち着け。俺を見ろ」
階段を駆け上がってきたククイが、サナの肩をしっかりと抱き寄せた。
サナの瞳は恐怖に揺れ、助けを求めるようにククイの白衣を強く、爪が白くなるほど握りしめた。
「……はかせ、……わかん、ない……。……どこが、……どう、……くるしいのか……っ、……わからなくて……っ……!」
「いいんだ、言わなくていい。……自分の体なのに、コントロールがつかないのは怖いよな。……大丈夫だ、サナ。君が言えないことは、全部俺が今から見つけ出す」
ククイの声は、荒れ狂う海に打ち込まれた杭のように重厚で、揺るぎなかった。
彼はサナの冷え切った指先を片手で包み込みながら、もう片方の手で彼女の胸元、腹部、そして首筋の拍動を、流れるような手捌きで確認していく。
「……内臓の痛みじゃないな。……肺の音も、嵐の時よりはマシだ。……サナ、今君が感じているのは、電気が走りすぎたような『神経の疲れ』だ。……全部が一度に苦しく感じて、パニックを起こしているだけだぞ」
ククイはサナの耳元で、ゆっくり、ゆっくりと、自分の深い呼吸を聞かせた。
「……はかせが、……わかって、くれるなら……。……わたし、……いわなくても、……いいの……?」
「あぁ。君の体が俺に全部喋ってくれている。……『少し休ませてくれ』って、細胞が泣いてるんだ。……だから、君はもう、原因を探さなくていい。……俺がこの『不快感』のスイッチを、一つずつ切ってやるからな」
ククイはサナを優しく横たわらせ、神経の昂りを鎮めるためのマッサージを始めた。
『身体的症状の言語化不能に伴う、二次的な精神的パニックを確認。
「どこが悪いか分からない」という不安は、痛みそのものより患者を追い詰める。
主治医が「理解している」という姿勢を明確に示すことが、何よりの鎮静剤となる。
彼女の曖昧な苦しみを、医学的な輪郭に落とし込み、一つひとつ解体していく。
今夜は彼女の「沈黙」の中に潜む微かなサインを、一晩中読み解き続けることにする。』
窓の外では、アローラの夕闇が静かに降りてきていた。
サナは博士の大きな掌が触れる場所から、自分の体の輪郭が少しずつ整っていくのを感じ、ようやく深く、長い溜息をついて目を閉じた。