世界一優しい私の主治医

温かいハーブティーの湯気が、ふたりの間の静寂を優しく包み込んでいく。

マグカップを包むサナの手から、ほんの少しずつ張りが抜けていくのを、ククイは見逃さなかった。引き出しの奥に仕舞い込まれた「その本」は、もう二度と彼女の視界を遮ることはない。

「……ねぇ、博士」

一口、また一口とハーブティーを飲み進めていたサナが、ふとカップを見つめたまま呟いた。

「なにかな、サナ」

「私……さっきの本を読んで、本当はすごく怖かったの。主人公の人がね、自分の運命を静かに受け入れて、周りの人たちに『ありがとう』って言いながら消えていくの。みんなはそれを『綺麗な終わり方』だって思うのかもしれないけれど……私には、ただ諦めたように見えちゃって」

サナは膝の上のブランケットに、少しだけ力を込めた。

「私、あんな風に綺麗に諦められないよ……。苦しいのも、痛いのも嫌だけど……やっぱり、博士と一緒にアローラの海を見に行きたいし、スクールのみんなと笑いたい。諦めて物分けの良い子になるなんて、私にはできないの……っ」

ぽろぽろと零れ落ちる涙が、ハーブティーの表面に小さな波紋を作る。
物語の主人公のように悟ることもできず、ただ生にしがみつきたいと思ってしまう自分の泥臭さを、恥じるかのようにサナは身を縮めた。

しかし、ククイの口から出たのは、思いもよらない一言だった。

「――最高じゃないか」

「……え?」

涙で潤んだ瞳を上げると、そこにはサングラスを少し下げ、力強い眼差しで自分を見つめるククイの姿があった。

「綺麗な終わり方? 静かな受け入れ? そんなものは、物語の中だけで十分だぜ。サナ、君が『諦めたくない』って泣いてくれたこと、俺は死ぬほど嬉しい」

ククイはサナの手からそっとマグカップを受け取り、サイドテーブルへ置くと、そのまま彼女の小さく震える両手を力強く握りしめた。

「生きたいと願うことは、泥臭くて、カッコ悪くて、時にすごく立ち回りづらいものだ。でもな、その『あがき』こそが、人間が持っている一番強大なパワーなんだぜ。アローラの Zリングだって、生への全力を叩きつけるからこそ輝くんだ」

ククイの手のひらから伝わってくるのは、圧倒的な生命の熱量だ。サナの冷え切っていた心根に、その熱がじんわりと注ぎ込まれていく。

「諦めて綺麗に消えていくヒロインなんて、うちには必要ない。泥を跳ね返してでも、鼻水を垂らしてでも、俺の手をぎゅっと掴んで離さないサナが居てくれなきゃ困るんだ」

「は、鼻水なんて垂らしてないです……っ」

「ははっ、例え話だ! でもな、それくらいサナには『生』に貪欲でいてほしいんだよ。君が諦めない限り、俺は何百回でも、何千回でも、君の夜を突き破って朝を連れてくる」

ククイは握った手に、さらにキュッと力を込めた。

「だから約束しろ。もしまた余計な本を読んで気分が沈んだり、未来が怖くなったら、綺麗な答えを探そうとせずに俺に叫べ。『生きたい』ってな」

サナはククイの手を押し返すように握り返し、彼の胸へと飛び込んだ。
白衣にしがみつき、声を上げて泣くサナの背中を、ククイは大きな掌で何度も、何度も優しく撫で続けた。

物語の中の悲劇の主人公には、絶対にならせない。
どれだけ不格好でもいい、どれだけ泥に塗れてもいい。この腕の中にある愛おしい命を、太陽の待つ世界へ引っ張り上げること――それが、ククイ博士という男の、譲れない誓いだった。
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