博士と研究


「はい、やっぱり今日も無理そうで…先生には申し訳ないんですが、クラスをお願いします…」
最後にもう一度謝罪をして電話を切る。
スマホをマナーモードにすると忍足で彼女が眠る自室へと戻る。
静かに扉を開けると、ベッドの上でぜえぜえと息をするサナの姿があった。
病弱で体調に波がある彼女だが、ここ何日かは特に調子が悪そうだ。普段なら熱があろうとも登校したがるのに、そんな気力もないようで、昨日から学校を休んでいるのだ。それはクラスの担任を引き受けている俺にも無関係ではない話で、彼女の看病をするため、同様に学校を休んでいる。療養が目的でアローラ地方へやって来た彼女を引き受けていることは学校側も承知しているはずだが、それでも担任としての責任もあるため最低限の連絡をしていた訳だ。
それにしても……。
「さすがに心配だな」
俺はベッド脇にある椅子に腰掛けると、苦しげに呼吸を繰り返す少女を見つめた。
彼女は昨日からずっとこんな様子なのだ。
顔色は悪く、頬も紅潮したままだし、時折ひどく咳き込んでいる。
彼女の前髪をかきあげてやると、汗ばんだ額に触れる。まだ高いようだ。
「……んっ……」
冷たい手が心地よかったのか、彼女は小さく声を上げるとゆっくりと目を開いた。
ぼんやりとした表情を浮かべていたが俺の姿を捉えると柔らかく微笑む。
「起こしてしまったかい?ごめんな」
「ううん……大丈夫です」
そう言うものの、やはり辛そうな彼女に俺はタオルを手に取るとそっと額の汗を拭ってやる。
腫れぼったく潤んだ瞳からは熱の高さが窺えた。
「サナ、辛いとは思うが血液検査をしてもいいかい?念のために調べたいんだ」
「はい、いいですよ」
彼女がこくりと首肯したのを確認して、枕元に置いてある鞄から採血セットを取り出した。手早く注射器を用意すると、消毒液に浸した綿球で彼女の腕を擦り上げた後、静脈を探し出すと針を突き刺して採血をした。
ここ連日の発熱、解熱剤を飲んでも一向に熱が下がらないところを見ると一度精密検査を受けた方がいいかもしれない。
俺は採血を終えると、階下の研究室へと向かった。
✴︎✴︎✴︎
結果は予想していた通りだった。
ここに来る時、カントーで入院生活を強いられていた時よりも少しばかり数値が悪くなっているのだ。 
「一体、どうすれば…」
少しずつだが順調に回復の兆しを辿っていただけにこの結果はかなり堪えた。
このままではサナの命に関わる。
しかし、どうしたらいいというのだ。
原因すら分からないのに治療などできるはずがないじゃないか!
「せめて……何か手がかりがあれば……」
焦燥感に駆られながら研究所内をあてもなく彷徨うも、答えが見つかるはずもない。
考えろ…俺は博士である前にあの子の主治医なんだぞ…!! 必死になって思考を回転させるも何も浮かんでこない。
不甲斐ない自分に苛立ちを覚え始めた頃だった。
「まさか…」
不意に頭によぎった可能性に思わず呟いていた。
「いや、でも…そんな、嘘だろ…」
にわかには信じられなかった。
「もしも……その仮説が正しいとすれば……」
俺は踵を返すと再び血液検査の結果へ目を通す。明日も明後日も熱が続くのならばこの検査結果を元に治療法を確立させなくてはならない。一刻を争う事態なのだ。
だが、もし仮に俺の考えが正しかったとするなら……。
「どこまで彼女は苦しめばいいんだ…!!」
怒りとも悲しみともつかない感情に震える拳を強く握りしめた。
***
「はかせ…くすり、多くなった…?」
食後、水の入ったコップを片手にサナが不安そうに尋ねてくる。
「ああ、ちょっとね」
俺は曖昧に言葉を濁すと、彼女に気づかれないように小さく嘆息する。
流石にこれ以上隠しておくことはできないだろう。
「サナ、君に言わなくちゃいけないことがあるんだ」
意を決して切り出した言葉に彼女の表情が強張るのが分かった。
「実は、君の熱の原因がわかったんだ…ただ、まだ確証はない。もしかしたらただの体調不良なのかもしれないし、あまり深刻に考えなくていいのかもしれない。でも、君の体力にも限界がある。だから今のうちに治療を始めたいんだ」
黙ってこちらを見つめている彼女の瞳が僅かに揺れた気がした。
俺は出来るだけ優しく微笑みかけると、ゆっくりと口を開く。
「…新しく病気が併発した恐れがあるんだ」告げられた言葉に彼女は一瞬息を呑んだようだったが、すぐに力無く首を横に振った。
「ううん、だいじょうぶだよ、いまさら一つや二つ増えても変わらない、よ」
そう言って笑おうとするも、上手くいかないのか途中で咳き込んでしまう。
慌てて背中をさすってやると、彼女はしばらく苦しげに呼吸を繰り返した後、弱々しく微笑んだ。
「言い辛かったですよね…でも、私なら平気…だから、気にしないでください。ククイ博士は何も悪くありませんから……」
「サナ……」
彼女はまだ十歳の少女なのだ。
それなのに自分のことより他人を優先して気遣えるなんて……。
鼻の奥がツンと痛くなるのを感じて、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「ありがとう、サナ」
礼を言うと、彼女の頭を撫でてやる。
例え俺のせいじゃないとしても、普通なら誰かに責任を押し付けたくなるものだ。
けれど、彼女はそんな素振りを一切見せず、俺のことを責めようともしなかった。
「本当に君は強い子だな……」
俺は溢れそうになる涙を誤魔化すために、もう一度サナの小さな身体を抱き寄せると、そっと囁いた。
「……必ず、治してみせる」
「…………はい」
彼女の小さな手が俺の服の裾をぎゅっと掴むのを感じた。
それは唯一彼女が見せた不安の表れだったのかもしれない。
俺は彼女の不安を少しでも和らげるため、そっと抱き寄せたまま髪を撫で続けた。
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