水槽



生まれた時から周りの人と比べて身体が弱かった。幼い頃から入退院を繰り返して不安定な身体と向き合ってなんとか11歳を迎えることが出来た。その頃になるとベッドの上で1日を過ごすことが多くなっていた。私はいつ死ぬんだろう。日に日に出来ることが少なくなる恐怖感に身体を蝕まれていた。そんな時に出会ったのがたまたまカントー地方に出張に来ていたククイ博士だった。
病室で窓の外から見える鳥ポケモン達を見て、自分も病気に縛られずに自由になれたらいいなと思っていた。そんな時にククイ博士は私の前に現れて「君の願いはなんだい?」と優しく問いかけてくれた。私の答えはもちろん決まっていた。
「自由に生きてみたいです」
彼は私の目を見ながら真剣に話を聞いてくれてこう言った。
「それなら僕のところに来ないかい?僕と一緒に旅に出よう」
この人はなんて優しい人なんだろうと思った。私が病気のせいで外出出来ないことは知っていたはずだ。それでも一緒に行こうと言ってくれるなんて思わなかった。絶対無理だと思いつつ諦めきれずにいたことを彼が叶えてくれるかもしれない。希望が見えてきた気がした。
「はい!連れていってください!」
こうして私はカントー地方からアローラ地方へとやって来た。
アローラ地方は年中常夏のような気候で海も綺麗だ。私は体調が良い時は砂浜を散歩したりして毎日を過ごしている。
でもあんまり夢中になると熱中症になってしまうことがあるから気をつけないといけない。来て間もない頃は慣れずに意識を失ってしまってククイ博士に迷惑をかけてしまったこともあった。最近はやっと自分なりの生活リズムが出来てきて、自分で管理出来るようになったと思う。
うん、ほとんどベッドで過ごすことは入院してた頃とあまり変わらないけれど……。
「サナ、入ってもいいかい?」
リビングからククイ博士の声が聞こえてくる。私は読んでいた本を閉じて返事をした。
「どうぞー」
ドアを開けて入ってきたククイ博士の手にはお盆がありその上には軽食とコップが乗っている。
「少し食べて薬を飲もうか」
「いつもありがとうございます……」
お礼を言いながらベッドから出てテーブルの前に座る。今日はいつもより調子が良くて食欲があるみたいだ。ククイ博士が用意してくれたおかゆを食べ始めた。
「美味いか?」
「えぇとても……本当においしいです」
ククイ博士は研究職でありながら料理の腕も良いらしい。一人暮らしが長いらしく料理が得意なのだそうだ。私が食べる様子を確認して、白衣のポケットから薬を五錠取り出して渡してくれる。
これでも量は減った方なのだ。最初渡されたときは10錠くらいあった気がする。でも決してそれが病状の緩和を指していることではない。むしろ、副作用が酷くて体に負担がかかるからと本来なら飲まなきゃならない薬を減らされてしまっているのだ。
だからといって、このままじゃいけないと思っているけど、私には何も出来なくてただ時間だけが過ぎていく。
食事を終えて食器を下げようとするとククイ博士が声をかけてくる。
「片付けは後でやるからそのままにしておいていいよ」
「博士…」
気丈に振る舞おうとしたが言葉が出なかった。きっと私が落ち込んでいることに気付いているんだろう。ククイ博士の優しさを感じると同時に自分の不甲斐なさに涙が出てくる。
そんな私の頭を撫でながらククイ博士は言う。
「大丈夫だよ。焦らなくてもいつか必ず元気になる日が来るさ」
そんな日がいつか来ると能天気に喜んでいた幼い自分はもういない。今は現実を突きつけられているだけだ。今の状況がいつまでも続くわけがない。わかっていたことだ。でもそれを直視したくはなかった。
シーツを手繰り寄せて顔を埋める。次から次へと溢れ出てくる感情を押し殺すように強く抱きしめた。
今泣いたってどうしようもないのに、ただ体力を消耗させるだけなのに……。どうして私はこんなにも弱いんだろうか……。
かちゃ、と食器がぶつかる音がしたと思った瞬間、私の身体は温かいものに包まれていた。
「僕はいつでも君の隣にいるよ。どんな時でもね」
背中に回された腕に力が込められる。その温もりに心が満たされるような感覚を覚えながら辿々しい動作でククイ博士の背中に手を回す。
「はい……」
ククイ博士は私のことを理解してくれている。私の苦しみや悲しみを汲み取ってくれる人がいる。その事実だけで救われたような気持ちになった。
「今日は何がしたい?なんでも言ってごらん?」
そう言われても特に何も思い浮かばない。強いて言えば外に行きたいかな。でもそれは叶わない願いだ。
「うーん、研究所の水槽を見たいです…!」
「あぁそういえば最近見てなかったな。よし、行こうか!ラブカス達も喜ぶぞ」
ククイ博士に連れられて研究所へと向かう。研究所にはククイ博士のポケモン達がいた。アローラの海を模った水槽に泳ぐラブカスとサニーゴ達。水の流れに合わせてゆらゆらと揺らめいていた。
「久しぶり、元気だった?」
そう問いかけると嬉しそうに鳴き声を上げてくれる。その様子が可愛くてつい笑みがこぼれた。水槽に手を触れるとひんやりとしていて心地良い。指先から伝わる冷たさが今の私の体温に似ていた。
「ここは薄暗くて静かだよね。まるで海の中みたいだ……」
ククイ博士が隣に来て私と同じように水槽に手を当てていた。
「研究室を地下にして良かったと改めて思うよ。ここなら誰にも邪魔されないしね」
「ふふっ。確かにそうですね」
私達はしばらく2人で静かに海の世界を眺めていた。
「そろそろ帰ろうか。あまり長居しても身体に障るからね」
「はい」
博士が用意してくれたパイプ椅子から立ち上がる。すると視界がぐらりと揺れて足がもつれてしまう。
「おっと……」
博士に支えられてなんとか転ぶことはなかったが焦点が定まらない。
「サナ?こっち見れるかい?僕の声は聞こえる?」
博士が顔を覗き込んでくるが上手く見ることが出来ない。
「す、すみません……なんか、めまい、みたいな……?」
「目が回っているのか?ちょっと見せてくれ」
ククイ博士は私の前髪を手で上げながら額同士を合わせる。近い距離で視線が交わってドキドキしてしまう。
「熱はないみたいだな……集中して疲れちゃったか?何にせよ無理は禁物だな」
博士はテキパキと私を抱えてロフトへと運んでくれた。
「今日は君の隣で仕事をするよ。パソコンを持ってくるからちょっと待っててくれ。すぐに戻ってくるからね」
「はい、わかりました……」
ククイ博士は忙しいのにわざわざ時間を割いてくれたんだ。早く体調を戻して恩返ししないと……。私は布団を頭まで被り目を閉じた。
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