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世界一優しい私の主治医

ポケモンスクールの教壇に立ちながら、ククイはポケットの中で微かに震える通信端末を握りしめていた。

研究所の外周に設置された防犯カメラ、そして野外調査用にウォーグルのハーネスへ取り付けてあった集音マイク。それらが拾い上げたノイズ混じりの音声が、イヤホンを通じて彼の鼓膜を揺らしていた。

『――博士の手も届かない、誰も私を見つけられない、水平線のずっと遠くへ……』

潮風の音に混じる、サナの消え入りそうな声。
その一言が耳に届いた瞬間、ククイは思考が真っ白になるほどの衝撃を受けた。

自分の未来を奪いたくないからと、惨めな姿を見せたくないからと、彼女は俺の目の届かない遠くへ消えようとしている。大好きな俺の思い出のままでいるために、死を選ぶのだと。

ククイはサングラスの奥で強く目を閉じ、湧き上がる激しい感情を噛み殺した。
授業を終えるや否や、彼は愛車に飛び乗り、風のように海岸線を走り抜けた。胸の奥が張り裂けそうなほど痛む。届かない場所へ行きたい? そんな悲しい逃避行を、俺が許すと思うか。

研究所へ飛び込むと、テラスにはウォーグルの大きな翼に包まれたまま、泣き疲れて眠ってしまったサナの姿があった。

「……よくサナを受け止めてくれたな、ウォーグル」

ククイが低く囁くと、ウォーグルは静かに翼を開き、申し訳なさそうに頭を下げた。
ククイはサナの華奢な身体をそっと抱き上げた。羽のように軽い。こんなにも儚く、頼りない命が、一人でどれほどの恐怖と絶望を抱え込んでいたのだろう。

そのままロフトのベッドへ運び、毛布を掛ける。
やがて、体温を感じ取ったのか、サナがうっすらと目を開けた。

「……ん……、はか……せ……?」

「ああ、俺だぜ。……ただいま、サナ」

ククイはベッドの脇に腰掛け、逃がさないようにサナの小さな手を両手で包み込んだ。
彼の表情があまりにも真剣で、どこか傷ついたようだったことに、サナは小さく息を呑んだ。

「博士……どうかしたの? なんだか、悲しそうな顔……」

「サナ。……ウォーグルとの約束の件だがな」

「え……っ!?」

サナの顔から一瞬で血の気が引いた。なぜ、誰もいないテラスでの『秘密』を博士が知っているのか。

「防犯カメラと、ウォーグルのマイクだ。……盗み聞きするつもりはなかったが、全部聞こえてたぜ」

「あっ……あ、違うの、博士、これは……ッ!」

パニックになり、震える手で顔を覆おうとするサナ。見られたくなかった、一番知られたくなかった自分の醜い本心。
しかし、ククイはその手を優しく、けれど強く引き寄せて阻止した。

「俺の手も届かない水平線の向こう…だったな」

ククイはそう呟くと、サナの身体を壊れものを扱うように、けれど力強く抱き寄せた。彼の逞しい腕が、逃げ場を塞ぐように彼女を包み込む。

「甘く見るなよ、サナ。俺の手をなんだと思ってるんだ」

耳元で響くククイの声は、低く、熱を帯びて震えていた。

「水平線の向こうだろうが、世界の果てだろうが、地球の裏側だろうがな……俺の手は、どこまでだって伸びるんだぜ。君がどれだけ遠くへ逃げようとしたって、俺が絶対に捕まえてやる」

「……はか、せ……っ、だって私……惨めな姿で、ただ死を待つだけなんて……そんなの、嫌……っ」

「ただ死を待つなんて絶対にさせない! どんな姿になろうが、呼吸をしているだけで、君が生きているだけで俺は嬉しいんだ。思い出の中で綺麗なまま消えようなんて、そんな悲しい我儘、絶対に認めない」

サナの肩に、ぽつりと熱いものがこぼれ落ちた。
ククイの涙だった。いつでも太陽のように笑っていた彼が、サナのために泣いていた。

「お願いだから……俺から逃げるなんて言わないでくれ。惨めだっていい、泥臭くだっていい。俺の腕の中で、生きてくれ……サナ」

「…っ、博士……っ、ごめんなさい……!」

サナはククイの背中に細い腕を回し、彼の白衣を握りしめて声を上げて泣いた。
どこへも行けない。この温かい腕がある限り、自分はどこへも逃げ出せないのだと知りながら、サナの心は救われたような温かさで満たされていった。

テラスからは、二人を見守るように、ウォーグルの力強い羽ばたきの音が響いていた。
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