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博士と研究

シン、と静まり返った保健室にサナの小さな呼吸だけが響いている。
ククイは教室から取ってきた荷物を椅子に置いてやるとベッド脇に座り込んで彼女の顔を覗き込んだ。
アローラ地方へ療養児として留学に来ている彼女がこうして学校で倒れることも珍しくはなかった。その度にククイはこうやって様子を見てやるのだが、生気のないやつれた頬を見ていると胸が痛くなる。
「……はか、せ?」
うっすらと目を開いたサナが弱々しい声をあげた。
「あぁ、そうだ。俺だ」
「ん……ここ、保健室…?そ、か…また……私…」
ここに運ばれるまでのことを思い出したのだろう。サナは眉根を寄せて苦しそうに表情を歪めた。
「大丈夫か?」
「はい……。あの、授業は?」
自身のことよりも学業を気にする彼女にため息をつく。そうだ、この子はこういう子だった。
「…もう放課後だよ。君は今日一日ずっと寝ていたんだ」
「そう、ですか………はぁ、今日こそはイけると思ったのに…」
そんなに不健康そうな顔色をしておいて何を言うのか。思わず苦笑すると彼女はムッとしたように唇を尖らせた。
「ははっ、拗ねるなよ。……まあいいか。ほら、起きられるか?」
ククイの言葉にこくりと小さく首を縦に振って体を起こすサナ。その背中をさりげなく支えてやりながら手のひらに彼女の生命力を感じ取る。いつ触っても薄い体だ。
「…ふぅ、……ふぅ…」
起き上がるだけで精一杯なのか、額に少量の汗を浮かべ肩で息をしている。その姿は疲労困憊という言葉が当てはまった。
「よく頑張ったな、偉いぞ。早く研究所に帰って休もうな。……ほら、つかまれ」
手を差し出すと素直に掴んできた小さな手を優しく握る。そのまま立ち上がらせるとフラついた彼女を横抱きにしてやった。
青白く痩せ細った体は驚くほど軽い。このままふわふわと何処かへ飛んで行ってしまいそうな気がしてククイは無意識のうちに腕の力を強めた。
自習で残っている生徒の視線を掻い潜りながら校門を抜ける。明日はきっと彼女のことで質問責めにされるだろう。それほど、彼女はクラスメイトに慕われているのだ。
一歩ずつ研究所へと繋がる坂道を下っていく。学校から研究所までの道のりは決して短い物ではないし、ククイ自身自家用車を所有していたが、こうして徒歩で帰るのは乗り物に酔いやすい彼女のためだった。
サナはというと、いつものように文句ひとつ言わず大人しく抱かれている。ただ時折「ごめんなさい」とか細い声で謝ってくるものだから、それが少し心苦しいところではあるが。
「博士……」
しばらく無言のまま歩いていると不意にサナが小さく呟いた。
「なんだ?」
歩みを止めてサナの顔を覗き込む。彼女は何かを言いかけたまま口をつぐんでしまった。
「言いたいことがあるなら言っていいんだぞ?」
促すもふるふると首を振るばかりで何も話そうとしない。以前吐き気を我慢していたことがあったため、大事をとって足を止めることにした。
しばらくして、首に腕を回してギュッとしがみついてきたかと思うと消え入りそうな声で囁かれる。
「……しにたく、ない……」
「………」
ククイは深く深く頷くとその華奢な体をもう一度強く抱きしめた。安易に励ましの言葉を掛けることはできない。この子が求めているのはそんな薄っぺらい言葉じゃないことを知っていたからだ。
「君には俺がついている」
だから今はこの言葉だけを贈ろう。いつか訪れる終わりまで一緒にいてやることしかできないけれど、それでも最後まで寄り添うことくらいはできるはずだから。
「……うん」
泣き笑いのような表情を浮かべる少女の柔らかな髪にそっと口付けを落とす。アルコールと薬剤の匂いが鼻腔をくすぐり、胸に鈍い痛みを残した。
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