世界一優しい私の主治医
少し体調が良い日に、スクールの図書館で借りてきた一冊の文庫本。
サナはベッドの上でそのページを閉じ、そっとサイドテーブルの上に置いた。
表紙に描かれた静かな挿絵を見つめる彼女の瞳には、重い陰りが差している。
物語は、長く苦しい闘病生活の末にホスピスへ移り、そこで静かに残り少ない時間を過ごす主人公の姿を描いたものだった。
自分と同じ「病気」と闘う誰かの話。
何か救いがあるのかもしれない、自分と重なる部分があるのかもしれない――そう思って手に取った本だったが、読み終えたサナの胸に残ったのは、ただ冷たく重い疲労感だけだった。
「……ふぅ、」
深く吐き出した息に混ざる微かな溜息を、ドアを開けて入ってきたククイは見逃さなかった。
手には温かいハーブティーの入ったマグカップを持っている。
「サナ、どうした? 難しそうな顔をして……おや、本を読み終えたのかい」
ククイはベッド脇の椅子に腰掛け、マグカップをサイドテーブルに置くと、彼女の表情を覗き込んだ。
「……うん。スクールの図書館で借りてきたの。闘病生活を送ったあとに、ホスピスで残り少ない時間を過ごす女の人の話……」
サナは膝の上でブランケットをぎゅっと握りしめた。
「私と似た境遇だったから、読んでみたんだけど……なんだか、読んでたらすごく疲れてあちゃった。ただ気分が沈むというか……心が重くなっちゃって……」
「……そうか」
ククイは否定も肯定もせず、ただ静かにサナの言葉を受け止めた。
主人公が静かに運命を受け入れていく描写は、世間一般では「美しい物語」として評価されるのかもしれない。けれど、今まさに病と戦い、生きたいと願っているサナにとって、その物語はあまりにもリアルで、あまりにも救いのない「予言」のように響いてしまったのだろう。
ククイは本を手に取ると、その表紙を撫で、ゆっくりと口を開いた。
「サナ、本っていうのはな、今の自分に必要なエネルギーをくれるものを選ぶのが一番なんだ。どんなに素晴らしい名作って言われる本でも、今の自分の心を削ってしまうなら、無理して読む必要なんてどこにもないんだぜ」
「……でも、これが私の『これから』なのかなって、考えちゃって……」
俯くサナの頭に、ククイは大きな掌をそっと重ねた。
「違うぞ。誰かが書いたフィクションの結末が、君の未来になるわけじゃない。ストーリーの結末を決めるのは本の著者だが、サナの人生の結末を決めるのはサナ自身だ。……それに、その本には俺みたいな『しつこくて頼もしい主治医』は出てこなかっただろ?」
「……ふふ、うん。出てこなかった」
「だろ? だからその本と君の現実は、まったく別の物語なんだ」
ククイはニッと白歯を見せて笑うと、本をサナの視界から隠すように引き出しの奥へ仕舞い込んだ。
「気分が沈むような本は、一度おしまいにしよう。次はもっとワクワクする本……そうだな、アローラの伝説のポケモンが大暴れする大冒険の物語でも、俺が図書館で探してきてやる。疲れた心には、スカッとする冒険譚が一番効くんだぜ」
「……ありがとう、博士」
胸の奥を塞いでいた暗い雲が、ククイの明るい声に押されて少しずつ晴れていく。
サナは差し出されたハーブティーを両手で受け取り、ゆっくりと一口含んだ。温かな香りが広がると同時に、彼女の顔にようやく小さな笑顔が戻っていた。
サナはベッドの上でそのページを閉じ、そっとサイドテーブルの上に置いた。
表紙に描かれた静かな挿絵を見つめる彼女の瞳には、重い陰りが差している。
物語は、長く苦しい闘病生活の末にホスピスへ移り、そこで静かに残り少ない時間を過ごす主人公の姿を描いたものだった。
自分と同じ「病気」と闘う誰かの話。
何か救いがあるのかもしれない、自分と重なる部分があるのかもしれない――そう思って手に取った本だったが、読み終えたサナの胸に残ったのは、ただ冷たく重い疲労感だけだった。
「……ふぅ、」
深く吐き出した息に混ざる微かな溜息を、ドアを開けて入ってきたククイは見逃さなかった。
手には温かいハーブティーの入ったマグカップを持っている。
「サナ、どうした? 難しそうな顔をして……おや、本を読み終えたのかい」
ククイはベッド脇の椅子に腰掛け、マグカップをサイドテーブルに置くと、彼女の表情を覗き込んだ。
「……うん。スクールの図書館で借りてきたの。闘病生活を送ったあとに、ホスピスで残り少ない時間を過ごす女の人の話……」
サナは膝の上でブランケットをぎゅっと握りしめた。
「私と似た境遇だったから、読んでみたんだけど……なんだか、読んでたらすごく疲れてあちゃった。ただ気分が沈むというか……心が重くなっちゃって……」
「……そうか」
ククイは否定も肯定もせず、ただ静かにサナの言葉を受け止めた。
主人公が静かに運命を受け入れていく描写は、世間一般では「美しい物語」として評価されるのかもしれない。けれど、今まさに病と戦い、生きたいと願っているサナにとって、その物語はあまりにもリアルで、あまりにも救いのない「予言」のように響いてしまったのだろう。
ククイは本を手に取ると、その表紙を撫で、ゆっくりと口を開いた。
「サナ、本っていうのはな、今の自分に必要なエネルギーをくれるものを選ぶのが一番なんだ。どんなに素晴らしい名作って言われる本でも、今の自分の心を削ってしまうなら、無理して読む必要なんてどこにもないんだぜ」
「……でも、これが私の『これから』なのかなって、考えちゃって……」
俯くサナの頭に、ククイは大きな掌をそっと重ねた。
「違うぞ。誰かが書いたフィクションの結末が、君の未来になるわけじゃない。ストーリーの結末を決めるのは本の著者だが、サナの人生の結末を決めるのはサナ自身だ。……それに、その本には俺みたいな『しつこくて頼もしい主治医』は出てこなかっただろ?」
「……ふふ、うん。出てこなかった」
「だろ? だからその本と君の現実は、まったく別の物語なんだ」
ククイはニッと白歯を見せて笑うと、本をサナの視界から隠すように引き出しの奥へ仕舞い込んだ。
「気分が沈むような本は、一度おしまいにしよう。次はもっとワクワクする本……そうだな、アローラの伝説のポケモンが大暴れする大冒険の物語でも、俺が図書館で探してきてやる。疲れた心には、スカッとする冒険譚が一番効くんだぜ」
「……ありがとう、博士」
胸の奥を塞いでいた暗い雲が、ククイの明るい声に押されて少しずつ晴れていく。
サナは差し出されたハーブティーを両手で受け取り、ゆっくりと一口含んだ。温かな香りが広がると同時に、彼女の顔にようやく小さな笑顔が戻っていた。